第二十七章 認めるということ
第二十七章 認めるということ
小宮奈緒の公判が再開されたのは、前回の騒動からしばらく経ってからだった。
あの日、小宮は法廷で取り乱し、柏木美沙の名を叫んだ。
その後も落ち着きを取り戻すまでには時間を要したが、三浦との接見を重ね、ようやく審理を続けられる状態になった。
もっとも、三浦にも小宮の心の内がすべて分かったわけではない。
ただ、以前のように話がまったく噛み合わないということはなくなっていた。
そして今日、小宮は再び法廷に立っていた。
傍聴席には、岡崎の姿があった。
少し離れた席には柏木佑と、その父、佑助が並んで座っている。
美沙も、二人の隣にいた。
「……母ちゃん、大丈夫?」
佑が小声で尋ねる。
「何が?」
「いや、また何かあったらと思って」
「大丈夫よ。今日はおとなしくしてるから」
「今日は、ね」
「何よ、その言い方」
美沙が頬を膨らませたところで、開廷が告げられた。
佑は前を向いた。
父も、膝の上で組んでいた手を静かにほどいた。
小宮は被告人席に座っている。
前回のような興奮は見られなかったが、穏やかになったというわけでもなかった。
背筋を伸ばし、正面を見据えている。
その表情は硬い。
やがて、三浦による質問が始まった。
「小宮さん。前回の公判について、一つ確認させてください」
「はい」
「あなたは、柏木美沙さんがこの法廷にいるとおっしゃいましたね」
「はい」
「では、お尋ねします」
三浦は小宮の顔を見た。
「柏木美沙さんは、今、この法廷にいますか?」
小宮はすぐには答えなかった。
ゆっくりと傍聴席へ視線を向ける。
佑を見た。
その隣にいる佑助を見た。
美沙は二人のそばで、小宮を見返していた。
「……こっち見てるわね」
美沙が小さく呟く。
しかし、小宮の視線は美沙の上に留まることなく、再び佑助へと向かった。
以前なら、その姿を見ただけで、いくつもの都合のよい物語が頭に浮かんでいただろう。
彼が自分を待っている。
自分こそが、彼の隣にいるべき人間なのだと。
けれど、今は何も浮かばなかった。
佑助はただ、佑の父親としてそこに座っていた。
小宮は正面に向き直った。
「いません」
三浦は頷いた。
「分かりました」
「三浦先生」
「はい」
「私の頭はおかしくなんかありません」
小宮はきっぱりと言った。
以前と同じ言葉だった。
声を荒らげることも、涙を浮かべることもない。
三浦はしばらく小宮を見つめ、それから静かに頭を下げた。
「私からの質問は以上です」
続いて、検察官が立ち上がった。
「小宮さん。事件当日のことについて、確認します」
「はい」
「警察の事情聴取を受けたあと、あなたはどうしましたか?」
「自分が疑われていると思いました」
「何を疑われたと思ったのですか?」
「柏木美沙を殺害したと」
傍聴席で、岡崎の眉がぴくりと動いた。
すぐに検察官へ視線を向ける。
もっと聞け。
口元が、声にならない言葉を形作った。
しかし、検察官は岡崎を見ることもなく、次の質問へ進んだ。
「そう思ったあなたは、どうしましたか?」
岡崎は口をへの字に曲げた。
面白くない。
実に面白くない。
だが、ここで審理されているのは柏木佑に対する殺人未遂事件だ。
岡崎は腕を組み直し、黙って続きを聞くことにした。
「早く……邪魔な人を排除しないと、と思いました」
「邪魔な人とは、誰ですか?」
「柏木佑さんです」
佑は小宮を見つめた。
自分の名前が、はっきりと聞こえた。
隣で父がわずかに身じろぎした。
美沙は何も言わなかった。
「なぜ柏木佑さんが邪魔だったのですか?」
「私と……」
小宮はそこで言葉を止めた。
しばらく口を閉じ、言い直す。
「当時の私は、柏木佑助さんと一緒になることを、佑さんが邪魔していると考えていました」
佑助は静かに目を伏せた。
小宮は続けなかった。
検察官が次の質問をするまで、ただ待っていた。
「今も、そう思っていますか?」
「……いいえ」
小宮は正面を向いたまま答えた。
「今は、自分がこの家族を壊したと認識しています」
佑は思わず母を見た。
美沙は小宮から目を離していなかった。
その表情に、喜びはなかった。
当然だろう。
小宮が何を認めようと、母が殺された事実は変わらない。
八年間、家族が失っていた時間も戻らない。
父は膝の上で両手を組み直した。
何かを言いかけるように唇を動かしたが、結局、何も言わなかった。
検察官が資料を一枚めくった。
「では、柏木佑さんの自宅を訪れた際、あなたには柏木佑さんを殺害する意思があったのですね?」
「はい」
小宮は答えた。
「私は、柏木佑さんを殺害するつもりで、あの家に行きました」
法廷は静かだった。
小宮は泣かなかった。
謝罪の言葉もなかった。
ただ、尋ねられたことに答えた。
佑は、自分の手元へ目を落とした。
あの日のことは、今でも覚えている。
小宮が家に来たこと。
刃物を向けられたこと。
そして、母が自分を守ろうとしてくれたこと。
目の前にいる女は、そのすべてを自分の意思で行ったのだと認めた。
佑は顔を上げた。
小宮は相変わらず、硬い表情のままだった。
美沙が小さく息を吐くような仕草をした。
「……そう」
それだけだった。
許したわけではない。
許せるはずもない。
けれど、小宮は初めて、自分のしたことを他人のせいにしなかった。
三浦は弁護人席で、静かにその証言を聞いていた。
自分にとって有利な証言ではない。
それでも、三浦は小宮から目を逸らさなかった。
これまで何度も話しかけ、何度も届かなかった言葉。
そのすべてが、ようやく小宮の中で意味を持ち始めたのかもしれない。
もちろん、まだ何も終わってはいない。
小宮が認めたのは、自分の行為と、そのときの意思だった。
償いは、これからだ。
検察官は手元の資料を確認すると、再び小宮へ目を向けた。
審理は、静かに続いていった。




