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続・母ちゃんが、いる。  作者: もちむぎ


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第十六章 確かめなければならないこと

第十六章 確かめなければならないこと


 三浦が接見室に入ると、小宮はすでに椅子に座っていた。


「三浦君。今日は何?」


「先日、お話ししたネックレスの件です」


 小宮の表情が変わった。


「持ってきてくれたの?」


「はい。施設の方にお願いして、こちらで確認する許可をいただきました」


 職員が、小さなハンカチに包まれたものを三浦に渡した。


 三浦が受け取ると、職員は部屋を出ていった。


「……それ」


 小宮が身を乗り出した。


 三浦はハンカチを机に置き、ゆっくりと開いた。


 細いチェーンが現れた。


 その先には、金色の指輪が通されている。


 小宮は、しばらく何も言わなかった。


 ただ、指輪を見つめていた。


「……よかった」


 やがて、小さな声が漏れた。


「ちゃんとあったのね」


「はい。大切に保管されていたようです」


「当たり前でしょう。私の大事なものなんだから」


 小宮の目は、指輪から離れなかった。


 三か月ぶりに見るものだった。


 三浦は、その様子を見ながら、先日見つけた写真を思い出していた。


 学校行事で撮影された一枚。


 小宮が両手を上げた拍子に、胸元から飛び出していた指輪。


 あの写真では分からなかったことが、今なら確かめられるかもしれない。


「小宮さん。この指輪について、少しお尋ねしてもよろしいでしょうか」


「また?」


 小宮の声が冷たくなった。


「前にも言ったでしょう。ネックレスは事件に関係ないって」


「はい。ただ、指輪に何か刻まれているようなので……」


 三浦は指輪へ手を伸ばしかけた。


「触らないで」


 小宮が即座に言った。


 三浦は手を止めた。


「……すみません」


「勝手に触らないでちょうだい」


「はい」


 三浦は手を引いた。


 指輪はハンカチの上に置かれたままだった。


 金色の表面には、細かな傷が見えた。


 特に内側は、滑らかな輪とは言い難かった。


 何か硬いもので、何度も擦ったような跡がある。


 なぜ、こんな傷が。


 三浦が考えていると、小宮が口を開いた。


「ねえ、三浦君」


「はい」


「もう少し近くで見せて」


 三浦は顔を上げた。


「近く、ですか」


「そう。よく見えないのよ」


「……チェーンを持ち上げてもよろしいですか」


「チェーンだけならいいわ。指輪には触らないで」


「分かりました」


 三浦はチェーンの端をそっとつまんだ。


 金色の指輪が、ハンカチから離れた。


 小宮の顔の近くへ、ゆっくりと持ち上げる。


「ああ……」


 小宮が微笑んだ。


 先ほどまでの険しい表情が嘘のようだった。


「やっぱり、綺麗ね」


 三浦は返事をしなかった。


 小宮は指輪を見つめている。


 まるで、そこに誰かの姿を見ているかのように。


 チェーンの先で、指輪が小さく揺れた。


 そのときだった。


 内側に、文字が見えた。


 Y。


 三浦は目を凝らした。


 続きに何か刻まれている。


 短い線と、丸みを帯びた文字。


 しかし、その先は深く削られていた。


 さらに少し離れた場所に、数字らしきものがあった。


 ゼロだろうか。


 それとも、数字の一部が残っているだけなのか。


 判別できない。


 指輪がまた揺れた。


 Yだけが、もう一度はっきりと見えた。


 柏木佑助。


 佑助の、Yか。


 三浦は息を止めた。


 小宮が主張している、柏木との関係。


 その名前の頭文字が、指輪の内側に刻まれている。


 偶然だろうか。


 それとも。


「……もういいわ」


 小宮の声で、三浦は我に返った。


「ありがとうございました。戻してください」


「あ、はい」


 三浦はチェーンをゆっくりと下ろした。


 指輪がハンカチの上に収まる。


 小宮は名残惜しそうに、それを見つめていた。


「大切なものなんですね」


 三浦が言うと、小宮は当然のように答えた。


「ええ。私にとって、一番大切なものよ」


「……そうですか」


「ちゃんと保管しておいてもらってね」


「はい。施設の方にお返しします」


 三浦はハンカチを閉じた。


 小宮は最後まで、その包みから目を離さなかった。


 \*\*\*


 接見を終えた三浦は、事務所に戻って手帳を開いた。


 見たものを忘れないうちに書き留める。


 金色の指輪。


 内側の削り傷。


 Yの文字。


 判読できない数字。


 三浦はペンを止めた。


 なぜ、刻印を削ったのだろう。


 何か理由があるのか。


 分からない。


 ただ、あのYという文字が気になった。


 柏木佑助。


 小宮が愛していると繰り返す男性の名前。


 もし柏木が贈った指輪なら、小宮の主張を裏づける材料になるかもしれない。


 これまで調べたことは、どれも小宮に不利なものばかりだった。


 学校での二人の関係も、周囲の証言も。


 小宮が語る親密な関係を示すものは、何一つ見つかっていない。


 だからこそ、確かめたかった。


 あの指輪が何なのか。


 三浦は手帳を閉じた。


 柏木に会うしかない。


 できれば、避けたかった。


 けれど、避けていては何も分からない。


 \*\*\*


 柏木は、三浦の訪問を断らなかった。


 約束の時間に訪ねると、玄関で丁寧に迎えてくれた。


「どうぞ」


「お、お忙しいところ、申し訳ありません」


「いえ。お話があると伺いましたので」


 居間へ通された三浦は、鞄を膝の横に置いた。


 柏木は向かいの椅子に座った。


「それで、今日はどのようなお話でしょうか」


「小宮奈緒さんについて、確認したいことがありまして」


「はい」


 三浦は手帳を取り出した。


 けれど、開く前に一度、深く息を吸った。


「……大変失礼な質問をいたします」


 柏木は黙って続きを待った。


「柏木さんは、小宮さんに指輪を贈ったことがありますか」


 柏木の目が、わずかに細くなった。


「ありません」


「では、小宮さんから指輪を贈られたことは」


「それもありません」


「その……小宮さんと、個人的に親しいご関係だったことは……」


「三浦さん」


 三浦は口を閉じた。


 柏木の声は穏やかだった。


「その質問には、以前もお答えしたと思います」


「は、はい。承知しています」


「私と小宮さんの間に、あなたがお考えになっているような関係はありませんでした」


「……はい」


「何度お尋ねになっても、答えは同じです」


 三浦は膝の上で手帳を握りしめた。


 柏木は怒っている。


 声を荒らげることも、机を叩くこともない。


 それでも、怒っていることは分かった。


「申し訳ありません。ですが、私は小宮さんの弁護人ですので……」


「分かっています」


 柏木は静かに答えた。


「あなたがお仕事として確認なさっていることは、理解しています」


 そこで一度、言葉を切った。


「ですが、私の妻は八年前に殺されています。そして息子は、小宮さんに殺されかけました」


 三浦は顔を上げられなかった。


「そのことも、理解していただきたいと思います」


「……はい」


 しばらく沈黙が続いた。


 三浦は手帳に目を落とした。


 まだ、聞かなければならないことがある。


「……もう一つ、よろしいでしょうか」


「何でしょう」


 三浦は柏木の左手を見た。


 薬指に、金色の指輪があった。


「あの……その指輪は」


 柏木も、自分の左手へ視線を落とした。


「これですか」


「はい。差し支えなければ、どういった指輪なのか教えていただけませんか」


「結婚指輪です」


 三浦は息を止めた。


「……結婚指輪」


「ええ。妻と結婚したときに買いました」


 柏木は指輪を親指でそっと撫でた。


「ずっと着けています」


「奥様と、お揃いのものですか」


「そうです」


「購入されたお店を、覚えていらっしゃいますか」


「覚えていますよ」


 柏木は店の名前を告げた。


 三浦は書き留めた。


「購入されたのは、いつ頃でしょう」


「結婚する少し前です。正確な日付までは覚えていませんが」


「結婚された日付は……」


 柏木が答える。


 三浦はその数字も記した。


 そして、今日見た指輪の内側を思い出した。


 Y。


 その先の、削られた文字。


 かろうじて残っていた数字の一部。


 まだ、何も一致したとは言えない。


 けれど、確かめるべきことは増えていた。


「指輪の内側に、刻印などはありますか」


「あります」


「どのような……」


「互いのイニシャルと、結婚した日付です」


 三浦の指が止まった。


「それが、何か?」


「い、いえ……」


 三浦は視線を落とした。


 ここまでは聞けた。


 問題は、この先だった。


「柏木さん」


「はい」


「奥様も……同じ指輪を、着けていらしたんですよね」


「ええ」


「その……」


 言葉が続かなかった。


 柏木は黙って待っている。


 三浦は手帳を閉じた。


「奥様の指輪は、今、どちらにありますか」


 柏木の表情が変わった。


「……どういう意味でしょうか」


「いえ、あの……奥様が亡くなられたあと、指輪は……」


 三浦はそこで口を閉じた。


 八年前、美沙は殺された。


 長い間、行方も分からなかった。


 ようやく遺体が見つかった家族に向かって、自分は何を聞こうとしているのか。


 分かっていた。


 分かっていても、聞かなければならなかった。


「……発見されたとき、奥様の指輪も、一緒に見つかったのでしょうか」


 柏木は答えなかった。


「三浦さん」


「は、はい」


「なぜ、そのようなことをお尋ねになるんですか」


 三浦は膝の上で拳を握った。


「申し訳ありません」


「謝罪を求めているのではありません。理由を聞いています」


 声の調子は変わらなかった。


 だからこそ、三浦は逃げられなかった。


「……申し訳ありません。今は、お答えできません」


 柏木の眉が、わずかに動いた。


「答えられない?」


「はい。私には、依頼人に対する守秘義務があります。お話しできないこともあるんです」


「……そうですか」


 柏木は静かに答えた。


 けれど、その表情は一層険しくなっていた。


「理由も聞かされずに、妻の遺品について答えろとおっしゃるんですね」


 三浦は何も言えなかった。


 そのとおりだった。


 自分がどれほど理不尽なことを求めているか、分かっていた。


「……失礼を承知でお願いしています」


 三浦は頭を下げた。


「どうしても、確認する必要があるんです」


 長い沈黙が落ちた。


 柏木は左手の指輪を見つめた。


 親指で、そっと撫でる。


「……妻の指輪は」


 三浦は顔を上げた。


「見つかっていません」


 小さな声だった。


「遺体が発見されたとき、指輪はありませんでした」


 三浦は手帳を開こうとして、やめた。


 今聞いた言葉を、書き留めなくても忘れることはないと思った。


「妻は、いつも指輪を着けていました」


 柏木は続けた。


「出かけるときも、仕事をするときも。少なくとも、私の知る限りでは」


「……そう、ですか」


 三浦は静かに頭を下げた。


「ありがとうございました」


 柏木は何も答えなかった。


 これ以上、質問を続けることはできなかった。


 \*\*\*


 柏木家を出たあと、三浦はしばらく門の前に立っていた。


 鞄の中には、購入店の名前と結婚記念日を書いた手帳がある。


 小宮の指輪。


 柏木の結婚指輪。


 そして、見つかっていない美沙の指輪。


 三浦は歩き出した。


 小宮の言葉を裏づけるものが欲しかった。


 そのために、あの指輪を確かめた。


 柏木にも会った。


 けれど、確かめれば確かめるほど、思っていたものとは違う何かが見えてくる。


 指輪の内側に残された、たった一文字。


 Y。


 その文字だけが、傷の中ではっきりと残っていた。


 なぜ、あそこだけ削られていなかったのだろう。


 三浦は足を止めた。


 今まで、考えもしなかったことが頭をよぎった。


 もし、あの指輪が。


 小宮さんのものではなかったとしたら。


 三浦はゆっくりと息を吐いた。


 まだ、何も分かっていない。


 だからこそ、確かめなければならない。


 たとえ、その答えが。


 自分の依頼人にとって、望ましくないものだったとしても。

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