【7話目】体の大きな男の子が怒鳴り込んできたら怖いのです
9月になって、予定通り亜梨花は家に帰ってきた。
久しぶりの部屋は、暑い熱気がこもっていて息苦しい。
空気を入れ替えるために、窓を開ける。
それから着ていた洋服を脱いで、ベッドに倒れこんだ。
「あー疲れたよ~やっぱり家が一番」
開け放した窓から風が入ってきて、気持ちが良かった。
今日は1日、家にいられる。
朝一番で帰ってきたから、まだ今日はたくさん時間が残っている。
何しようかなと考えていたんだけど、目を閉じるとすぐに、眠気が……。
エアコンつけたいな、シャワーもしたい。
そう思っていたのに、いつしか眠りに落ちていた。
どれくらい眠ったのか、目が覚めると汗びっしょりになっている。
バスルームへ行き、シャワーを浴びた。
スッキリして裸にバスタオルを巻いただけの格好で部屋に戻るとすぐ、玄関のチャイムが鳴った。
透弥が来る予定だけど、来るのは夜だと言っていたはず。
時間を見ると、もうすぐ午後三時になるところだった。
バスタオル一枚の格好だし、まだ髪も濡れているし、たぶんセールスか勧誘だろうと決め付け、亜梨花はしつこいチャイムの音を無視することにした。
けれどすぐ、スマホが鳴り、見ると功至からで……。
「おまえ、今どこにいる?!」
出るとすぐに怒鳴りつけられる。
「家……」
「いるなら開けろ!」
ドアが叩かれた。
そこにいるのは、功至だったらしい。
いったい、何しに来たの?
あまりにドアをドンドン叩くものだから、うるさくて敵わない。
ドアを開けようとして、ハッと思いとどまった。
シャワーを終えたばかりの身体には、バスタオルが一枚巻かれているだけなのだ。
まさかこんな格好で功至に会うわけにはいかない。
「開けろ。無視する気か!」
「待ってよ。すぐ開けるから待ってて」
ドアの向こうに言いながら、亜梨花はいったん部屋の奥に走る。
とりあえず手近にあったキャミソールを着て、スカートを履いてから玄関に戻った。
「透弥に近づくなって言ったはずだ」
ドアをちょっと開けたくらいで、すぐに上から功至の怒鳴り声が降ってくる。
「透弥のやつ、実家に帰るって言ったくせに、帰ってないんだ。やっとこっちに帰ってきたところを問い詰めたら、おまえのとこに行ってたって言う。おまえ、どうやって透弥を誘惑したんだ」
一気に捲くし立てられ、すぐに状況が把握出来なかったけれど、最後の”誘惑”だけは記憶に残ったから
「誘惑なんかしてないもん。向こうが勝手に来たのよ」
否定しておいた。
「なんだその言い方。透弥をバカにしてんのか!」
功至が手を振り上げる。
殴られる。と咄嗟に思って、亜梨花はぎゅっと目をつぶって顔を背けた。
「何とか言えよ。男なら誰でも思い通りになると思ってんだろっ!」
「思ってないよ──」
「一樹だって暁登だって、亜梨花、亜梨花っておまえのことばっか話すし、一体おまえの何がいいんだよ」
「知らないよ。私、何もわかんないもん」
チラッと見ると、功至の振り上げていた手は、ぎゅっと握られていて、さらに小刻みに震えているようで、亜梨花はどんどん不安が増して怖くなってきていた。
「わかんない? ふざけてんのか!」
「ふざけてな……」
あまりの迫力に後ずさりした。
そしてすぐに亜梨花は自分の行動を後悔することになる。
功至は亜梨花を追うようにして、部屋の中まで勝手に入ってきた。
「嫌……、来ないで……」
功至は部屋に入ると、ベッドに腰掛けた。
そして部屋をぐるりと見回している。
「ねえ、出てってよ」
いつでも逃げられるように、亜梨花は玄関のほうに走った。
「なんだこの部屋」
「……なんだって。何よ」
文句あるの? 散らかしているつもりはない。むしろ──。
「殺風景な部屋だな」
そう。
亜梨花の部屋は殺風景だと、紗夜にいつも言われる。
単に、無駄なものを置いていないだけ。功至の発想が、苦手な紗夜と同じだったことが笑える。
「女のくせに、ぬいぐるみとかないんだな」
「ぬいぐるみ?」
あいにく、そういうものに亜梨花は興味がない。
「私は興味ないから」
「おまえ。変わってるな」
「そうかな」
「うん」
うなずくと功至は亜梨花の顔をじっと見た。
「化粧だって濃くないしな」
「うん、まあ」
濃くない、と言うより今は素顔だ。
普段でもほとんど化粧はしない。
もともとの顔がはっきりしているからメイクはしないことが多い。
「女なんて、みんなまつ毛バサバサさせて、目の周り真っ黒でさ、唇なんか天ぷら食った後みたいなんだぜ」
この人、透弥につきあってとか言ったらしいし、女嫌いなのね。
「部屋にはごちゃごちゃわけのわかんねーもんいっぱい集めて並べてんだ」
そう思って黙って聞いていたけど、かなりひどい言葉ばかり言ってる。
「無理して寄せあげだかなんだか知らねーけどさ、胸の谷間強調しやがってよー。気持ち悪いんだよ、ったく」
女の子が聞いたら怒りそうな言葉の羅列だけど、そういう女ってどこかにいたような……。
「暁登と付き合った女、紗夜っていたじゃん?」
紗夜……ね。そっか、紗夜だ。
「アイツなんか最悪の代表!」
「そんな風に言わなくてもいいじゃん。紗夜はキレイにしてるだけなんだし」
一応友達だから、庇ってみたけれど、内心おかしくて笑いを抑えるのに必死だった。
「キレイを間違ってんの。早く気づけよって思うぜ。その点、おまえはキレイだな」
「……そ、そう?」
いきなり褒められてしまい、何か企んでいるのではないかと身構えた。
「人間も食べ物も素材を大事にしなきゃいけない」
素材? 今度は何を言い出すんだろう。
「余計な味付けは素材のうまみを殺してしまうんだ。人間も同じ。余計な飾りはいらない。石鹸の香り、化粧をしていない顔。無駄なものがない部屋。いいなぁ」
功至はひとり納得したように、笑顔でうなずいている。
「第一、胸がでっかくないのがいい。特にいい」
功至の視線の先には、亜梨花の胸元。
自慢じゃないけれど、小さめの胸は亜梨花の密かなコンプレックスだ。
寄せてあげようにも、それだけのものもない。
今まで、がっかりされることはあっても、褒められたことはなかった胸。
まさかそれを功至に「いい」って褒められるとは思いもしなかった。
「それによー、俺、医学部じゃんか?」
「そうだっけ」
「そうなんだよ。いいなー、その反応の薄さ」
「反応、薄いのがいいの?」
そんなことも覚えてないのかって怒られるかと思ったのに、意外だった。
「女なんてさ、医学部なの? かっこいいーって言うんだぜ、医学部がカッコイイ? 何だその単純な思考回路は、って思うぜ、マジで」
「そうなんだ」
「そうなんだよ。そのくせ、ちょっと暁登が誘いをかけたら、そっちにもなびいて行きやがるんだ。女なんて信用なんねー」
そういえば、紗夜も言った。
『功至くんって医学部なんだよ、カッコイイでしょ』って。
「まあ、透弥がおまえに惹かれた気持ちもわかったよ」
「……わかったの?」
「透弥もあの顔のせいで、顔だけで女に良く追いかけられてるんだけどさ、性格地味じゃん?」
地味っていうか、あんまりしゃべるの得意じゃなさそうではある。
「追いかけて来たくせに、つまんねーって女が離れてくんだ。思ってたのと違ったってさ。おまえらが勝手に透弥のこと誤解しておいて、それはないだろーって思うだろ?」
「ないね」
聞かれたので答えておくけど、実のところどうでもいい、良くわかんない。
「いいな、おまえ話がわかってる! でな、そういうのばっかで、透弥も女は面倒だとか言っててさ、同じ女嫌いってとこの価値観の一致っつーの? 透弥と話が合ってさ」
透弥って女嫌いって、言ってたっけ?
むしろ、女の子がいいんだって言ってたけどな。
そう思ったけど、口は挟まないほうが良さそう。
「今じゃ親友以上だな。あ、でも変な意味じゃないからな。大事な友達なんだ。だから心配なんだ。おまえも透弥の顔だけなのか? って思ってさ」
急に功至は亜梨花に「いろいろ悪かったな」と謝った。
「透弥を頼む。俺が許すことじゃないけどさ、仲良くしてやってくれよな」
そして笑顔で手を振り、功至は帰って行った。
玄関のドアを閉めた途端、亜梨花は身体の力がふっと抜けた。
言うだけ言って、ひとりで納得して功至は帰っていった。
透弥を頼むって言われた。
「どうしよう……」
まだ好きかどうか、わからないくらいの気持ちしかない。
一緒にいて楽しくなかったわけじゃないけれど、ドキドキして嬉しくて会いたくてたまらないってほどの高揚感はない。
今までもそうだったけれど、透弥に対しても、これが恋愛感情なのかどうかわからない。
曖昧な感情でしかない。
それとも、嫌いじゃないってことは、好きだってことだろうか。
嫌いな気持ちはわかりやすいのに、好きな気持ちは認めるのが難しい、と亜梨花は思う。
紗夜や那絵が言っているように、目が合っただけで胸がきゅんってなる感覚とか、好きなひとを思って眠れない夜とか、経験がなくてわからない。
男の人に「好きだ」って言われたらだんだん意識して好きになっちゃうものだ、って紗夜は言うけれど。
亜梨花にその感覚も理解できない。
いきなり「好きだ」なんて言われても、そのひとのことを知らないことがほとんどで、迷惑とまではいかないにしても、しつこくされると余計うんざりしていた。
紗夜に言わせると亜梨花は贅沢なんだそうだ。
理想が高すぎるとか、男に不自由してないからだとか、言いたい放題言われる。
だけど、好きでもない男の人と一緒にいることは、贅沢なんかじゃないだろう。
苦痛でしかないのに。




