第102話 月夜の草原
夜、そろそろ寝ようかと思っていたときだった。
「リヒトさん、ちょっといいですか」
ヨルの声が、静かに耳に届く。
「どうした? 何かトラブルか」
「いえ。トラブルではありません。ただ・・・・・・村の南の入り口、あの、畑のそばの道のところに行ってみてください」
「今からか?」
「はい。今から」
「理由を聞いてもいいか」
「行けばわかります」
ヨルが、こういう言い方をするのは珍しい。俺は少しだけ迷ってから、上着を羽織って、部屋を出た。夜の空気は、ひんやりとしていて、遠くから微かに潮の匂いがした。月はとても明るく、くっきりと地面に影を落としている。
俺は村の南の入り口の方に向かう。畑のそばの道。そこに、誰かが立っていた。
「陽奈?」
陽奈は、ウィンドリーフに座り、こちらを見ていた。ヘルメットは持っているが、まだ被っていない。月光を受けた髪が、白く照り輝いている。
「リヒトくん、遅いよ」
「呼び出したのはヨルだぞ」
「私が頼んだの」
「・・・・・・そういうことか」
俺は、なにか納得する。
「そういうことよ。ねえ、ドライブしない? 今夜、月がすごくきれいだからさ。ちょっと走りたくなっちゃった」
「そうか?」
「そうだよ。寝るには、ちょっともったいない夜だと思わない?」
空を見上げると、満月に近い月がそこにある。星もよく見える。たしかに、陽奈の言うことも一理ある。
「・・・・・・わかった。行こう」
「やった。後ろ、乗って」
「これ、二人乗りなのか?」
「うん。二人乗りできるようにしてあるんだよ」
陽奈は、いたずらっぽく笑って、ヘルメットを俺に投げてよこした。俺はそれを受け取り、後部の小さな補助席に乗る。陽奈が、前のシートに座り、ハンドルを握る。
「出発!」
「ゆっくりお願いだ」
モーターが静かに唸る。ウィンドリーフは、月明かりの中、畑の道をゆっくりと走り出した。
♢
畑を抜け、草原へ出る。煌星村の明かりが、後ろに遠ざかっていく。月の光で、道が銀色に浮かび上がっている。風はほどよく涼しくて、気持ちがいい。陽奈は結構な速度で走っているが、不思議と怖くはなかった。
「気持ちいいね!」
陽奈が、前から声をかけてくる。
「ああ、最高だ」
「昼間と全然違う。音も、匂いも、全部」
「夜は静かだしな」
「うん。でも、静かすぎて、逆に、いろんな音が聞こえるんだよ。風とか、草とか、遠くの海とか」
しばらく俺たちは走り続ける。ウィンドリーフが進むたびに、草が擦れる音がして、それが、後ろへ流れていく。
「ねえ、リヒトくん。将来の夢について、語らない?」
陽奈が、ふいにそう尋ねる。
「将来の夢?」
「うん。村にさ、もっと、こういうのがあったらいいな、とか」
「随分と唐突な質問だな」
「いいじゃん。だって、こうやって走ってると、いろいろ浮かんでくるんだよ。今、わたしは遊園地が欲しい」
また随分とこどもっぽいことを言う。
「あ、リヒトくん。いまわたしのこと、こどもっぽいとか思ったでしょ? でもさ、観覧車とか、メリーゴーランドとか、みんなで遊べる場所があれば、まずこどもたちも喜ぶでしょ」
「それはそうだけれど・・・・・・さすがに、もうちょっと先だろうな」
「どうしてよ?」
まるでこどものように尋ねてくる陽奈。
「まず、資材が足りない。鉱物は採れ始めたけど、まだ試験段階だ。それに、観覧車を動かすには、大量の電力がいる。今、賄えているエネルギーじゃ、そこまでの余裕はないだろう」
「そっか・・・・・・でもじゃあ、いつか必ずね」
「ああ。いつか、な」
「約束だよ?」
陽奈が強調する。「もちろん、約束だ」と俺は返答する。
「リヒトくんは? 何が欲しい?」
「俺は……飛行機だな」
「へえ。でも、空飛ぶだけなら今もヘルメスがあるじゃん」
「うん。ヘルメスも確かにいい。でも、あれは、どちらかというと、個人用の浮遊装置だろ。もっとこう、空を勢いよく駆け巡るやつが作りたい。翼があって、プロペラがあって、風を切って飛ぶやつ」
「かっこいい。でも、それこそ、もっと先なんじゃない?」
「でしょうね」
ヨルの声がイヤリングから、静かに割り込む。
「飛行機を作るには、まず、軽量で丈夫な金属が必要です。それに、エンジンの精密な製造技術。今の試験製錬所では、とても足りません」
やはり、無理か。
「ですが、あくまでも今現在は、です。鉱山開発が進み、製錬所が本格化すれば、いずれ」
「ヨルちゃん、それ、『やればできる』ってこと?」
「はい。ただ、時間はかかるでしょう」
「よし、じゃあ、それまで、遊園地も飛行機も、夢にとっておこうね」
陽奈がそう言って、また少し速度を上げた。
♢
丘を越えると、遠くに海が見えた。月明かりを反射して、海面が幻想的にに光っている。 陽奈は、その丘の上でウィンドリーフを止めた。二人で降りて、草の上に座る。海の音が、静かにだがしっかりと聞こえてくる。
「ねえ、リヒトくん。小さい頃、何になりたかった?」
「小さい頃?」
「うん。私、幼稚園のときは、ケーキ屋さんになりたかったんだよ」
「いいな、ケーキ屋」
「そうでしょ。でも、小学校に入って、アイドルになりたいって言い出して、中学で、また変わって」
「なんだったんだ、最後は」
「最後は・・・・・・決まらなかったんだよね。それでなんとなく、高校に入って。でもそれだけじゃ、足りなかったの。だからなんとなく、ゼウス号に乗って。今、ここにいる」
陽奈は、少しだけ、遠い目をした。それから、俺を見る。
「リヒトくんは?」
「俺は・・・・・・」
正直、覚えている。でも、言うのは少し、恥ずかしい。
「・・・・・・星を見る人」
「星を見る人?」
「小さい頃、天体観測が好きだったんだ。親に、望遠鏡買ってもらってさ。それでよく、ベランダから、星を見てた。星のことを調べる人になりたいと思ってた。天文学者とか、宇宙飛行士とか、そういうの」
「へえ」
「でも、途中でやめた。勉強が足りないとか才能がないとか、まあ夢を諦める理由はいろいろだな」
「そっか。だから教室で、いつも窓の外ほ見てたんだ」
「お前、よく見てるな、そんなところ」
「ふふ」
陽奈は笑った。
「じゃあさ、リヒトくん。今、なれそうだよね。星を見る人」
「どういう意味だ」
「だって、ここ、星がよく見えるよ。それに、ヨルちゃんがいて、ドローンが飛んでて、海底の開発もしてる。天文学者も、宇宙飛行士も、わりと近いんじゃない?」
「・・・・・・言われてみれば、そうかもな宇宙飛行士はともかく、天体観測くらいならできそだ」
「でしょ。夢、叶うかもね」
「ああ」
ヨルが静かに俺たちに話しかけてくる。
「リヒトさん。悪いお知らせと良いお知らせがあります。悪い方は、今現在私たちが保有している資材では、天体観測所の建設は不可能ということです。良い方は、ゼウス号内には、天体観測のための大型望遠鏡の資材一式が揃っていたモジュールがありました。それさえ発見できれば。観測所の建設なんて造作もありません」
海の上に、月が、ぽっかりと浮かんでいる。波の音が、静かに、二人のあいだを流れていく。
しばらく――それこそ三十分ばかりだろうか――してから、陽奈が声をかけてくる。
「そろそろ、戻ろうか」
「ああ。明日も、早いからな」
陽奈は立ち上がり、ウィンドリーフに跨った。俺も、後ろに乗る。
「リヒトくん」
「ん?」
「今日、誘ってよかったよ」
「こちらこそだ。俺も来てよかった」
「じゃあさ、また、来ようね」
「ああ。月がきれいな夜に」
モーターが鳴り、ウィンドリーフは、来た道を戻り始めた。夜空には、満天の星。その下を、二つの影を乗せた小さな車が、静かに駆けていく。今夜のこの時間を、きっと忘れない。そう思いながら俺は、陽奈の背中に、そっと手を添えた。




