第93話 温泉、始動
翌日の夕方。温泉までの道がついに完成した。
朝からデミをフル稼働して、最後の区間を仕上げた。アルテミスは石を敷き、手伝いの小松さんたちが側溝を整えた。幅は三メートル、勾配も緩やかで、テラ・キャリアでも楽に通れる。川沿いの景色を眺めながら散歩もできる、気持ちのいい道だ。
「よし、完成だ」
俺が最後の石を置くと、手伝ってくれた村人たち数人が、拍手を送ってくれる。
「長くかかりましたね」
「いや、早かったですよ。わずか二日で、この距離ですから」
「デミさまさまですね」
「皆さんの力もあってこそです」
皆、汗を拭いながら、満足そうな顔をしている。俺も同じ気持ちだった。この道が通れば、誰でも温泉に行ける。村人全員が、この山の湯を楽しめるのだ。
「さあ、みなさん、どうぞ。これからは、入り放題ですよ」
俺が言うと、小松さんたちは顔を見合わせた。そして、誰かが言った。
「リヒトさん。俺たちは、後でいいです」
「え?」
「まず、アビス号の人たちを入れてやってください」
小松さんが、みんなの意見を代表するように前に出た。
「あの人たち、長いこと冬眠してたんです。体が疲れてるかもしれない。まずは、あの人たちに、ゆっくりしてもらいましょう」
「でも、俺の手伝いでみなさんもお疲れなんじゃ・・・・・・」
「いいんです。俺たちは、明日にでも」
「そうだそうだ」
「俺ら、そんな大して疲れてねーしな」
「アビス号の人たちを、まず」
手伝ってくれた村人たちの声が続いていく。俺は少しだけ驚き、それから、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
「・・・・・・わかりました。じゃあ、アビス号の人たちを、案内しましょう。ですが、小松さんたちも入ってください。温泉は広いですしね」
俺は温泉を眺めながら言う。
「テラ・キャリア、出しますね」
「ウィンドリーフも何台か」
「ヘルメスも必要かな」
俺たちは、手分けして準備を開始する。
♢
村に到着して、アビス号の乗員たちに温泉の招待の件を話す。彼らは最初は遠慮していたが、皆の押しに負けて、しぶしぶといった様子で、でもどこか嬉しそうに、温泉行きのテラ・キャリアに乗り込んだ。
テラ・キャリアの荷台に、十五人が乗る。ウィンドリーフが十五台、ヘルメスが九機。合わせて、三十九人の乗員全員を、一度に運べる計算だ。テラもウィンドリーフヘルメスも、ヨルが操縦してくれるそうだ。これに加えて、小松さんたち手伝ってくれた村人組も、自分のウィンドリーフで同行する。
俺はヘルメスを操作して、先導していく。
夕日が水面に映り、森の木々が影を落とす。眼下では、テラとウィンドリーフが、静かに走っている。
やがて、風が湯の匂いを運んできた。
「もう少しで、温泉です」
「楽しみだな」
「長いこと、硬い床で寝てたからな」
「湯に浸かれるだけで、ありがたい」
乗員たちの声が、聞こえてくる。桐生船長、早見航海士、そのほか全員がどこかほっとした顔をしている。長い冬眠は、体に負担をかけたのだろう。
温泉に到着すると、俺は脱衣所を案内し、湯船を指さした。
「男湯と女湯があります。タオルは、そこの籠に準備しておきました。ゆっくりしてってください」
「ありがとう、リヒト君」
桐生船長が、深くうなずいた。
「遠慮せず、長く浸かってください。湯は、いくらでも湧いてますから」
「そうさせてもらう」
俺は、温泉の入り口を出て、少し離れた場所にあるベンチに腰を下ろした。ここからなら、湯船の様子は見えないが、声は聞こえる。しばらくして、男湯と女湯の両方から歓声が上がったのが、微かに聞こえてくる。
「ああ、気持ちいい……」
「体の芯まで、温まるな」
「長い冬眠の疲れが、溶けていくようだ」
「この湯、肌に優しい」
「硫黄の香りが、いい」
「山の景色が、最高だ」
声は、次第に和やかな色彩を帯びていく。そこに笑い声も混じる。
「肩まで浸かろう」
「あとで、もう一回入ろう」
そんな声を聞きながら、俺はベンチに深く腰掛けて、空を見上げる。夕日が、山の稜線に沈んでいく。空は、紫から藍へと変わっていく。
「リヒトくん」
陽奈が、隣にやってきて、座った。
「みんな、すごく喜んでるね」
「ああ」
「道、作ってよかったじゃん」
「そうだな。二日かかったけど、その価値はあった」
陽奈は、少しだけ俺の肩に寄りかかって、それから、ぽつりと言った。
「これから、みんな一緒に住むんだね」
「ああ。また、賑やかになる。アビス号の人たちにとっても、良かったはずだ」
「うん。人が増えて、村が広がって、できることもそれだけ多くなる。それってすごく楽しいことなんだね」
「だな」
湯船の方から、また笑い声が聞こえてきた。誰かが冗談を言ったらしい。それに、小松さんが応える声が聞こえる。まだ、一緒に暮らし始めたばかりだが、もう、打ち解け始めている。それが、嬉しかった。
「ねえ、リヒトくん。私たちも、入ろうよ」
「ああ。もう少ししたら、な」
「うん。みんなが出てきたら、私たちの番」
「そうだな」
夕日が沈み、辺りは夜の闇に包まれていく。だが見上げれば、満天の星が瞬いている。
山の湯からの楽しそうな声を聞きながら、二日間の疲れが、ゆっくりと抜けていくのを感じていた。




