↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
続・母ちゃんが、いる。  作者: もちむぎ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/29

第十四章 彼岸花の記憶

第十四章 彼岸花の記憶


 インターホンが鳴った。


 佑がモニターを覗くと、見覚えのある二人が立っていた。


「岡崎さんと野上さんだ」


「あら、久しぶりね」


 母が佑の肩越しに画面を覗き込んだ。


「母ちゃんには見えてるんだから、そんなに近づかなくてもいいだろ」


「いいじゃない。減るもんじゃなし」


 佑は苦笑しながら、玄関へ向かった。


 父もリビングから出てきた。


「岡崎さんたちか」


「うん」


 父は少しだけ表情を引き締めた。


 小宮が逮捕されてから三か月が過ぎていた。


 佑に対する殺人未遂事件は、すでに起訴されている。


 けれど、八年前の母の殺害については、いまだに立件されていなかった。


 玄関の扉を開けると、岡崎が軽く頭を下げた。


「突然すみません。少しお時間をいただけますか」


「もちろんです。どうぞ」


 父が二人を招き入れた。


 母は廊下の端へ寄り、二人が通るのを待った。


「いらっしゃいませー」


 誰にも聞こえない挨拶をする。


 佑だけが、小さく笑った。


     *


 リビングのテーブルを挟み、岡崎と野上が並んで座った。


 父と佑は向かい側に腰を下ろす。


 母は佑の隣に座った。


 もちろん、椅子は必要ない。


「まず、捜査の状況についてお伝えします」


 岡崎が口を開いた。


「以前お話しした離婚届ですが、筆跡の鑑定だけでは小宮のものと断定できませんでした。指紋についても、有力なものは得られていません」


 父は静かに頷いた。


「そうですか」


「それから、奥様が失踪された夜の車の目撃情報についても、改めて調べています。ただ、当時の車両を特定できるだけの情報は残っていません」


「八年前ですからね……」


 父が呟いた。


 岡崎は膝の上で手を組んだ。


「申し訳ありません。小宮が関与した疑いは強いと考えています。しかし、疑いと立証は別です」


 母は黙って聞いていた。


 普段なら何か一言挟むところだが、今日は口を開かなかった。


 野上が佑へ視線を向けた。


「柏木佑さん。一つ、お聞きしてもいいですか」


「はい」


「以前、お母様が見えるとおっしゃっていましたよね」


 佑は一瞬、返事に迷った。


 あのときは、小宮から父を守るために必死だった。


 母が見えることも、声が聞こえることも、隠している余裕などなかった。


 けれど、改めて聞かれると、どう答えればいいのか分からなくなる。


 信じてもらえるはずがない。


 そう思いながらも、佑は頷いた。


「はい」


「今も、いらっしゃるんですか」


「います」


 野上の表情は変わらなかった。


「どちらに?」


「俺の隣です」


 野上は、佑の隣にある空間へ目を向けた。


 母が慌てて背筋を伸ばした。


「どうも。柏木美沙です」


 佑は思わず口元を緩めた。


「何かおっしゃっていますか?」


「……挨拶してます」


「そうですか」


 野上は佑の隣へ向き直り、小さく頭を下げた。


「こんにちは、柏木美沙さん。野上です」


 母が目を丸くした。


「えっ。ちょっと、この人、私に挨拶してくれた!」


 佑が笑った。


 父も驚いたように野上を見ていた。


「……ありがとうございます」


 父は静かに頭を下げた。


「妻に挨拶してくださって」


 野上は微笑んだ。


「こちらこそ。お邪魔しております」


 母は嬉しそうに佑の肩を叩こうとして、手がすり抜けた。


「あら、やだ」


「母ちゃん、落ち着けよ」


 佑が小声で言うと、父も少し笑った。


 野上が改めて佑へ向き直った。


「お母様は、事件について何かお話しされていますか」


 佑は母を見た。


 母は腕を組み、しばらく考えていた。


「車に乗ったことは覚えてるのよ」


「うん」


「小宮先生からコーヒーをもらって、飲んだことも」


 佑はそのまま伝えた。


「母さんは、小宮の車に乗ったことを覚えています。車の中でコーヒーをもらって、飲んだそうです」


 岡崎が頷いた。


「そのあとは?」


「だんだん眠くなって、身体が動かなくなったって」


 母は目を伏せた。


「目が覚めたら、暗い場所だった。小宮がいて……」


 言葉が途切れた。


 佑は母の顔を見た。


「無理に話さなくていいよ」


「ううん」


 母は首を振った。


「ちゃんと話さなきゃ」


 岡崎も野上も、急かさなかった。


 しばらくして、母がぽつりと呟いた。


「……彼岸花」


「え?」


「彼岸花が咲いてたの」


 佑は母を見つめた。


「どこに?」


「車の窓の外。赤い花が、いっぱい」


 母は遠くを見るような目をした。


「眠くて、頭がぼんやりしてて……でも、あの花だけは覚えてる」


 佑は二人の刑事へ向き直った。


「母は、彼岸花を見たそうです」


「彼岸花?」


 岡崎が聞き返した。


「はい。車の窓から、赤い彼岸花がたくさん咲いているのが見えたって」


 野上が手帳を開いた。


「九月下旬……時期は合いますね」


「そうだな」


 岡崎は少し考えた。


「奥様は、その場所について、ほかに何か覚えていらっしゃいますか」


 佑が母を見る。


 母はゆっくりと首を横に振った。


「ごめん。覚えてない」


「場所までは分からないそうです」


「分かりました」


 野上が手帳に書き込んだ。


 そこで、ふとペンを止めた。


「……そういえば」


 野上が顔を上げた。


「佑さん。もう一つ、お母様にお尋ねしてもいいでしょうか」


「はい」


「小宮さんの車に乗った場所は、覚えていらっしゃいますか?」


 佑は母へ顔を向けた。


「母ちゃん。どこから乗ったか覚えてる?」


「ええ。塾へ向かって歩いていたら、小宮先生が車で来たのよ」


「家からどのくらい歩いたところ?」


「そうねえ……」


 母は少し考えた。


「塾へ行くとき、いつも通る道だったわ。まだそんなに歩いてなかったと思う」


 佑はそのまま伝えた。


「家から塾へ向かう途中で、小宮が車を停めたそうです。まだ家からそれほど離れていなかったって」


「その場所は、今も分かりますか?」


 野上が尋ねた。


 母は首を傾げた。


「道を見れば、分かると思うけど……」


「母が、実際に行けば思い出せるかもしれないって」


 野上は岡崎を見た。


「岡崎さん。八年前の目撃証言ですが、女性が車に乗るところを見たという話がありましたよね」


「ああ」


「その場所と、奥様が覚えていらっしゃる場所を照らし合わせられませんか」


 岡崎は少し考えた。


「……そうだな」


 野上は続けた。


「当時の目撃者が見た女性が美沙さんだったのか、確認する手掛かりにはなるかもしれません」


「車の特徴や運転手の顔が分からなくても、乗車場所が一致するなら、目撃証言を見直す意味はある」


 岡崎が頷いた。


「野上、当時の記録をもう一度確認しよう」


「はい」


 野上は手帳へ書き込んだ。


 佑は、二人のやり取りを見つめていた。


 母の言葉が、ほんの少しだけ、捜査につながった。


 それが何より嬉しかった。


 岡崎は手帳を閉じた。


「ただ、一つお伝えしておかなければならないことがあります」


 父と佑は姿勢を正した。


「我々が佑さんのお話を信じても、警察や検察、まして裁判官は、お母様の証言を証拠として取り上げることができません」


 佑は黙って頷いた。


 分かっていたことだった。


 母の姿が見えるのは自分だけだ。


 声が聞こえるのも、自分だけ。


 どれほど母が真実を語っても、それを確かめる方法がない。


「だからこそ、物的証拠が必要なのですが……」


 岡崎は言葉を切った。


「力及ばずで、申し訳ありません」


 深く頭を下げた。


 野上も頭を下げる。


「そんな」


 父が慌てて言った。


「どうか、頭を上げてください」


 岡崎が顔を上げた。


 父は穏やかに続けた。


「八年も前の事件です。簡単ではないことは、私たちにも分かっています」


 佑も頷いた。


「それに……」


 父は隣の息子を見た。


「岡崎さんたちが、佑の話を信じてくださる。それだけで、私たちは心強いんです」


「はい」


 佑は二人を見た。


「母がいるって話を、ちゃんと聞いてくれてありがとうございます」


 野上は静かに頷いた。


「お話ししてくださって、ありがとうございます」


 母が鼻をすすった。


「ちょっと、やだ。泣かせないでよ」


「母ちゃん、泣いてるの?」


「泣いてないわよ」


 そう言いながら、母は目元を拭った。


 岡崎が立ち上がった。


「では、我々は捜査に戻ります」


「よろしくお願いします」


 父と佑も立ち上がった。


 玄関まで見送ると、岡崎はもう一度振り返った。


「柏木さん」


「はい」


「まだ、終わっていませんから」


 父は深く頷いた。


「はい」


 岡崎と野上は頭を下げ、玄関を出た。


 父が二人を見送る。


 その左手の薬指には、今も結婚指輪がはまっていた。


     *


 柏木家を出た二人は、停めてある車へ向かって歩いていた。


 しばらく無言だった岡崎が、ふと口を開いた。


「野上」


「はい」


「柏木美沙の幽霊、本当にいると思うか?」


 野上は少し考えた。


「私には見えません」


「そうだな」


「でも私、神様を知ってるって言う知り合いがいるもので」


 岡崎が足を止めた。


「……何だ、それは」


「さあ。私にもよく分かりません」


 野上は真面目な顔で答えた。


 岡崎はしばらく野上を見ていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……世の中、分からんことだらけだな」


「そうですね」


 二人は再び歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。