帰還と出会い
エルフ村での理不尽な強制ボランティアと、愛用の冷蔵庫の寄付を終えた水谷一太。
玄関のドアを開けるなり、一目散にキッチンへ駆け寄る。
しかし――そこには、見慣れた白い巨体の姿は影も形もなかった。
「……嘘だろ……マジで持ってかれた……」
冷蔵庫があった場所には、ぽっかりと虚しい空間だけが残っている。
中に入っていた高級食材も、美味い酒も、これからのニート生活を支えるはずだった絶対的ライフラインも、すべて消え去っていた。
ショックのあまり、一太はその場で膝から崩れ落ちる。
頭を抱え、絶望に打ち震えた。
「俺の引きこもり生活の柱が……! あの冷蔵庫なしで、これからどうやって生きていけばいいんだよ……! クソが、あのふざけたスキルめ……!」
しばらく床にうずくまり、ガタガタと震えていた一太。
だが、やがてふと顔を上げる。
(待て……。絶望してばかりもいられない)
(俺には神様にもらった『108個のスキル』があるじゃないか)
(冷蔵庫がダメなら、この中に食料や生活を何とかできる便利なチート能力があるはずだ……!)
藁にもすがる思いでテーブルへ這い寄り、分厚い革張りの魔道書を乱暴にめくる。
「ええと……どれだ、どれが使えそうなやつだ……?」
ずらりと並ぶ禍々しくも大層な名前のスキル群。
しかし何度読み返しても、
【魔女の息吹】
【黄昏の棺】
など、名前ばかりで説明書きは一切ない。
「名前だけかっこよくて中身が全然わかんねぇよ! なんだこのふざけた本は!」
ツッコミを入れながらも、一太は手当たり次第に試してみることにした。
「ええい、ままよ! 【竜王の爪痕】!」
勢いよく叫ぶ。
――しかし。
小屋の中は静まり返ったまま。
何一つ起こらない。
「……は? じゃあこれだ。【虚空の羅針盤】!」
――シーン。
相変わらず何も起きない。
別の名前も次々と叫んでみる。
だが魔力らしき気配すらなく、響くのは自分の空腹を訴える腹の虫だけだった。
「くそっ! 発動しねぇぞ! どうやって使うんだよこれ……!」
イライラしながらページを荒々しくめくっていた、その時だった。
ふと、一太の目が止まる。
「……ん?」
ページの端。
スキル総数が記されたインデックス部分。
そこには、さっきまで確かに『108個』と書かれていた数字が――
いつの間にか、
【107個】
へと減っていた。
「……は?」
「107個……? 減ってやがる……!?」
背筋に冷たいものが走る。
(なんでだ……?)
(俺が勝手に使ったのか……?)
(いや、何も発動してないぞ……?)
嫌な予感が全身を駆け巡る。
その瞬間、一太の脳裏にエルフ村での出来事が鮮明によみがえった。
――冷蔵庫の権利を勝手に譲渡させられた、あの悪夢。
「まさか……」
「俺が【ギフト】とかいうスキルで冷蔵庫をプレゼントしたせいで……」
「スキルそのものが『ギフト』として消えちまったってことなのか……!?」
自分の持つ最強のスキルが、自分の意思とは無関係に他人への『贈り物』として消えていく。
その衝撃の事実に、一太の顔から血の気が引いた。
冷や汗が滝のように流れる。
「ふざけんな……!」
「減るのかよこれ!」
「人助けをするたびに俺の最強スキルが没収されていくってことか!?」
「そんなの、ただの詐欺じゃねぇかぁぁーーっ!!」
丸太小屋に、一太の絶叫だけが虚しく響き渡った。
絶望の底で頭を抱えていた一太だったが、その静寂は不意に破られることになった。
コン、コン。
控えめながらも確かなノックの音が、丸太小屋の扉を叩いたのだ。
「……は? 誰だ、こんな時に……。言っとくが今は誰の世話も焼く気はねぇからな!」
不機嫌そうに悪態をつきながら、扉をガチャリと乱暴に開ける。
そこに立っていたのは、ぱっと見十五歳くらいの小柄なエルフの少女だった。
どうやら、あのエルフ村からわざわざ一太の後をつけてきたらしい。
「あの……っ! あなた様は、私たちの村を救ってくださった恩人……!」
少女は期待に満ちた瞳をキラキラと輝かせ、両手を胸の前でぎゅっと握りしめる。
「どうか、私をあなた様の弟子にしてくださいっ!」
――しかし。
今の水谷一太に、聖人君子の欠片もない。
脳内を支配しているのは、「これ以上の面倒事をすべてシャットアウトしたい」というドロドロとしたクズの欲望だけ。
幸いにも、今はあの厄介な【偽善】のスキルは発動していない。
「はぁ? 弟子だぁ? ふざけんな、お断りだ!」
一太は顔をしかめ、ゴミを見るような冷ややかな目で少女を睨みつけた。
「めんどくさいんだよ、ガキの面倒なんてごめんだね! さっさと自分の村に帰りな!」
「で、でも、私……!」
「うるせぇ、帰れっての!」
少女が何か言いかけた言葉を遮るように、一太は「邪魔なんだよ!」と言わんばかりに扉を押し開く。
まるでゴミでも追い払うかのように、力づくで少女を追い返してしまった。
◆
――しかし、それはしつこいストーカーの始まりだった。
次の日。
ガタッと扉を開けた一太の視界の隅に、昨日と同じエルフの少女の姿が映る。
「だから弟子にして――」
「お断りだ、帰れ!」
その次の日。
またしても小屋の前にちょこんと座り込んでいる少女。
「顔も見たくねぇんだよ。あっち行け!」
一太は少女の顔すらまともに見ようとせず、鬱陶しそうにシッシッと手を振る。
毎日のように容赦なく門前払いを続けた。
どうせ昨日と同じ、あのガリガリに痩せ細った骸骨みたいな顔をしているのだろう。
そう思い込み、まともに取り合う気すらなかった。
だが――。
ストーカー行為が始まって三日目。
いつものように、
「だから帰れって――」
と吐き捨てながら、一太は面倒くさそうに少女へ視線を向けた。
「……ん?」
思わず、その動きがピタリと止まる。
そこに立っていたのは、数日前にエルフ村で見かけた、骸骨のようにやつれ果てた少女ではなかった。
すっと通った鼻筋。
大きく澄んだ瞳。
どこか儚げで神秘的な透明感をまとった、紛うことなき超絶美少女。
「……は?」
「お前、誰だ……?」
あまりの変貌ぶりに、一太は間の抜けた声を漏らした。
数日前に見た、あの骸骨のような面影は微塵もない。
見違えるほど健康を取り戻し、本来の美貌が花開いたエルフの少女が、そこに立っていた。
それもそのはずだった。
一太が強制的にエルフ村へプレゼントした『神の宝物庫』の美食によって、村中が飢餓から救われたのだ。
その恩恵を受けた少女もまた、本来持っていたエルフ族としての圧倒的な美しさを取り戻していた。
その瞬間。
一太の脳内で、何かが音を立てて切り替わる。
もちろん、あれほど忌み嫌っていた【偽善】のスキルが発動したわけではない。
動機はもっと純粋で、かつてないほど不純だった。
――完全に、全開の下心である。
一太はパッと顔を輝かせると、さっきまでの鬱陶しそうな態度を一変させた。
わざとらしくフンッと鼻息を鳴らし、政治家が有権者に接するような胡散臭い笑みを浮かべる。
「ふむ……見違えたな、お嬢さん。」
「いや、君ほどの原石を見過ごしていたとは、男としての慧眼が曇っていたようだ。」
「まあ、中に入りたまえ。」
「えっ……? あ、ありがとうございます、お優しいのですね、水谷様!」
少女が目を丸くしながらパタパタと後をついてくる。
一太は丸太小屋のテーブルへどっかり腰を下ろし、まるで大物政治家のような余裕たっぷりの笑みを浮かべながら紅茶を淹れる。
――もちろん、水である。
「なに、気にすることはないさ。」
「我が人生において、美しい淑女を救うことは我がモットーだからね。」
「さて――。」
一太はスッと目を細め、前のめりになる。
そして、マシンガンのように質問を浴びせ始めた。
「君の名前は?」
「年齢は?」
「エルフは長生きらしいが、人間換算だといくつだ?」
「そして一番重要なポイントだが……現在、恋人はいるのかね?」
「は、はあ……? 名前は『ピュティ』で、人間の年齢だと、だいたい十五歳くらいですけど……恋人とかはいなくて……」
一太は一人で勝手に納得したように大きくうなずく。
そして、さらに顔を近づけると、下劣な好奇心丸出しの笑みを浮かべながら、とどめの質問を放った。
「素晴らしい!」
「では最後に、今後の生活指導および健康管理のデータとして、君の『スリーサイズ』を教えてもらおうか!」
「バスト、ウエスト、ヒップの数値だ!」
「さあ、包み隠さず報告したまえ!」
政治家のように偉そうな口調で、堂々とセクハラまがいの質問を投げつける一太。
しかし、大森林で育った世間知らずのエルフの少女・ピュティには、その横文字の意味がまったく分からなかった。
「……すりーさいず……?」
小首をかしげ、きょとんと瞬きをする。
「なんですか、それ? 美味しい木の実の名前ですか?」
「くぅ~~、可愛いから合格!」
一太は満面の笑みで親指を立て、グッドポーズを決めるのだった。




