第二十八章 それぞれの仕事
第二十八章 それぞれの仕事
すべての審理が終わり、判決が言い渡される日が来た。
傍聴席には、柏木佑と父の佑助が並んで座っていた。
美沙は、二人の間から被告人席を覗き込んでいる。
「……母ちゃん、今日は静かにしててよ」
佑が小声で言った。
「分かってるわよ。今日は判決を聞きに来たんだから」
「この前もそう言ってなかった?」
「この前は、あっちが先に暴れたんでしょうが」
佑は返事をしなかった。
隣で父が不思議そうにこちらを見たが、佑は小さく首を振った。
やがて裁判官が入廷し、法廷に緊張が走った。
小宮奈緒は被告人席に座っていた。
以前のように取り乱すことはなかったが、表情は硬いままだった。
裁判長が判決文に目を落とす。
「被告人は、起立してください」
小宮が立ち上がった。
「主文。被告人を拘禁刑五年に処する」
その声は、静かな法廷にはっきりと響いた。
佑は小宮を見た。
小宮は顔を上げたまま、判決を聞いていた。
泣くことも、抗議することもなかった。
裁判長は判決理由を読み上げ始めた。
「被告人は、柏木佑さんを殺害する目的で刃物を準備し、その自宅を訪れています。犯行は計画的であり、強い殺意が認められます」
佑は膝の上で手を握った。
あの日、小宮が家に来たときのことを思い出す。
自分に向けられたカッターナイフ。
それを避け、逃げようとしたこと。
父が小宮の腕を掴み、取り押さえようとしたこと。
そして、突き飛ばされた父が、テーブルに背中を強く打ちつけたこと。
「また、犯行を阻止しようとした被害者の父親を突き飛ばし、負傷させています。被害者本人に傷害が生じなかったことは幸いですが、犯行の危険性は高く、刑事責任は重いと言わざるを得ません」
佑助は黙って聞いていた。
あのときの打撲は、すでに治っている。
だが、息子が殺されかけたという事実は、今も胸の中に残っていた。
「一方、被告人は公判において、自らの殺意と犯行の経緯を認めています。この点は、量刑を判断するうえで考慮すべき事情です」
裁判長は一度、言葉を区切った。
「もっとも、被告人が犯行を認めたことをもって、十分な反省がなされたと評価することはできません」
小宮は動かなかった。
「以上の事情を総合的に考慮し、主文のとおり判決します」
判決理由の説明が終わり、裁判長は小宮に控訴について説明した。
小宮は短く返事をした。
その声に、以前のような激しさはなかった。
しかし、何かを悟った人間の穏やかさもなかった。
ただ、自分に言い渡された刑を聞いていた。
佑は隣の父を見た。
「……終わったね」
父は小さく頷いた。
「そうだね」
美沙は小宮を見つめていた。
「……五年か」
その声には、喜びも満足もなかった。
佑は母の横顔を見た。
「母ちゃん」
「何?」
「……いや、何でもない」
美沙は少しだけ笑った。
「佑。これで全部終わったわけじゃないからね」
「うん」
佑にも、それは分かっていた。
今日裁かれたのは、自分に対する殺人未遂事件だ。
八年前に母が殺された事件は、まだ残っている。
美沙は小宮から視線を外した。
「でも、ひとまずは終わりね」
佑は頷いた。
父も静かに息を吐いた。
やがて閉廷が告げられ、三人は席を立った。
*
裁判所の外に出ると、空は薄く曇っていた。
三浦は鞄を持ち直し、正面玄関の階段を下りた。
その途中で、見覚えのある男に気づいた。
岡崎だった。
建物の脇に立ち、こちらを見ている。
「ご苦労さん」
三浦は足を止めた。
「はい」
岡崎は三浦の顔を眺めた。
「小宮奈緒を変えたな」
三浦は首を横に振った。
「僕ではありません。彼女自身が、向き合うことを決めたんです」
「そうかね」
岡崎は顎をさすった。
「しかし、弁護人質問がえらい短いからな。てっきり諦めたのかと思ったよ」
三浦は少し笑った。
「小宮さんに言われたんです」
「何を?」
「事件の日、自分はまともだった。それだけ分かればいい、と」
岡崎は黙って三浦を見た。
「彼女は、自分が何をしたのか理解していると、法廷で示したかったんだと思います」
「なるほどな」
岡崎は小さく頷いた。
それから、三浦の顔をじっと見た。
「おたく、まだ諦めてないだろ」
三浦は不思議そうに眉を上げた。
「依頼人より先に諦める弁護人なんて、聞いたことありません」
岡崎は口元を緩めた。
「言うね」
三浦も、わずかに笑った。
「まぁ、次も頼むよ」
岡崎はそう言って、立ち去ろうとした。
「あ、岡崎さん」
呼び止められ、岡崎が振り返る。
「何だ?」
三浦は鞄の持ち手を握り直した。
「先日の指輪、あれ、イミテーションでしょう」
岡崎の表情が止まった。
「……何の話だ?」
「僕、記憶力だけは人一倍いいので」
三浦は穏やかに続けた。
「それにしても、ああいうのはいただけない」
岡崎は何も言わなかった。
ただ、三浦をじっと見つめている。
三浦も、それ以上は何も言わなかった。
しばらく、二人の間に沈黙が流れた。
やがて岡崎は、片手を上げた。
ひらひらと振る。
それだけだった。
そして、何事もなかったように背を向け、歩いていった。
三浦はその背中を見送った。
岡崎の姿が人混みに紛れると、三浦も歩き出した。
鞄の中には、まだ終わっていない仕事があった。
今日、一つの裁判が終わった。
だが、小宮奈緒の裁判が、すべて終わったわけではない。




