第88話 山の湯
飛行ドローン・アルゴスが増え、探索範囲は一気に広がった。
大陸の空を飛び回る偵察ドローンたちは、次々と新しい地形データを運んでくる。草原の広がり、森の深さ、湖の数、川の蛇行。そのすべてが、三次元ホログラムの地図に少しずつ書き加えられていく。
そうして一日と少しが過ぎた、夕方。
「リヒトさん、北西の山間部で、興味深い熱源を検出しました」
ヨルからの報告を受ける俺。
「湧水と、それに伴う地熱反応です。水質データから、これは天然の温泉である可能性が極めて高いです」
「温泉・・・・・・!」
隣で聞いていた陽奈が、ぱっと顔を輝かせる。
「それ、本物なの?」
雫が、少しだけ疑問の色を浮かべる。
「はい。現地の水温は約四十二度。湧出量も安定しています。周辺の岩盤からは硫黄系の成分も検出されていますね」
「わたし、行ってみたい!」
陽奈が乗り気だ。
「よし、じゃあ、俺だけでちょっと見てくる。ヨル、所要時間はどれくらいになりそうだ?」
「ヘルメスならば、一時間とかかりません」
俺は立ち上がった。
「リヒトくん、一人で行くの?」
「まずは偵察だ。お前たちは村の仕事を頼む。もし本当に使える温泉なら、あとで皆を連れて行くから」
「約束だよ!」
「ああ、約束する」
俺はいそいそと支度を始める。
♢
ヘルメスを背負い、格納庫の前から飛び立つ。四基のプロペラが軽やかな音を立て、斧体をふわりと持ち上げる。高度を上げると、煌星村の全景が眼下に広がった。畑、居住棟、牧場、そして遠くには医療棟の鈍い銀色の屋根。こうして見ると、村が本当に大きくなったことを実感する。
「進路は北西。山間部まで一直線です」
ヨルのナビゲーションに従い、ヘルメスの速度を上げる。風が、頬を強く打ってくる。
草原を抜け、森の上を越え、なだらかな丘陵をいくつも飛び越える。川から海へと注ぐ様子が見えた。あの川沿いに、いつか道を通そう。
いや、それよりも、まずは今向かっている温泉だ。ちゃんと、みんなが利用できる温泉だといいが。
眼下に、山が近づいてきた。深い緑の森が途切れ、岩肌が露出した急斜面に差しかかる。その斜面の中腹に、白い湯気が立ちのぼっているのが見えた。
「あれか」
「はい」
高度を下げ、斜面の開けた場所に着地する。ヘルメスを降りると、足元がじんわりと温かった。見てみると、ゴツゴツとした岩の間から、透き通った湯がこんこんと湧き出している。間違いない、温泉だ。
俺は、地に足を着けて、ゆっくりと周囲を確認する。小さな窪地に、天然の湯船のような岩のくぼみがいくつもできていた。近付いて、手を浸してみると、ちょうどいい温度だった。硫黄の匂いが、ほのかに鼻をくすぐる。湯気が、山の冷たい空気と混ざり、白い霧になって流れていく。
「これは・・・・・・すごいな」
「泉質は、アルカリ性単純温泉に近いようです。肌に優しく、疲労回復にも効果があるでしょう」
「そうか・・・・・・」
周囲には、動物の気配すらない。ただ、湯が湧き、風が吹き、鳥が遠くで鳴いているだけだった。
「ヨル。ちょっと入ってみていいか?」
「どうぞ」
俺は少し迷ってから、服を脱いだ。一人だけだし、誰も見ていない。これだけの温泉を目の前にして、入らない理由はない。
その湯船は、大人が一人入るのにちょうどいい大きさだった。足を伸ばして、肩まで浸かる。熱すぎず、ぬるすぎず、体の芯まで温もりが染み渡っていく。山から吹く涼風が、湯気の向こうから頬を撫でる。
「あー・・・・・・極楽だ」
思わず、声が出た。デミによって川から水を引いて、すでに風呂は作っている。だが、いつも入っているそれとは全然違った。疲れが、すうっと抜けていくのがわかる。
「リヒトさん、気持ちよさそうですね」
「お前も入るか? いや、無理か」
「私はAIですからね。ですが、データとしてリヒトさんの心地よさは十分に伝わってきます」
「村の連中にも教えてやりたいな」
俺は湯に浸かりながら、ぼんやりと周囲を見渡した。斜面を挟んで、向こう側には夕暮れの影に覆われた深い森が垣間見える。さらにその奥には、雪を頂いた山の稜線が、夕日を受けて黄金色に染まっている。
この景色を、みんなにも見せてやりたいな。 陽奈に、葉月に、楓に、雫に。そして村の全員に。きっと、喜ぶだろう
「なあ、ヨル。ここを温泉地として整備できないか」
「そうですね。誰でも来られるように。まずは道を通すことですね。それから簡単な脱衣所と、休憩所みたいな小屋でしょうか。できれば、一泊くらいは宿泊できるものを」
「いいな、それ。ヘルメスやウィンドリーフ、テラ・キャリアでアクセスできるようにしたい」
「となると道は、あの川沿いに通すのが最短でしょうね」
「できそうかな。でも、まずは自然を極力壊さないようにしたい。元の地形をなるべく生かしたままの、温泉地にしたい」
「そうですね。設計を、考えておきます」
湯の中で、俺はゆっくりとうなずいた。手を加えるのは最小限。それでいて、誰もが安心して入れる場所にする。
山の静けさが、耳の奥まで満ちていく。ここは、本当にいい場所だ。村から少し離れているのが、唯一の難点かな。いや、離れているからこそ、良き休息の場所になれるのかもしれない。
湯気が、夕日を受けて、茜色にきらめく。そろそろ夜のとばりが降り始めていて、山の向こうに星がひとつ、またひとつと灯り始めていた。この景色は、みんなで見てこそだろう。そう思いながら、俺は、静かな山の湯に、しばらく身を委ねていた。




