堕落と強制
「――っ、ぶっ……!」
ガバッと上半身を起こした水谷一太は、荒い息を整えながら周囲を見回した。
頭がガンガンと痛む。
さっきまで真っ白な空間の底へ真っ逆様に落ちていたはずだが、気絶している間にどこかに着地したらしい。
(ここは……どこだ?)
土の上ではなく、どこか木の温もりを感じる頑丈な床の上だった。
視線を巡らせると、そこはこぢんまりとした丸太小屋の内部だった。
粗末ではあるがベッド、小さなテーブル、簡素な暖炉が備え付けられており、窓の外からは鳥のさえずりと共に、鬱蒼とした大森林の緑が広がっていた。
見知らぬ異世界。
路頭に迷う絶望的な状況――のはずなのだが、一太の脳内は別の感情で満たされていた。
「……ベッドふかふかじゃねえか。ていうか、めちゃくちゃ静かで空気もうまいぞ……?」
借金取りに追われることも、満員電車に揺られることもない。
過酷なサバイバルを覚悟していた一太にとって、この綺麗な一軒家はあまりにも好都合だった。
「ひゃっほーい! まさかの拠点付き転生とは、あのクソ神様もたまには粋な計らいをしやがる!
これなら当面は働かずに、のんびりニート生活を満喫できるぜ!」
一太がガッツポーズをして歓声を上げた、その瞬間だった。
《――おや、気に入ったかね?》
「うおっ!?」
突如、頭の中に直接響いてきたのは、あの憎たらしい自称・神様の声だった。
《そこは、私からのささやかな『初期サービス物件』のログハウスだ。
一文無しで放り出されたお前が、道端のゴブリンの餌食になって一瞬で犬死にするのも見どころがないからね。
最低限の雨風をしのげる安全地帯をプレゼントしてやったのさ》
「神様……って、おい!
勝手に人の頭の中に声出しやがって!
つーか、この家、本当に俺にくれるのか?
あと、例の『108個のスキル』とかいうのはどうなってんだよ!」
一太が頭を抱えて抗議すると、神様の声はさらに楽しげに響いた。
《安心しろ、お前の体の中にちゃんとセットしてある。
まあ、詳しい使い道やステータスの確認は、目の前のテーブルの上にある『それっぽい魔導書』でも開いて自分で確認するんだな。
……それじゃあ、せいぜい地獄の代わりにその世界で楽しく足掻いてくれたまえ。じゃあな!》
「おい! ちょっと待――」
プツリ、と頭の中の通信が一方的に途切れた。
「……行っちまったな、あの野郎」
一人残された一太は、やれやれと肩を落としてから、神様が言っていたテーブルの方へと歩み寄った。
そこには、いかにもファンタジーRPGに出てきそうな、分厚い革張りの古びた本が無造作に置かれていた。
「これが噂のステータスボード代わりってやつか?」
半信半疑のまま、一太がその本をペラっとめくった瞬間――
バァァン!!
目の前に、まばゆい光のウィンドウがいくつも重なり合って飛び出し、一太の視界を盛大に埋め尽くした。
「うおおっ、まぶしっ……!
なんだこれ、ステータス画面か?」
ずらりと並んだ文字をスクロールしていくと、そこには確かに「108個のスキル」の羅列が記されていた。
しかし――。
【魔女の息吹】
【神の一撃】
【黄昏の棺】
【星屑の涙】
【虚空の羅針盤】
【竜王の爪痕】
【無銘の墓標】
「いや、名前だけかっこよくて中身が全然わかんねぇよ! なんだこれ!」
ツッコミを入れながらさらにスクロールしていくと、リストの一番下にひっそりと、だが異様な存在感を放つ項目があった。
ユニークスキル:【偽善】
ユニークスキル:【ギフト】
「おっ、これか噂のユニークスキル……って、こっちも説明書きが一切ねえじゃねえか」
一太は分厚い魔導書をパタンと乱暴に閉じ、ベッドの上にドサリと倒れこんだ。
「まあ、いっか。よくわかんねえや。
どうせ俺を無双させるためのチートだろ。
とりあえず、この最高の家でダラダラ過ごすぜ!」
◆
それから、一週間が経過した。
神様からもらった丸太小屋の中で、水谷一太は最高にクズで最高に贅沢な時間を謳歌していた。
備え付けの冷蔵庫を開ければ、なぜか賞味期限の切れない高級食材や美味い酒が無限に出てくる。
ベッドは雲のように柔らかく、窓の外の景色は最高だ。
だが、一太が一歩も外に出る気配は微塵もなかった。
「ふははは! 最高だぜ、この生活!
労働なんてクソ食らえだ!
誰がわざわざ外の危険な森になんか行くもんか、このまま一生ここで干からびてやる!」
パジャマのままで干し肉をかじり、ベッドの上でゴロゴロと転がりながら、自堕落なニート生活を丸々一週間も続けていた。
しかし、その平穏は突如として破られることとなる。
《……あのさ、一太くん》
丸太小屋の天井から、いつものあの憎たらしい神様の声が、今度は珍しくすっかり下手に出た、おずおずとしたトーンで響いてきた。
《その、なんだ……。
せっかくの108個のスキルもあるわけだしさぁ、お願いだから、そろそろ外に行って旅立ってみたらどうだい?》
神様のあまりの低姿勢さに、一太はムッとしてベッドからガバッと起き上がった。
「はぁ!?
何言ってやがるんだテメェは!
せっかく手に入れた最高の引きこもりライフだぞ!
外に行ったら面倒事に巻き込まれるに決まってんだろ!
俺がどう過ごそうが俺の勝手だろ!
人の自由を邪魔すんじゃねえよ、この役立たずの悪徳神め!」
一太はベッドの上からまくしたてるように怒鳴り散らし、枕を天井に向けて思い切り投げつけた。
《い、いや、俺っちもね、一応こうして管理者として心配して……》
「うるせぇ!
出ねぇよ、絶対に出ねぇからな!
文句があるならもう一回俺を別の場所に飛ばしてみやがれ!
どうせどこでも寝てやるからよ!」
神様を散々罵倒し、勝ち誇ったように鼻を鳴らした、その瞬間だった。
一太の脳内の奥底で、冷徹なAIボイスが「ピピッ」と耳障りな電子音を鳴らした。
《――主人の暴言および、社会的救済の放棄を検知》
「……ん? なんだよ急に」
《これより、固有ユニークスキル【偽善】の強制介入レベルを引き上げます。
保有者の意思による拒絶権を完全破棄。
――緊急クエストを発令します》
「は? ちょっと待て、おい、やめろ、何をする――」
直後、一太の全身の筋肉が、まるで何者かに乗っ取られたかのようにビクリと硬直した。
自分の意思とは完全に切り離され、体が勝手にガバッと起き上がる。
《スキャン完了。
現在地より半径二キロメートル以内のエリアにて、不作と貧困により深刻な飢餓に苦しみ、明日をも知れぬ窮地に陥っている村の反応をキャッチ》
「ふざけんな!
飢餓の村ってなんだよ!
俺に関係ねぇだろ!
動くな、俺の足!
外に出るな、ベッドに戻れぇぇっ!」
《警告。
ゴミクズのような引きこもり生活の継続は【偽善】の理念に反します。
直ちに聖人君子としての慈愛の心を持ち、直ちに救助に向かいます》
「誰が聖人だ、クソがあぁぁっ!!」
一太の絶叫を無視して、足は勝手に――もはや音速に近い驚異的なステップで、丸太小屋の玄関の扉をバァンと盛大に蹴破った。
体は完全に【偽善】の操り人形と化し、恐怖と絶望に歪む顔のまま、阿鼻叫喚の叫び声を上げながら、阿修羅のごときスピードで鬱蒼とした危険な大森林へと走り出していったのだった。




