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続・母ちゃんが、いる。  作者: もちむぎ


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第二十九章 母ちゃんが、いる。

第二十九章 母ちゃんが、いる。


 裁判が終わった日の夕食は、肉じゃがだった。


 父さんが台所に立ち、俺が食器を並べる。


 母ちゃんはというと、父さんの隣で腕を組み、鍋の中を覗き込んでいた。


「ちょっと! それ、醤油入れすぎ!」


「父さん、母ちゃんが醤油入れすぎだって」


「え? まだ入れてないよ?」


「先に言ってあげたのよ!」


「予言かよ!」


 思わず突っ込むと、父さんがこちらを見た。


「どうした?」


「いや、母ちゃんが予言者になった」


「そうなのか?」


「そうなのよ!」


 母ちゃんは得意げに胸を張った。


「母ちゃん、父さんには聞こえてないから」


「知ってるわよ!」


 だったら、そんなに堂々と返事をしなくてもいいと思う。


 父さんは小さく笑い、醤油の瓶を手に取った。


「じゃあ、少しずつ入れようかな」


「そうそう、それでいいのよ」


「母ちゃんが、それでいいって」


「そう。よかった」


 父さんは鍋をかき混ぜた。


 母ちゃんは満足そうに頷いている。


 どうやら我が家の料理監督は、今日も絶好調らしい。


     *


「いただきます」


 父さんと俺が手を合わせる。


「いただきまーす!」


 母ちゃんも元気よく手を合わせた。


 もちろん、母ちゃんは食べられない。


 それでも毎回、食卓にはきちんと参加する。


「うん、おいしい」


 俺が肉じゃがを口に運ぶと、父さんは少し安心したように笑った。


「よかった。久しぶりに作ったから、味が心配だったんだ」


「お父さん、上手よ! 私が見てたんだから!」


「父さん、母ちゃんが自分のおかげだって」


「えっ、そこまで言ってないわよ!」


「だいたい同じだろ」


 父さんが笑った。


「母さんが見てくれてたなら、安心だ」


「でしょう?」


 母ちゃんは得意げだった。


 俺は黙って肉じゃがをもう一口食べた。


 いつもと変わらない夕食だった。


 父さんが作って、俺が食べて、母ちゃんが横から口を出す。


 ただ、それだけのこと。


 けれど、今日ばかりは、その当たり前が少しだけありがたかった。


 裁判は終わった。


 小宮奈緒には、拘禁刑五年の判決が言い渡された。


 だからといって、何もかもが片づいたわけじゃない。


 八年前の事件は、まだ残っている。


 それでも、俺たちはこうして家に帰ってきた。


「……なあ」


 箸を置いて、俺は二人を見た。


「もしさ、小宮がまた来たら、どうする?」


 父さんの手が止まった。


 母ちゃんもこちらを見る。


「大丈夫よ!」


 母ちゃんは胸を張った。


「母ちゃんが返り討ちにしてくれるわ!」


「それ、一番信用ならないやつ」


「何ですって!?」


「だって母ちゃん、前にも突っ込んでいって大騒ぎになったじゃん」


「あれは向こうが悪いの!」


「分かってるけどさ」


 父さんが不思議そうに俺を見ている。


 そうだった。


「父さん、母ちゃんが小宮を返り討ちにするって」


「うん。母さんは強いぞ…かなり」


「えっ?」


 母ちゃんが勢いよく父さんを振り返った。


「お父さん、そんなふうに思ってたの? ちょっとショック……」


 さっきまでの威勢はどこへやら。


 母ちゃんは肩を落としている。


「父さん、母ちゃんがショック受けてる」


「えっ? いや、いい意味でだよ」


 父さんが慌てて言い添えた。


「母さんは昔から、いざというとき頼りになる人だったから」


「……そうなの?」


「うん。私は何度も助けられたよ」


 母ちゃんはしばらく父さんを見つめていた。


 それから、ふっと笑った。


「それなら、いいわ」


「母ちゃん、機嫌直ったって」


「そう。よかった」


 父さんはほっとしたように笑った。


「……父さん、母ちゃんの扱いうまいよね」


「長い付き合いだからな」


「何よ、二人して!」


 母ちゃんが頬を膨らませた。


 俺と父さんは顔を見合わせて笑った。


 母ちゃんだけが、何がおかしいのよ、と騒いでいた。


 しばらくして、母ちゃんが静かに言った。


「でもね、きっと大丈夫よ」


 俺は母ちゃんを見た。


「……何が?」


「小宮奈緒のこと」


 母ちゃんは少しだけ視線を落とした。


 あの夜。


 門扉の前で、小宮奈緒の生霊と話したことを思い出していた。


 自分を殺した女と同じ顔をした生霊。


 その口から出た謝罪。


 そして、自分自身の過ちに向き合おうとする、小さな意思。


 許したわけではない。


 これから先も、許せるかどうかは分からない。


 それでも、あの生霊は言った。


 小宮奈緒の道を示す、と。


「時間はかかるだろうけどね」


 母ちゃんは呟いた。


「きっと、大丈夫」


 俺は何も言わなかった。


 母ちゃんが何を見て、何を信じたのか、全部を理解できたわけじゃない。


 けれど、あの夜と同じ言葉を聞いて、少しだけ安心した。


「……母ちゃんがそう言うなら、信じてみるよ」


「そうしなさい!」


 母ちゃんはにっこり笑った。


 そして、すぐに父さんの方を向いた。


「あっ! お父さん!」


「……今度は何?」


 俺が尋ねる。


「肉じゃが! まだ鍋に残ってるでしょ?」


「残ってるけど」


「佑、もっと食べなさいよ! せっかくお父さんが作ってくれたんだから!」


「いや、もう結構食べたって」


「育ち盛りでしょうが!」


「大学生だぞ、俺!」


「母親から見れば、いつまでも育ち盛りなの!」


「無茶苦茶だな!」


 父さんが笑いをこらえながら俺を見た。


「母さん、何だって?」


「もっと肉じゃが食えって」


「そう。まだあるよ。食べるか?」


「……じゃあ、少しだけ」


「はいはい」


 父さんが立ち上がり、俺の皿に肉じゃがを足してくれた。


 母ちゃんは満足そうに頷いている。


「ほらね! ちゃんと食べられるじゃない!」


「母ちゃんがうるさいからだろ!」


「何ですって!」


 父さんが笑う。


 俺も笑う。


 母ちゃんは相変わらず、騒がしい。


 八年前、母ちゃんはいなくなった。


 もう二度と会えないと思っていた。


 だけど今、俺たちはこうして笑っている。


 父さんがいて、俺がいて。


 そして、今日も。


 母ちゃんが、いる。


────────


第二部 完

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