第82話 テティス・レース
昼近くになって、砂浜はすっかり熱を持ち、海はよりいっそう濃い青さをたたえていた。 砂の城作りのスピード対決は、結局、女子連合チームの圧勝に終わり、俺は罰として片付け役を言い渡されたばかりだ。いや、まあ人数的に考えれば、当然なのだが。
「ま、それはそれとして・・・・・・次は、これで遊ぶか」
俺はアクアベースから、テティスを出す。今朝のうちにこっそり整備しておいた、新造の二番機と三番機も一緒だ。真白い船体に碧いラインが入った小型ジェットスキーは、全部で三機。浜辺に持ってきて並べると、女子たちの目が一斉に輝いた。
「うわ、増えてる! リヒトくん、いつの間に?」
「まあ、ちょっと空いた時間にちょこちょこ作っていたんだ」
陽奈が駆け寄り、二号機のシートに飛び乗る。
「リヒトさん、仕事が早すぎます……!」
美玖が感動したように声をあげて、萌奈はもう三号機をぺたぺた触っている。
「すごいわね。三機も出来たんだし、じゃあ、みんなで競走ね」
葉月が、早くも乗る気満々の顔で言った。
「待て待て。まずは試運転も兼ねて、タイムアタック方式で競争しよう。コースは、あの沖のブイを回って、アクアベースの手前まで戻ってくる。約六百メートルってとこかな。まずは一人ずつ走って、タイムを比べよう。計測はヨルがやってくれる」
「了解です。コース上の安全を確認済みです」
それなら、と最初に手を挙げたのは萌奈だった。
「あたし、行きたい!」
「よし、萌奈。しっかりつかまって、無理はするなよ」
萌奈はひまわり色の水着のままテティス一号機にまたがり、小さな体でハンドルを握った。ウォータージェットが水を蹴り、白い航跡を描いて一気に加速していく。黄色い歓声が海に響いた。
「速い! すごーい!」
萌奈はブイの手前で大きく回り、そのまま戻ってくる。水しぶきを浴びた髪が、太陽にきらきら光った。ゴールの砂浜まで戻ってきて、ヘルメットを取ると、ぱあっと笑った。
「これ、最高!」
次に志願したのはゆかりだ。桃色の水着が、テティスの色によく映える。おそるおそるだったが、走り出せば安定したものだ。慎重なコース取りで、無理のない旋回を見せる。
「ゆかり、フォームがきれい!」
美玖が声を張り上げる。
「次、あたし行きます!」
美玖は真っ赤な水着で、思い切りアクセルを開けた。直線でぐんぐん伸び、ブイを回る時だけ少し怖がって失速したが、それでも見事に走り切る。
「はあ、はあ・・・・・・ちょっと、心臓に悪い!」
「タイムはなかなかですね。三十秒ジャストです」
ヨルがそう告げると、美玖はガッツポーズをした。
「じゃあ、次は私が行くわね」
雫は深い藍色のパレオを外し、ためらいなくテティスに乗った。その姿は、海の上を渡る渡り鳥のようにすらりとしていて、無駄のない操作で静かに加速する。水しぶきの上がり方まで、どこか大人びていた。
「雫さん、速い・・・・・・! あれで手加減してるんですよ」
ヨルが計測しながら感心したように言う。
「ひどいわ、私のタイム、更新されちゃう」
美玖が笑い、萌奈も「雫さん、すごいです」と目をまん丸にしている。
続いて、楓。花色のワンピース型水着が、潮風にふわりと揺れた。彼女はゆっくりと、本当に景色を楽しむように走る。急ぐでもなく、怖がるでもなく、海面と風と一体になるような走りは、タイム計測をしていることを忘れさせるほど優雅だった。
「楓さん、速度はともかく、姿勢制御が完璧ですね。ブイ回りもロスがありません」
「そう? なんだか、気持ちよくて」
本人はけろりとしている。
「さあ、次、葉月」
「待ってました」
葉月は白い水着のまま、長い黒髪を片手で後ろに流し、テティス二号機にまたがった。直線から全開。ブイを回るときもほとんど減速しない。水飛沫が、彼女の横顔を洗う。その鋭い走りに、浜から声が上がった。タイムは、それまでの誰よりも速い。
「十五秒二。葉月さんがトップです」
「ふふ、ちょっと出しすぎたかしら」
葉月は息を弾ませながら、勝ち誇ったように笑った。
「じゃあ、最後は私ね」
陽奈が、水着を指でなぞりながら、進み出た。
その姿を、俺はじっと見てしまった。海と空のあいだに立つ陽奈が、あまりにも、まっすぐに、美しかったから。
彼女は軽く準備運動をしてから、テティス三号機に乗る。アクセルを開く。テティスが跳ねるように水面を駆け、水飛沫が銀色の膜をつくる。ブイを回る時だけ、一瞬、真剣な表情になって、そこからまた、波を蹴った。
ゴールする少し前、陽奈がこちらを見た。
「リヒトくん、見てる?」
見てる。見てるよ、と、声に出せないまま、俺はうなずくことしかできなかった。彼女の水着も、白い太腿も、濡れた髪も、光を散らしながら走る姿も、全部がやけに綺麗で、息をするのを忘れそうになった。あ、いや、忘れてた。本当に、だから、ゴールしても一瞬、反応が遅れた。
「九秒八です。陽奈さんがトップになりました」
「やった!」
陽奈が大きく手を上げて、テティスから降りた。
「ねえリヒトくん、今、見とれてなかった?」
「な、なに言ってるんだ。ちゃんと見てたよ。速かったな」
「ふーん。だったらいいんだけど」
陽奈は、濡れた前髪を指で払い、いたずらっぽく笑った。その笑顔がまた、心臓に悪いほど可愛かった。
「次はリヒトくんの番だよ。逃げないでね」
葉月が楽しそうに言う。
「逃げるか。俺も行く」
俺はテティス一号機に乗り、深く息を吸った。全員の視線が背中に刺さる。走り出せば、あとは海が味方してくれる。風を切って、波を蹴って、ブイを回って、戻ってくる。たった六百メートル。それが、この上なく爽快だった。
「八秒五! リヒトくん、速い!」
陽奈が叫ぶ。
「リヒトくん、本気出したら敵わないね」
ゆかりも嬉しそうだ。
「まあ、村長としての、面目躍如ということで」
雫が笑い、楓がぱちぱちと拍手した。
「でも、リヒトくんが走ってる時、全員が見てたからね」
葉月が、にやりと笑う。
「何の話だ」
「さっきのお返し。見とれ合いってことで、おあいこよ」
顔が、熱くなった。それはどうやら、砂浜の熱気のせいじゃないようだ。
「・・・・・・とりあえず、試運転は終わったんだ。走ろう。今度は、三機並んで、競争だ」
「やろうー」
「望むところよ!」
俺たちの休暇は、まだまだ続く。




