仲裁ミッション
「村長さんのお宅は、どちらですか?」
酒場の喧騒がようやく収まり、聖人のような穏やかな微笑みを浮かべた水谷一太は、近くにいた村人へ静かに尋ねた。
「え、ええと……広場を真っすぐ行って、大きな樫の木を右です。屋根に風車が付いている家ですよ」
「ありがとうございます。助かりました」
一太は柔らかく一礼する。
(よし、場所は聞いた。あとは帰るだけだ。)
――そう思ったのも束の間。
《目的地を確認しました》
(げっ。)
《直ちに向かいます》
「ちょっ――」
バァァァン!!
酒場の入口が爆発したような轟音を立てて吹き飛んだ。
「うおおおおっ!?」
「ドアぁぁぁっ!!」
一太の肉体は【偽善】によって強制的に弾丸のような勢いで酒場を飛び出した。
砂煙だけを残し、姿は一瞬で消える。
「……今の、本当に人間か?」
村人たちは呆然と壊れた扉を見つめるしかなかった。
◆
「ぶべっ!」
村長宅の前へ急停止した一太は、勢い余って地面を何度も転がった。
「いってぇ……。」
ようやく立ち上がり、服についた土を払う。
《目的地へ到着しました》
「だから毎回この移動やめろって……。」
すると脳内へ、例の冷たいAI音声が響く。
《今回の救済目標を説明します》
「今さらかよ。」
《対象はタカミ村村長夫妻。》
《夫婦関係悪化の原因を究明し、問題を解決してください。》
「……へ?」
《以上です。》
「以上じゃねぇよ!」
一太は思わず空へ向かって叫んだ。
「勝手に体を操って解決してくれるんじゃないのか!?」
《今回は保有者自身が対応してください。》
「はぁ!?」
《現在、【偽善】による強制聖人モードは解除されています。》
「…………。」
数秒の沈黙。
「つまり?」
《クズ状態のまま、人助けをしてください。》
「無茶言うなぁぁぁぁっ!!」
一太は頭を抱えた。
「俺は人助けが嫌いだからクズなんだぞ!? そのクズに夫婦仲を修復させろって!?」
《健闘を祈ります。》
「祈るだけかよ!」
返事はない。
AIは完全に黙り込んでしまった。
「……帰るか。」
一太は踵を返した。
だが、一歩踏み出したところで足が止まる。
(いや待て。)
(ここで帰ったら……。)
脳裏によみがえる。
時速数百キロ。
風圧でめくれ上がる唇。
耳まで伸びる頬。
白目。
涙。
鼻水。
そして、
「おぇぇぇぇぇっ!!」
さっき吐いたばかりの記憶。
「……またあれをやらされるのか。」
ぶるり、と全身が震えた。
「あれだけは嫌だ……。」
一太は深いため息を吐き、観念したように村長宅へ向き直る。
「……しゃあねぇ。」
渋々、玄関へ歩み寄る。
「とりあえず話だけ聞いてやるか。」
拳を上げ、ノックしようとした――その瞬間。
「あなたなんか大っ嫌いです!!」
家の中から女性の怒鳴り声が響いた。
「だったら好きにしろ!!」
今度は男の怒号。
ガシャァァァン!!
皿が割れる音。
ドゴォン!!
家具が倒れる音。
「ふざけるな!」
「そっちこそ!」
「だからお前は!」
「あなたが悪いんでしょう!」
一太は目を丸くした。
「うわぁ……。」
喧嘩というより戦争だった。
「これはヤバい!」
慌ててドアノブを掴み、勢いよく扉を開ける。
「ちょっと待っ――」
ブォン!!
何かが高速で飛んできた。
「え?」
ガァァン!!
鋳鉄製のフライパンが一太の顔面へ見事に直撃した。
「ぶへっ!!」
鼻血を噴き上げながら、一太は豪快に後方へ吹き飛ぶ。
ドサッ。
「あべし……。」
白目を剥いて床へ倒れた。
その光景を見た村長夫妻は、一瞬で青ざめる。
「ひ、人が!」
「えぇぇぇぇ!?」
「フライパンが当たった!」
「あなた何やってるの!」
「お、お前が投げたんだろ!」
「い、いや今はそんなことより!」
二人は同時に一太へ駆け寄った。
「だ、大丈夫ですか!?」
「すまん! 本当にすまん!」
一太は鼻を押さえながらゆっくり起き上がる。
「いてて……。」
鼻血がぽたぽたと床へ落ちる。
「いや……。」
ティッシュ代わりに袖で鼻を押さえながら苦笑した。
「いきなり他人の家へ入った俺も悪かったですから。」
その言葉に、夫妻は顔を見合わせた。
「……なんという人格者だ。」
「普通なら怒鳴られても仕方ないのに……。」
「いや、普通に痛いですよ。」
「本当に申し訳ない。」
村長は深々と頭を下げた。
「せめて、お茶でも飲んでいってください。」
「そうですね……。」
一太も断る理由がなかった。
◆
数分後。
湯気の立つお茶を前に、一太は向かい合う夫婦を眺めていた。
よくよく見ると夫婦は2人ともとても大柄で一太の2倍はあろうかという体型をしていた。
そして先ほどまで殺し合い寸前だったとは思えないほど静かだ。
「それで……。」
一太が口を開く。
「さっきは何が原因だったんです?」
夫婦は同時に顔をしかめた。
「朝食です。」
「朝食?」
「私はパン派なんです。」
奥さんが腕を組む。
すると村長が鼻を鳴らした。
「朝は米だろ。」
「パンです。」
「米だ。」
「パン。」
二人は再び睨み合う。
一太は苦笑した。
「ちなみに俺は米派ですね。」
ピキッ。
空気が凍った。
奥さんがゆっくりと一太を睨む。
「……そうですか。」
「いや、別にパンも嫌いじゃ――」
「そうですか。」
「すみません。」
なぜか謝る一太。
村長だけが満足そうに腕を組んでいた。
「ですが……。」
一太は咳払いを一つした。
「正直、朝は米かパンかなんて、そこまで大喧嘩になる話じゃないでしょう?」
二人とも黙る。
「さっきの様子を見る限り、もっと根本的な原因があるんじゃないですか?」
静寂。
村長は目を伏せる。
奥さんも湯飲みを見つめたまま動かない。
やがて村長が重々しく口を開いた。
「……これは。」
「夫婦の問題だ。」
奥さんも小さく頷く。
「他人が踏み込むことではありません。」
「いやでも――」
「申し訳ありません。」
村長は立ち上がった。
「今日はもう、お引き取りください。」
「えぇ……。」
一太は思わず天井を見上げた。
「最後にひとつだけ。」
「村のリーダーたるあなた方の喧嘩で村全体に良くない影響が出ています。その事を2人でよく考えてください。」
(成果ゼロ。)
(これ絶対また面倒になるやつじゃねぇか……。)
重い足取りで玄関へ向かう一太の背後では、再び張り詰めた沈黙が流れていた。彼はまだ知らない。
この夫婦喧嘩の原因が、「朝食」などでは到底済まされない、長年積み重なった深いわだかまりにあることを。




