第105話 教育って、難しい
校舎が完成した翌日の午後、仕事も一段落したので、俺は陽奈と葉月を誘って、校舎へと向かった。楓と雫が初日の授業をどう進めているか、少し気になっていたのだ。
校舎の近くまで来ると、中から元気な声が聞こえてくる。だが、どうも、歓声というよりは、どよめき、というか悲鳴に近い響きだった。
「・・・・・・大丈夫か?」
俺たちは校舎の扉をそっと開ける。
教室の中は、戦場のようだった。
机のいくつかは、椅子ごと倒れている。黒板には、落書きが三つ。床には、紙が散乱している。子供たちは、席に座っている子が三人、立って歩き回っている子が四人、なぜか机の下に潜っている子が二人、それから、窓の外を眺めている子が一人。
その中心で、楓がヘトヘトになって、黒板の前に立っていた。髪が、少し乱れている。手には、チョークを持ったまま、何を書くでもなく、ただ、子供たちを見つめている。
「楓ちゃん・・・・・・」
陽奈が、そっと声をかける。
「あ、リヒトくん、陽奈ちゃん、葉月ちゃん」
そう言って振り返った楓の目は、少しだけ潤んでいた。
「あの、これ、その・・・・・・うまく、いかなくて」
雫も、教室の後ろで、本棚の整理をしていた手を止めて、振り返った。いつもは冷静な彼女も、額に汗をかいている。
「リヒトくん。・・・・・・正直ちょっと、手を焼いているわね」
「だろうな」
ちょうどそのとき、男の子が一人、机の上に立ち上がって、叫んだ。
「やーい、捕まえられないもんね!」
「こら、降りなさい!」
雫が走る。男の子は、ひょいと机から飛び降りて、教室中を駆け回る。他の子も、それにつられて、立ち上がる。教室内は、また一段と騒がしくなった。
陽奈が、俺を見る。
「リヒトくん、これは・・・・・・」
「ああ。手伝おう」
俺は教室に入り、まずは机から飛び降りた男の子を、そっと抱き上げる。
「おっと。暴れると、危ないぞ」
「うわ、リヒトさんだ!」
「そうだ、そのリヒトさんだ。今は、先生の話を聞く時間だろ」
「はーい」
男の子は、素直に、席に戻った。だがそれも束の間、今度は他の子が、俺に体当たりしてくる。
「おい、こら」
「リヒトさーん! 遊ぼー!」
まだ幼稚園児くらいの子は、バタバタと駆け回る。
・・・・・・どうやら、これは収拾するのに骨が折れそうだな。
♢
「楓、雫さん。お疲れさま」
「・・・・・・はい」
「思ったより、大変だったな」
「うん。午前中は、そこそこ上手くいって、おとなしくしていたんだけれどね・・・・・・段々とみんなの集中力が切れて・・・・・・」
楓が、苦笑いをした。
「リヒトくん、どうしたら、うまくいくのかしらね」
雫が、静かに尋ねる。
「私も、楓さんも、教えること自体は、そんなに難しくないと思ってたのよ。でもまず、座らせることから、難しかったりするのよね」
「ああ」
俺は、うなずいた。
「でもそれは、二人のせいじゃない。こどもって、そういうものだ。十人もいれば、一人ひとり、興味も落ち着きも、何もかもが違うからな」
「音声AIのわたしだけじゃ、教師はとても勤まらないと言ったのは、こういうわけです・・・・・・こどもは、元気の塊のようなものですからね。それにしても、お二人だけに任せたのは、わたしの間違いでした。申し訳ありません」
ヨルが丁寧に謝る。
「ヨルちゃんは何も悪くないよ・・・・・・というか、わたしたちにアドバイスをいっぱいくれて、すごく助かった。でも、どうすればいいのかなあ?」
楓がつぶやく。
「ヨル、なにか解決方法って、あるのか?」
「はい。すでに手は打ってあります。村の皆さんに声をかけました。正直に現状をお伝えしたところ、皆さんで話し合い、今後は時間のある大人が、可能な限り交代で教室に来てくれることになりました。美玖さんたちも、来てくれるそうですよ」
「早いな、ヨル」
「当然です。二人にばかり負担を押しつけるわけにはいきませんから」
「そうだな。こどもはみんなで育てるもんだもんな」
その日の午後、早速、美玖とゆかり、萌奈が来てくれた。
「楓さん、雫さん、お疲れさまです!」
美玖が、元気よく言う。楓が、ほっとした顔になる。
美玖は、こどもたちの前に立った。
「はーい、みんな! 今から、外で遊ぼう! ただし、遊ぶ前に、一つだけ勉強するよ!」
「えー」
「えー、じゃない。これをやったら、思いっきり遊んでいいから」
美玖は、手に持った紙を見せる。簡単な足し算の問題だった。
「これを、五分以内に解けたら、外で遊ぼう」
「ほんと?」
「ほんと」
こどもたちは、一斉に、机に向かった。五分後、全員が、外に飛び出していく。
「すごいな、美玖」
「えへへ。こどもの扱いは、ちょっと得意なんです」
「それは頼もしいな」
「ええ。リヒトさん、わたしたちもガンガン使っちゃってください」
「わかった。ありがとう」
楓と雫も、美玖の言葉に、深くうなずいた。
「私も、時間があるときは、来るわよ」
葉月が、手を挙げる。
「こどもたちに、外のことを教えるのも、いいかもしれないしね。草や木の名前、星の動き、そういうの」
「いいな。それも、立派な勉強だ」
夕方。こどもたちは無事に帰った。教室の片付けをしながら、俺は、楓と雫に声をかけた。
「初日、大変だったな」
「もう大変だったよ~」
楓が、正直に言う。
「楽しい、て側面もあるんだけれどね。人にものを教えるのは。でもまさか、こどもたちをまとめるのが、こんなに上手くいかないとはね・・・・・・」
雫が、やれやれと肩を落とす。
「誰か一人の力じゃ、出来ないことだらけだからな。あまり過度に負担をかけない、それを鉄則にしていこう。そうやって、少しずつこの村を大きくしていこう」
「うん、そうだね」
夕日が、草原を赤く染める。明日もまた、ここにこどもたちが集まる。学んで、遊んで、育っていく。それを俺たちみんなで、維持していかなくてはならない。でもそれが、確実に未来を形作っていくのだ。




