第96話 海底の拠点
翌朝、俺たちは早くから浜辺に集まった。昨夜のうちにオケアノスから降ろした資材が、砂の上に整然と並べられている。透明なドームパネル、連結チューブ、エアロック、浮力調整装置、生命維持装置。どれも、見たことのない形状だが、ヨルはアビス号とオケアノスから設計データを取得したらしく、手順は大丈夫らしい。
「まずは、潜水服を着る。建設予定地の深度二十メートル程度なら、これで十分だ」
桐生船長が、耐圧スーツを手渡してくれた。浅海作業用の簡易スーツだそう。着用してみたが、手先は自由に動き、呼吸も問題ない。
「リヒトさん、準備はいいですか」
「ああ。行こう」
俺、桐生船長、早見航海士、それに大隅博士の四人が、潜水服を着て浅瀬へと入る。陽奈たちは浜辺から見守り、ヨルは通信で指示を出す。アルテミス三機も、補助用として、水中作業用に改造して随行させた。
浅瀬の海底は、白い砂が広がり、ところどころに岩礁がある。水深は約十五メートル。太陽の光が行き届き、視界は良好だ。オケアノスから運んだ資材を、まずは海底に下ろす。デミの重力制御を使い、パネルを慎重に配置していく。
「ドームの基礎は、この岩礁を利用します。平らな部分にアンカーを打ち込み、ドームの土台を固定してくだい」
ヨルの指示に従い、桐生船長と早見航海士がアンカーを打ち込んでいく。さすがというか、アビス号の乗員はこうした作業に慣れているな。手際がいい。
「リヒトさん、ドームパネルを一枚ずつ組み上げます。まずは一番下のリングから」
「了解」
デミでパネルを動かし、所定の位置に嵌めていく。透明なパネルが、次々にドームの形を成していく。まるで、海中に泡が浮かび上がるようだ。連結チューブを取り付け、エアロックを接続する。一時間ほどで、ドームの骨格が完成した。
「次は、内部の気密チェックと、生命維持装置の設置です」
「わかった」
エアロックから内部に入り、気密を確認する。ヨルの指示で、生命維持装置を起動。ゆっくりと、ドーム内に空気が満ちていく。
「酸素濃度、正常。二酸化炭素、正常。温度、快適です。ドーム内は、安全に保たれています」
「よし、みんな。大丈夫そうだ。入れるぞ」
俺は、浜辺にも連絡する。
♢
陽奈たちが、次々と潜ってくる。葉月、楓、雫、それに、他の村人たちも。皆、ア
ビス号の簡易スーツを着ている。ドームの中に入ると、一斉に歓声が上がった。
「すごい! 海の中の建物!」
陽奈が、ドームの透明な壁に手を触れる。壁の向こうでは、小さな魚たちが泳ぎ、陽光がきらめいている。
「これが、海中ドーム……!」
楓が、記録用の端末を構える。
「まるで、別の世界に来たみたい」
「天井も、透明なんだ」
葉月が、見上げる。ドームの上部からは、水面越しの光が降り注ぎ、波の模様が揺れている。まるで、海中に浮かぶ泡の中にいるようだ。
「快適ね。ここなら、長時間いても平気よ」
雫が、壁際のベンチに座る。
「リヒトさん」
桐生船長が、俺のところへ来て、真剣な表情で言った。
「ここを、我々の海中探索の拠点にしたいのです。アビス号の乗員は、やはり海底の調査を続けたいと思っている。このドームがあれば、長期の活動が可能になる。それに、ここからネプチューンで潜れば、たとえば深海へのアクセスも格段に良くなります」
「そうですね。確かに、皆さんにとっての研究拠点は必要でしょう」
俺はうなずく。
「ここを拠点にするなら、ネプチューンのドックも作りましょう。いや、その前にネプチューン二号を作成した方がいいかな。このドームの側面に接続して、潜水艇の発着を簡単にできるようにする。それと、物資の運搬用に、もう少し大きな接続チューブも必要だな」
「よろしいのですか」
「もちろんです。海のことは、アビス号の皆さんのほうが詳しいですからね。頼りにしていますよ」
桐生船長は、少しだけ目を細めて、それから、深くうなずいた。
「ありがとう。必ず、期待に応えてみせますよ」
♢
アビス号の乗員たちは、早速、内部に観測機器を設置し始めた。大隅博士は、ドームの壁面にモニターを並べ、海底の地形データを表示している。早見航海士は、ネプチューンのドックの設計を、ヨルと一緒に進めている。
「リヒトくん」
陽奈が、ドームの中央に立って、俺を呼んだ。
「ここ、本当に海の中なんだね」
「ああ。信じられないか?」
「うん。でも、信じられるよ。だって、私たち、もうたくさんの『信じられない』を現実にしてきたじゃん」
「そうだな。畑も、家も、牧場も、医療棟も、温泉も。全部、最初は夢みたいな話だった」
「でも、叶えた」
陽奈はしばらく、ドームの壁の向こうを眺めていた。魚が、光の中を泳いでいく。波の音が、水を通して、静かに響いてくる。
「ねえ、リヒトくん。ここに、いつか、みんなで住めるかな」
「住めるさ。ドームを増やして、チューブで繋いで、もっと大きな町にする。海底に、もう一つの煌星村を作るんだ」
「いいね。それ、すごくいい」
ドームの外では、潜水スーツに身を包んだアビス号の乗員たちが、新しい観測機器を設置しているのが見える。アルテミスたちも、資材を運んでお手伝いしている。
「でも、まだまだ、やることはあるな」
「うん。でもさ、今は少しだけ休もうよ」
「そうだな」
俺たちは、ドームの壁際に並んで座った。透明な壁の向こうに、海が広がっている。光が、水が、命が。この星の、もう一つの世界。そこに、今、俺たちの新しい拠点が生まれた。それは、とても静かで、とても力強かった。
俺は、モジュールの内部を見渡した。透明なドームパネル、深海用のスーツ、資源探査装置、エネルギーシステム。拠点としての、立派なひとつ。
「陽奈の言う通りだったな。夢が現実になる日は、想像以上に近そうだな」
昨日の陽奈の言葉を、反復するように俺は言う。それを聞いた陽奈は、穏やかに笑う。
「でしょ。ねえ、リヒトくん。わたし、こういうところで結婚式とか挙げたいな。なんか、夢があって良くない?」
「結婚・・・・・・なにいってんだ、陽奈」
唐突に出てきた単語に、俺は戸惑う。そんな俺を見て、陽奈は「あはは、リヒトくん、顔真っ赤だよ」とからかってくる。
「いや、だって陽奈が突然、変なこと言うから・・・・・・」
「うん、そうだね。でもさ、そういうことも、ちょっとは考えていいんじゃないのかな? 結構、生活も安定してきたし・・・・・・産めよ増やせよ、みたいな段階になってきているんじゃないかな」
陽奈は、誰かと結婚とか、考えているのだろうか。心にさざめきが起こるが、口には出さない。
「ま、確かにな。俺たちがそういう家庭を持つのは、もうちょっと先だとしても・・・・・・乗員の中には、若いご夫婦とかもいる。こどもが生まれるときのことを考えて、出産用の施設のことは考えないといけないかもな」
「うん。頼みましたよ、村長さん」
「任せておけ」
俺たちは、それからもう少しのあいだだけ、ゆらゆらと生き物たちが行き来する、海中の光景を眺めていた。




