強制依頼再び
ピュティを住み込みの家政婦――あるいは弟子として迎え入れたいところだったが、家が近いこともあり、結局は「毎日朝から通い詰める」というスタイルに落ち着いた。
「いいか、ピュティ。弟子たるもの、まずは師匠の身の回りの世話を完璧にこなすのが鉄則だ。食事、洗濯、そして掃除。この三つを疎かにする者に向学心などあり得ん!」
一太はもっともらしい大義名分を並べ立て、自身の怠惰で快適なニート生活の基盤を、ピュティにせっせと構築させる。
特に食事に関しては、あの『神の宝物庫(冷蔵庫)』がエルフ村へ寄付されてしまい手元にないため、ピュティが自分の村から美味しい食材や料理を運んでくることで補われていた。
そして、日々のルーティンの中でも、一太にとって最大の――いや、唯一の生きがいと言っても過言ではないのが「掃除」の時間だった。
ピュティが床を雑巾がけしているその瞬間、一太は特等席のソファ(ベッド)にふんぞり返り、目を皿のようにして一点を凝視する。
(ほら、もっと腰を低くしろ! そうだ、その角度だ……!)
床掃除の体勢になるたび、ピュティの無防備な胸元から魅惑の谷間がチラリ――いや、ハッキリと視界へ飛び込んでくるのだ。
「ふふっ……悪くない。実に素晴らしい修行環境だ……」
下心全開でニヤつきながら、一太は冷蔵庫紛失のショックなど綺麗さっぱり忘れ、再び最高の悠々自適な自堕落ライフを謳歌していた。
――だが、そんな極楽の日々が長く続くはずもなかった。
「……はぁ。まったく、お前というやつは……」
ある日の昼下がり。
いつものようにベッドでゴロゴロと怠惰を貪っていた一太の脳内へ、あの忌々しい自称・神様の呆れ返った声が直接響き渡る。
《――おい、一太くん》
丸太小屋の天井から響いてきたのは、すっかり呆れ果てた様子の神様の声だった。
「んだよ。せっかくの優雅なティータイム(水だけど)の邪魔すんじゃねぇよ。こっちは可愛い弟子のおかげで平穏な日々を送ってんだ。文句なら他所に言え!」
一太が不機嫌そうに悪態をつくと、神様の声はさらに冷ややかなトーンへ変わった。
《まったく、お前というやつは……。エルフの村を救ったときは少しは見所があるかと思ったが、蓋を開けてみればどうだ。美少女を弟子にして、毎日家事を押し付け、床掃除のたびに胸元を覗き見ることしか頭にないじゃないか!》
「なっ……!? 人の脳内を勝手に覗き見やがって、この変態神が!」
《人のこと言えるのかよ! せっかく慈愛のスキルを与えたというのに、お前の動機は最初から最後まで百パーセント煩悩まみれのスケベ心だ。反省の色が一切見えん!》
神様はやれやれと盛大なため息をついた。
《というわけで、お前のその救いようのないクズっぷりに、私としても一段と厳格な処置を取らざるを得なくなってね。――おめでとう。お前の固有ユニークスキル【偽善】、レベルが『2』に上がったぞ》
「は……? レベル2……?」
不吉すぎるワードに、一太の背筋が一瞬で凍りついた。
《そうだ。レベルが上がったことで介入頻度がさらに増え、対象の範囲も拡大した。これからは、よりダイレクトにお前のクズな行動を強制的に正していくから覚悟したまえ。それでは、せいぜい新しいパワーアップした【偽善】ライフを楽しんでくれ! じゃあな!》
「おい、待て! ちょっと待てぇっ! レベルアップとか勝手にするな、ふざけんなクソ神――っ!!」
プツリ、と通信が一方的に途切れた瞬間――。
《――固有ユニークスキル【偽善】のレベルアップを検知。これより、フェーズ2の強制介入を開始します》
頭の中に冷徹なAIボイスが響き渡ると同時に、一太の全身の筋肉がビクリと跳ね上がった。
自分の意思とは完全に切り離され、体が勝手にガバッと起き上がる。
「うわっ、まっ、待て! 体が勝手に……! ピュティ、助けてくれ――」
「嫌だぁぁぁーーっ!!!」
一太の悲鳴を完全に無視して、レベル2にパワーアップした【偽善】に完全支配された肉体は、恐怖に歪む顔のまま阿修羅のごときスピードで動き出すのだった。
「師匠……?」
ちょうどその時、お盆に淹れたての温かいお茶を乗せてリビングへ入ってきたピュティは、目の前で起きた光景に完全にフリーズしていた。
急に天井へ向かって一人でブツブツと怒鳴り散らしたかと思えば、次の瞬間――
「嫌だぁぁぁーーっ!!」
凄まじい絶叫を上げながら、丸太小屋の頑丈な木の扉を、自らの体ごとバァン! と豪快にぶち壊し、猛烈なスピードで外へ走り去っていく師匠。
「し、師匠……? いったいどうしたんですか……?」
ぽかんと口を開けたまま、木端微塵に砕けたドアの残骸と、はるか彼方の森へ向かって砂煙を巻き上げながら消えていく一太の背中を交互に見つめる。
やがてピュティは、ドン引きを通り越して恐怖でブルブルと震え始めた。
「こ、壊れちゃった……?」
弟子のそんな視線など知る由もなく、一太の肉体は常軌を逸したスピードで加速し続ける。
(またかよ! またあの悪夢の超音速移動かよぉぉっ!!)
ゴオオオッ!
耳をつんざく爆風の中、エルフ村の時と同様に、一太の顔面は凄まじい空気抵抗によって物理法則を完全に無視した変形を始めていた。
頬の肉は耳まで引き裂かれそうな勢いで横へ伸び、鼻の穴は限界を超えて広がる。
上下の唇はめくれ上がって歯茎が丸出しとなり、白目を剥いたまま時速数百キロで森と草原を一直線にぶち抜いていく。
涙も絶叫も流線型を描いて後方へ吹き飛び、もはや人間とは思えない顔になっていた。
それほど悲惨な状態にもかかわらず、不思議なことに脳内へ直接響く【偽善】スキルのAIボイスだけは、どこまでもクリアで聞き取りやすかった。
《――移動中につき、今回の強制救済案件について概要を説明します》
(説明しなくていい! 今すぐ俺の肉体を解放しろ、この野郎ぉぉっ!!)
脳内で血涙を流しながら抗議する一太を完全に無視し、冷徹なAIボイスは淡々と続ける。
《現在地より直線距離約十キロメートル地点に位置する『タカミ村』において、重大な緊急事態を検知しました》
(十キロ!? 結構近いな……じゃなくて、緊急事態って何だ!? 村が魔物に襲われてるのか!?)
一太は必死に最悪の事態を想像し、わずかに身構えた。
しかし、AIボイスが告げたのは、その予想を根底から覆す内容だった。
《タカミ村の村長夫妻が、ここ数年ずっと冷戦状態にあります》
(……は?)
《些細なすれ違いから始まった夫婦喧嘩を発端とし、現在では口も利かない深刻な不仲に陥っています。このままでは村の統率と家庭の平和が崩壊しかねません》
(夫婦喧嘩ぁぁぁーーっ!?)
あまりのしょうもなさに、変形した顔面のまま一太の脳内ツッコミが盛大に炸裂した。
《よって、水谷様には速やかにタカミ村へ赴き、熟年夫婦の冷え切った関係を完璧に取り持っていただきます。それが【偽善】レベル2の初陣にふさわしい、聖人君子の慈愛の所業です》
「ふざけんなぁぁぁーーっ!!」
時速数百キロの爆風を切り裂きながら、一太は顔面をぐにゃぐにゃに歪ませたまま絶叫する。
「ただの近所の老夫婦の夫婦喧嘩の仲裁じゃねぇか! スケールが小さすぎるだろ! どんだけショボい案件に全力を割いてんだよ!
俺のニート生活とスケベな下心を返せ、このクソボランティアスキルめぇぇぇーーっ!!」
全力で文句を垂れ流している間にも、一太の体は一切減速することなく森を駆け抜けていく。
木々は残像となって後方へ流れ、草原は一瞬で視界の彼方へ消え去る。
本人の意思など一切お構いなしに、【偽善】は最短距離を一直線に突き進んでいた。
(くそぉぉぉ……!
レベル1の時は魔物退治とか村の危機とか、まだ命に関わる案件だったじゃねぇか!
なんでレベル2になった途端、近所の熟年夫婦の仲直り係なんだよ!
俺はカウンセラーでも町内会長でもねぇぞぉぉぉっ!!)
涙と鼻水を後方へまき散らしながら、一太は心の底から理不尽を呪う。
しかし、その抗議が【偽善】へ届くことはない。
《目的地まで残り百メートル》
「早い! 近い! もう着くのかよぉぉぉーーっ!!」
《減速シーケンス開始》
「だから最初から行きたくねぇって言って――」
ドゴォォン!!
盛大な土煙を巻き上げながら、一太はタカミ村の入口へ豪快に着地した。
地面には大きなクレーターが刻まれ、その中心で一太は白目を剥いたままピクピクと痙攣している。
それでも【偽善】は容赦なく告げた。
《目的地に到着しました》
《これより村長夫妻の夫婦関係修復ミッションを開始します》
「……帰りてぇ」
地面に突っ伏したまま、一太は魂の抜けた声でそう呟く。
だが、そのささやかな願いが聞き届けられることはない。
こうして、レベル2へと進化した【偽善】による最初の強制依頼――
『熟年夫婦の仲直り大作戦』が、本人の意思を完全に無視したまま幕を開けるのだった。




