第61話 新たな遭遇
草原での生活は、ゆっくりと、しかし確実に形を整えていった。柵の中の草地はロッコウロたちが程よく食べ、ホシノヒツジグサは決まった時間にゆっくりと草を食みながら移動する。オオツノウシの子ウシたちは日に日に大きくなり、陽奈が「大福」と「おはぎ」という名前をつけた。
「これだけ動物が増えると、そのうち獣医も必要かもな」
俺がそう呟くと、雫が、
「そうよね。そろそろ、医療関係の設備も整えたい所よね。今のところはまだ大丈夫だけれど、そのうち大けがとかする人が出てくるかもしれないし」
俺たちがそんな会話をしていると、ヨルからの通信が入ってきた。
「リヒトさん、アルゴスからの報告です。牧場の北西約三キロに、人と思しき熱源を検出しました」
「なに? 数は?」
「熱源は五つ。動きはゆっくりで、こちらに向かっています。武装している様子はありません」
「また、エインダみたいな好戦的な連中じゃないといいけど」
葉月が眉をひそめる。
「わからない。でも、とにかくまずは確認だ」
♢
草原の北西から、五つの人影が近づいてくるのが見えた。距離が縮まるにつれて、それが全員ゼウス号の乗員用ジャケットを着ていることがわかる。男が三人、女が二人。いずれも疲れ切った様子で、足取りも重い。その中でも、先頭を歩く若い女性がひときわ目を引いた。長い黒髪を無造作に束ね、痩せた頬に意志の強そうな目を光らせている。年の頃は、雫と同じくらいだろうか。
「あ、あの……!」
先頭の女性が立ち止まり、俺たちの姿を認めて声を詰まらせた。
「あなたたちは・・・・・・ひょっとして、ゼウス号の・・・・・・?」
「はい。生存者です」
楓が静かに答える。
女性はその場にへたり込みそうになり、仲間の男が慌てて支えた。
「よかった・・・・・・やっと人を見つけた!」
俺たちは彼らに近づき、ゆっくりと手を差し伸べる。
「とりあえず、こっちに来てください。食べ物も水もあります。話はそれからにしましょう」
女性は震える手で俺の手を握り返し、何度も「ありがとう」と繰り返した。その背後では、他の四人も泣きそうな顔で互いに肩を支え合っている。
草原をそよ風が吹き抜ける。五人の新たな来訪者たちは、俺たちを茫然と見る。何もかもが信じられない、という顔だった。
「とりあえず、俺たちの牧場に来てください。話はそれからです」
♢
牧場の簡易テントに招き入れた五人の生存者は、温かいラズルグレナスープと焼きたてのパンを前に、しばらく言葉もなく食べ続けていた。全員が痩せ細り、肌は荒れ、目の下には深い隈が刻まれている。長いあいだまともな食事にありつけなかったことが、察せられた。
先頭に立っていた若い女性が、ようやく顔を上げた。
「ありがとう、助かったわ。私は橘凛と言います。ゼウス号の医療部門にいたの。みんな研修医だった同僚やスタッフよ」
「医療部門・・・・・・!」
葉月が声をあげる。
「はい。私たち、たまたまこのメンバーで固まって行動していたんだけど、そろそろ限界で。そんなときに、ここの煙を見つけて」
「煙?」
陽奈が首をかしげる。
「たぶん、パンを焼く煙だと思う。この草原にはほとんど木がなかったから、煙突からの煙が遠くからでもよく見えたんだと思う」
「なるほど。煙のおかげで気づいてもらえたのか」
俺が言うと、凛は深くうなずいた。
「それで、もう一つ伝えなきゃいけないことがあります。この草原の先、北西にさらに進んだ窪地に、医療用モジュールが落ちています」
「医療用モジュール!?」
俺たちは、思わず身を乗り出す。
「ゼウス号の医療区画が、ほぼそのままの形で不時着しています。私たちも最初はそこを拠点に生活してたんだけど、食料も水も底をついて、やむなく移動することにして。それから何日も歩き続けて、あなたたちを見つけた」
「なるほど。医療用スタッフは、医療モジュールの近くのカプセルで冬眠していましたからね。モジュールの近くで目覚めても、不自然ではありません」
ヨルが簡単に解説をしてくる。
俺は頭の中で、雫との先ほどの会話を思い出す。これまで創星村にも煌星村にも、専門の医者はいなかった。それでも大きな怪我も病気もなかったが、それは単に運が良かっただけだ。 これから村人数が増えれば、病気や怪我のリスクは確実に高まる一方だ。
「医療モジュールについては、早急に調査すべきですね。アルゴスに指示を出します。早速、探索開始です。」
♢
俺たちは、すぐに凛の案内で草原の北西へと向かった。牧場から歩くこと約一時間ちょっと、なだらかな丘を越えた先に、ぽっかりと開けた窪地があった。
「ここよ」
凛が指さす窪地の中央に、それは横たわっていた。
全長は優に百メートルを超える。銀灰色の合金で覆われた巨大な直方体は、草原のただなかに静かに鎮座していた。周囲には不時着の衝撃でえぐられた跡が残っていたが、本体の損傷は、一見すると少なかった。
近づいてみると、外壁にはゼウス号のマークと「医療用」の文字が刻まれていた。
「凛さん、中に入れるんだよな?」
「ええ。私たちも、この内部で夜露をしのいでいたからね」
そう言うと、凛は壁面のパネルを操作する。かすかな機械音とともにハッチが開いた。中からは消毒液の匂いが漂い、非常灯が青白く通路を照らしている。
まず目に飛び込んできたのは、整然と並ぶ診療ベッドだった。六床すべてにモニターと点滴スタンドが備えられている。その奥には、ガラス扉で仕切られた薬品庫が見えた。棚には無数の瓶や箱が並び、ラベルには俺にはよく分からない薬品名が印字されている。
「これ、全部使えるんですか?」
楓が薬品庫に張りついて、興味深げに訊く。「医薬品の多くは長期保存用にパッケージしいます」
俺たちはさらに奥へと進む。そこにあったのは、診療ベッドより大きなカプセル状の装置だ。透明な蓋の内側には、無数の微細なアームとセンサーが折り重なっている。
「これは何だ?」
「万能医療マシン、正式名称は『パナケイア』と言います。外科手術から内科診断、創傷治療までを自動で行う統合型の医療システムですね。デミやケレス医療版だと思ってください」
ヨルが解説する。
「すごいな・・・・・・手術もできるのか」
俺はパナケイアの前に立ち尽くし、それからゆっくりと周囲を見渡した。診療室、薬品庫、隔離病棟、手術室、リハビリ室、心理カウンセリングルームまで──。ここにあるのは単なる医療機器の集合体じゃない。小さな病院そのものだ。
「みんな」
俺は振り返り、全員の顔を見た。
「ここを、そのまま医療用の拠点にしないか」
「えっ」
凛が目を丸くする。
「このモジュールを修理して、ここを医療用の拠点にするんだ。電力はラズルグレナ電池はじめ、いくつかまかなう方法はあるだろう。それに、せっかく凛たちみたいな医療スタッフが来てくれたんだ。医療設備だけじゃなく、人も揃っている。デミで補修して、足りないものは全部作る。そうすれば、創星村と煌星村と牧場、すべての人をカバーできる本格的な医療拠点ができる」
陽奈がぱっと顔を輝かせ、葉月が力強くうなずく。
「そうね。私たちも、結構大きな村になってきたし・・・・・・医療インフラは、遅かれ早かれ必要になったわよね」
「食料を育て、家畜を飼い、人を癒やす。この草原全体が、一つの大きな拠点になるのね」
俺たちの会話に、凛はしばらく呆然としていたが、やがて笑みを浮かべた。
「あなた、本気で言ってるの?」
「本気です。もちろん、凜さんたちの協力次第ですが」
俺の言葉に、凜さんは相好を崩す。
「・・・・・・いいでしょう。力になるわ」
「よっしゃ! デミと資材と、そしてついに人手もやってきました。あとは、やるだけです」
俺たちの、新しい拠点作りが始まる。




