第67話 碧い浅瀬
潮の香りを含んだ風が、畑の葉を揺らし、遠くから波音が聞こえてくる。
お昼の少し前、調理場の脇にあるラズルグレナの培養器にふと目が止まった。碧く輝く液体が、透明なタンクの中でゆっくりと循環している。ここで培養されたラズルグレナは村の食料と電力の一部を賄う、なくてはならない存在だ。
「相変わらず、きれいだね」
陽奈がタンクに顔を近づけて言う。碧い光が彼女の頬をほのかに照らしていた。
「培養密度も適正範囲内。収穫量も安定。極めて順調ですね」
ヨルがいつもの調子で報告する。
「この調子なら、大陸の分も十分に供給できそうだな」
俺が言うと、ヨルが少し間を置いてから返事をした。何かを考えているときの、ほんのわずかな沈黙だ。
「リヒトさん。一つ提案があります」
「なんだ?」
「もっと沢山、培養しませんか」
俺はタンクから目を離して、陽奈と視線を交わす。
「もっと、というと?」
「今は培養器の中で管理していますが、ラズルグレナは本来、海水中でも自然に増殖できる生物です。この島は周囲を海に囲まれています。浅瀬の一つを改良して、巨大な培養区画にしてはどうでしょうか」
陽奈が目を見開く。
「つまり、海そのものを培養槽にするってことか」
「はい。浅瀬を仕切って閉鎖的な海域を作り、そこにラズルグレナを放ちます。広さによっては、現在の培養器の数百倍の生産量が見込めます」
雫が腕を組みながらうなずいた。
「それだけあれば、大陸の拠点全部に供給しても余るくらいかもね」
「ですが、今後また色々な施設を建てていくことでしょう。より大規模なエネルギーの供給は、いずれ考えるべき課題になるはずです」
「そうね。ラズルグレナは、発電用のバイオ燃料としても、大量に備蓄できる」
俺は強くうなずく。
「だけれど、実際に浅瀬を巨大な培養槽に改造するとしたら、どうすればいいんだ?」
「はい。流出防止のための隔壁と、濃度を均一に保つための攪拌装置は必要です。あと、外敵から守るためのネットも」
「それ、やろう」
俺は即決した。
「場所はどこがいい?」
「この島のデータを突き合わせて考えると、まず最初の実験用プラントとしては、南側の浅瀬が最適です。水深は平均二メートル、潮の流れも緩やかで、隔離もしやすい。アクアベースのすぐ近くですから、管理や運搬も容易です」
「決まりだな。よし、午後は浅瀬の工事だ」
♢
俺たちは格納庫からデミと資材を運び出し、南の浅瀬へと向かった。
浅瀬は、穏やかな入り江のようになっていて、波もほとんど立たない。沖合には天然の岩礁が点在し、それが自然の防波堤の役目を果たしていた。
「まずは外周に隔壁を立てて、ラズルグレナが外洋に流れ出さないようにする。それから内部に攪拌用の水流ポンプを設置する」
「隔壁の素材は何を使う?」
「合金パネルを加工して、海底に固定する。継ぎ目はラズルグレナ樹脂でシールして、隙間から漏れないようにする」
そうして、早速作業が始まる。今日はタロスも活躍する。雫の乗り込んだ巨大人型マシンは、浅瀬に入り、隔壁の基礎となる杭を海底に打ち込んでいく。続いて合金パネルを運び、一枚ずつ設置していく。デミで作った水中シーラーを使えば、海中でもパネル同士を溶着できた。
「攪拌装置は、ラズルグレナ電池で動く水中スクリューを四隅に配置します。これで培養液が均一に混ざり、光合成効率が上がります」
「よし、取り付けよう」
小型潜水艇ネプチューンを操りながら、水中スクリューを海底の所定の位置に固定していく。透明な海の中、橙色に光る溶接の火花が幻想的に揺らめく。
「なんだか、海底に町を作ってるみたい」
ネプチューンの助手席で、陽奈がキャノピー越しに作業を見つめながらつぶやいた。
「そうだな。海の底まで、俺たちの村が広がっていくって感じだな」
♢
夕方までに、浅瀬のラズルグレナ培養区画は完成した。広さはおよそ千平方メートル。外周をぐるりと合金隔壁で囲まれ、四隅の水流ポンプが静かに稼働している。水面は穏やかで、夕日に照らされて黄金色に輝いていた。培養区画の外では、新たに作った海中ドローン・トリトンが巡回を始めている。監視カメラと水質センサーで、二十四時間体制の管理体制が整った。
「いよいよ、ラズルグレナを放ちます」
ヨルの声に、培養器から汲み上げた濃縮液がパイプを通じて浅瀬に流し込まれていく。碧い液体が透明な海水と混ざり合い、ゆっくりと広がっていった。水面が、ほのかに碧く発光し始める。
「わあ・・・・・・!」
陽奈、葉月、楓、雫が歓声をあげる。
「培養器より、ずっとずっと大きい。これだけあれば、電力も食料も、もう心配いらないね」
「培養密度が安定すれば、ここだけで創星村と大陸のすべての拠点のエネルギーを賄えます」
陽奈の呟きに返すヨルの声が誇らしげに響いた。
「この景色、ずっと見てられる」
葉月が静かに言う。
「私たちが最初にラズルグレナを見つけたときは、ほんのちょっとの量だったのにね。今じゃ浅瀬いっぱいに広がっていく。なんだか信じられない」
「ゆくゆくは、大陸の海や湖にも同じ施設を作りたいな」
俺の言葉に、雫がうなずく。
「あの大河の河口なんか、絶好の場所だと思う。汽水域ならラズルグレナの適応力も試せるし」
「それに、草原の湖もいいかもね。牧場のそばにあれば、燃料も飼料もその場で調達できる」
陽奈の提案に、葉月が乗ってくる。
「確かに。そうすればエネルギーの地産地消ができる。各拠点に培養区画を作れば、輸送の手間も省けるし、仮に一箇所がダメになっても、全体は維持できる」
「そうか、リスク分散にもなるんだな」
楓がフィールドノートを開いて、今日の記録を読み上げた。
「本日、創星村南浅瀬に第一号の培養区画が完成。培養液、注入成功。将来的には大陸の海や湖にも展開予定。目標は各拠点へのエネルギー自給体制の確立」
「それにしても、この島に来たばかりの頃は、まさか海まで自分たちの施設になるなんて思わなかったよ」
陽奈がしみじみと言う。
「そうだな。でも、これでまた一つ、俺たちの世界が広がった」
皆が顔を見合わせて笑う。
夕陽が穏やかに輝く空の底で、碧く輝く浅瀬が静かに息づいている。この光が、いつか大陸の湖や海にも広がっていく。それを想像するだけで、胸が少し熱くなった。




