【5話目】何が起きているのかわかりませんが出張に行ってきます
翌朝になって、午後から試験があるらしく、透弥は一樹と一緒に帰って行った。
試験の前日に飲もうなんて、余裕だなって思ったけど、余計なことは何も言わないでふたりを見送った。
結局、寝ていたとはいえ、すぐそばに一樹がいたし、我を忘れて溺れるほどには亜梨花は酔っていなかった。
ベッドの上に誘われたとき、ふと我に返った亜梨花は、首を横に振って断ったのだ。
「ごめん、そこまではできない」
「そっか」
だからと言って、透弥は怒るわけでも、強引に誘うでももなくあっさりと引いた。
それぞれ別の場所で眠ったけれど、亜梨花はほとんど眠れないまま朝を迎えた。
透弥と目があったけど、顔色ひとつ変わらないなんて、なんでそんなに冷静でいられるの?
亜梨花のほうが意識しまくっていた。
あんなことをやっておきながら、そういう態度って……。
もしかすると、ものすごく酔っていたから記憶になかった。なんてことも考えられる。
酔いに任せて誘って、唇まで奪って。
しかもちょっと胸まで触られてしまった。
好きだと言われたわけでも、付き合おうといわれたわけでもない。
ただキスされただけだ。
これじゃあ、キスのやり逃げみたいだ。
やり目? キス目?
何も予定がないまま、だらだらと休日を過ごした夕方、紗夜から電話があった。
「暁登と付き合うことになったの」
電話の向こうの紗夜の、ちょっとだけ自慢げな顔が思い浮かぶような口ぶりだった。
「おめでとう。良かったね」
わざわざ教えてくれたのは、暗に邪魔するなって言いたかったんだと思う。
那絵のことがあったから、那絵から一樹を取ったように思われているのだ。
亜梨花は友達の男を取る気もないし、ふたりの邪魔をする気もまったくないのだが、勝手に男が近づいてくるのだからしょうがない。
無意識に誘惑してるのよ、そしてあんたはモテてるんじゃなくって体目的にされてるだけよ、と紗夜に言われたこともあったが、そんなの知らない。
紗夜の電話を切ったあと、ひとつため息を落とした。
どうして紗夜と友達してるんだろう。
上から来るし嫌味も言われる。
疲れるだけなのに、どうしてなんだろうと毎回思う。
「紗夜も、私が嫌いなら関わらなきゃいいのに!」
スマホをベッドの上に置いて、その傍らに寝転んだ。
亜梨花は自分から連絡はしない。
なのにいつだって紗夜のほうから連絡をよこす。
恨みがましくスマホを睨んでた瞬間、それに反応するかのようにスマホが鳴った。
「……誰だろう」
見たことのない番号だった。
とりあえず出てみると。
「透弥のこと狙ってんのか!」
いきなり耳元で怒鳴られたからビックリした。
「誰?」
「誰じゃねーよ。声くらい覚えとけ!」
「は? わけわかんない」
「わかれよバカ! 俺だよ俺」
「俺って誰よー」
「わかんねーのかよ、頭悪いな!! 功至だよ」
「功至くん?」
どうして功至が亜梨花の番号を知っているのか。
それはすぐにわかった。
たぶん透弥だ。昨日、透弥ともLINE交換をしていたのだ。
そうだ、電話番号も聞かれたから教えてた気がする。
それにしても、勝手にひとの番号を功至に教えるなんて、ちょっと心外だ。
「おまえ、透弥狙ってんだろ!」
「……なんでそんなに怒ってんの?」
怒りたいのはこっちのほうだ。
「うるさいな。狙ってんのかって聞いてるんだよ」
「別に。透弥くんとは何でもないし」
「何でもないのに番号の交換なんかすんな!」
功至が言うには、透弥のスマホを見たら、亜梨花の番号があって、それを勝手に見てムカついているらしい。
勝手に人のスマホのぞいて、勝手に怒って、勝手に私に怒鳴ってるの?
意味わかんない。
「とにかくな、これ以上透弥に近づくなよ。わかったな!!」
怒鳴るだけ怒鳴って、一方的に電話は切られた。
「なんなのよ」
要するに、功至が言いたかったのは透弥と仲良くするなって言うことだ。
良くわからないけれど、透弥は功至の"モノ"なのだろうか。
「まさか、付き合ってたりして」
最近読んだBLマンガを思い出した。
男の子同士の恋愛を描いたもので、ちょっと面白かったんだけど、現実にはそうそうありえないことだろうなって思いながら読んだ。
でも、あったって不思議ではない。
それより功至って医学部で頭はいいのかもしれないけれど、抜けてるところがあるらしい。
非通知でかけてこなかったせいで、功至の番号の履歴が残ってるのだ。
今後何かの役にたつかもしれないと思い、亜梨花は功至の番号も登録しておいた。
翌日、仕事に行くと上司の中原に呼ばれた。
上司と言ってもまだ29歳。
独身で結構いい男だったりする。
最近、すごい年下の彼女と別れたばかりらしい。
そんな噂を、パートの奥さんたちから聞かされた。
かなり落ち込んだ日々を送っていたようだけれど、やっと少しだけ元気になってきたようだ。
亜梨花は特に興味もなかったので、
『真実はどうなのかしら』なんてヒマさえあれば騒いでる奥様方とは話が合わない。
肩書きは主任。
中原主任は、みんなのスケジュール管理とか仕事の割り当てなどを調整するのが主な仕事らしい。
この事務所では一番偉いひとで、ちゃんと主任室という個室もあるのだ。
「早速だけど、今日から地方に行ってくれ」
「今日ですか?」
「うん。もうすぐ夏休みだろ? テーマパークでイベントが開催されるんだけど、地方だから当然向こうに滞在してもらわなければならない。うちからは2人、桜井とキミとで行ってくれ」
「地方ってどこですか?」
「熊本だ。8月いっぱい。約一ヶ月ってとこだね」
熊本か、いいな、地方へ行くのは楽しい。
熊本と言えば、熊本ラーメン、馬刺しが頭に浮んだ。
仕事よりも食べ物のほうに興味津々。
お休みの日には、旅行気分で観光も出来るし、会社がちゃんと宿泊場所も準備してくれるから結構楽しい。
温泉も入りたいな。
「今から帰って荷造りしてきなさい。午後から出発だ」
いつもはこんな急に仕事は決まらない。いきなりだとしても、3日くらいの余裕があるのだ。
よほど緊急を要するのだろうか、と亜梨花は思いながら帰宅した。
とりあえず、身の回りのものをバッグに詰めた。
それから一ヶ月分の必要なものをダンボールに詰め、滞在先へ送る。
移動するのに車があれば便利だと思うけれど、事故があったらいけないとかで
マイカー移動は禁止になっている。
事務所へ戻って、中原主任の手配した列車の切符をもらって桜井くんと一緒に熊本へ向かった。




