メタボリックシンドローム
「おぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
タカミ村の入口へ超高速で滑り込んだ水谷一太は、地面に両膝をついた瞬間、胃の中身を盛大にぶちまけた。
「げほっ、ごほっ……! もう嫌だ……この移動だけで寿命が十年は縮むだろ……!」
さっきまで時速数百キロで顔面を引き伸ばされながら運ばれていたのだ。三半規管などとっくに限界を迎えている。
ふらふらと立ち上がった一太が涙目で辺りを見回した、その時だった。
「……いたぞ。」
低い声が聞こえた。
「間違いねぇ。」
「囲め。」
「逃がすな!」
「……へ?」
気づけば、鍬や斧、木槍を持った村の男たち十数人にぐるりと囲まれていた。
「な、なんだなんだ!? 歓迎会か!?」
「動くな。」
一人の大男が槍の穂先を突きつける。
「貴様……ゴブリンだな?」
「…………は?」
一太は思わず間抜けな声を漏らした。
「いやいやいや! どう見ても人間だろ!」
男たちは険しい顔のまま、一太を睨み続ける。
「ボサボサ頭。」
「特にその腹だけ出てる異形の姿。」
「ゴブリンの特徴だ。」
「待て待て待て!」
一太は慌てて腹を押さえた。
「これはな! 運動不足と酒と夜食の成果だ! 種族じゃねぇ!」
「聞いたか。」
「人語を真似している。」
「知能の高い個体だ。」
「討伐しろ。」
「だから違うってぇぇぇ!!」
必死に両手を振る一太。
しかし男たちは聞く耳を持たない。
「行けぇぇ!!」
「うわぁぁぁぁ!!」
次の瞬間だった。
ドゴッ!
「ぐふっ!」
バキッ!
「痛ぇ!」
ゴンッ!
「ちょっ、待っ──!」
棍棒が飛び、拳が飛び、木槍の柄で殴られ、一太は一方的に袋叩きにされていた。
「だから俺は人間だってぇぇぇ!」
「ゴブリンめ!」
「村へ入れるか!」
「誰がゴブリンだぁ!」
散々殴られた末、一太の鼻からぽたり、と血が落ちる。
赤い血だった。
村人たちの動きが止まる。
「……赤い。」
「え?」
「ゴブリンの血は……紫色のはずだ。」
全員の視線が鼻血へ集まる。
しばらく沈黙が流れた。
「…………。」
「…………。」
「…………。」
「……人間?」
「…………。」
「やっべ。」
男たちの顔から血の気が引いた。
「す、すまねぇぇぇぇ!!」
全員が一斉に土下座した。
「完全に勘違いだった!」
「本当に悪かった!」
「誰が勘違いで済ませるかぁぁぁ!!」
一太は鼻血を拭きながら怒鳴る。
「半殺しにされたんだぞ!」
「詫びはする!」
「酒だ!」
「酒場行くぞ!」
「今日は全部俺たちの奢りだ!」
「……酒?」
一太の耳がぴくりと動く。
「全部?」
「全部だ!」
「飲み放題!」
「……まあ、そこまで言うなら。」
「早っ!」
ついさっきまで怒り狂っていた一太は、けろりと態度を変え、男たちに肩を組まれながら酒場へ向かっていった。
◆
「乾杯!!」
「おおおおおっ!!」
酒場はあっという間に宴会場と化した。
大ジョッキがぶつかり合い、豪快な笑い声が響く。
「兄ちゃん、強ぇな!」
「いや、全然強くねぇよ! 一方的にボコられただけだからな!」
「はははは!」
肉料理が運ばれ、酒が注がれ、一太もすっかり上機嫌だった。
「タダ酒って最高だな……。」
「だろ!」
「この村じゃ酒だけは自慢なんだ!」
「いい村じゃねぇか。」
そんな平和な空気を切り裂くように、
バァン!!
酒場の扉が勢いよく開いた。
「また昼間っから飲んでるのかい!!」
女性たちがずかずかと店へ入ってくる。
「げっ……。」
男たちの顔色が変わった。
「仕事は終わってんだ!」
「終わってないだろ!」
「狩りは朝で終わりだ!」
「だったら薪割りがある!」
「あんたたちだって井戸端会議してるじゃねぇか!」
「あれは情報交換よ!」
「何時間交換してんだ!」
「うるさい!」
一瞬で酒場は怒鳴り合いになった。
机を叩く男。
腕を組んで睨む女。
完全な一触即発である。
その時、一人の女性が一太を指差した。
「そこの人も!」
「え?」
「あんたも昼間から酒飲んでるじゃない!」
「いや、俺は今日初めて──」
「男はみんな同じ!」
「理不尽すぎるだろ!」
「この人は被害者だ!」
男たちも加勢する。
「俺らが無理やり連れてきたんだ!」
「だから何よ!」
「男同士でかばい合って!」
「なんだと!」
怒号が飛び交い、酒場中が騒然となる。
その瞬間だった。
《――地域内における対立を検知。》
一太の脳内へ、あの無機質なAIボイスが響いた。
《固有ユニークスキル【偽善】。フェーズ2を開始します。》
「げっ……。」
嫌な予感しかしない。
《対立の沈静化を開始。》
「来るなぁぁぁ!」
しかし遅かった。
一太の体が、勝手に前へ歩き出す。
男たちと女たちのちょうど中央へ。
そして口元には、あの見覚えのある神々しい微笑みが浮かんでいた。
(やめろ……! 俺は関わりたくねぇんだよ!)
それとは裏腹に、口は穏やかな声を紡ぐ。
「皆さん。」
酒場が静まり返る。
「怒りとは、自分だけが苦しいものではありません。」
(知らねぇよ。)
「互いに譲れぬ想いがあるからこそ、争いは生まれます。」
(勝手に殴り合ってろ。)
「ですが、本当に憎んでいるのは相手ではなく、すれ違いなのではありませんか?」
酒場は水を打ったように静かになった。
男たちも。
女たちも。
誰一人として口を開かない。
やがて、一人の男がぽつりと呟く。
「……確かに。」
続いて女性も俯いた。
「私たち……少し意地になっていたかもしれないね。」
(えぇ……こんなんで収まるのかよ。)
張り詰めていた空気はゆっくりと解けていき、険悪だった酒場にようやく安堵の空気が戻り始めた。
その様子を見届けた男の一人が、深くため息をつく。
「……全部、村長夫婦のせいなんだ。」
「村長夫婦?」
「ああ。」
男は苦笑しながら酒をあおった。
「数年前に夫婦喧嘩してから、旦那側と奥さん側で村が真っ二つになっちまった。」
「男は村長派。」
「女は奥さん派。」
「今じゃ何をするにも対立さ。」
一太は嫌な汗を流す。
(まさか……。)
《――メインターゲットを確認。》
脳内でAIが静かに告げた。
《対象:タカミ村村長夫妻。》
《これより夫婦関係修復プログラムを開始します。》
(やっぱり来たぁぁぁぁぁっ!!)
一太の絶叫だけが、静まり返った酒場に虚しく響き渡るのだった。




