20話 初めての2人きり…後編【杏視点】
天使という存在を見た事があるだろうか…?
私は見た事がある。というより、今まさに見ているといった方が正しい。
はにかんだ笑顔で、私の手を握り返してくるこの可愛い生き物は何だっ!?
どうにか音ちゃんの笑顔を引き出せた私は今苦境に立たされている…。
それは…
『音ちゃんが可愛くて…鼻血が出そうなんです(女としては避けたいところ)』
美人で可愛いってなんかずるい。
折角少しだけ打ち解けたのだから、どうか失態を晒して、避けられませんように…。
私は心から祈るばかりである。
気を紛らわせる為に、そ、そうだ…会話だ、会話をしよう。
私はどうでもいい話題を振ることにする。
「で、今日のご飯は何にしよ?」
「何に…と言われても、それは私が聞きたいわ。杏の食べたい物は何?」
「え、私?えっと…」
し、質問に質問で返されちゃったよ…。
それしちゃダメって幼い頃に習わなかったの?とか思ってても言えない。
真面目な顔して聞いてくる彼女に、そんな野暮な事を言うのは何だか憚られた。
「そ、そうね…。音ちゃんが作ってくれるなら何でも!!」
あ。やってしまった…。
これダメな旦那様の発言例のお手本みたいな台詞だ…。
ありゃりゃ、音ちゃんの眉毛が八の字になっちゃったよ。
そんな困った顔しないでよ〜、私が悪かったってば〜。
心の中で謝罪する。
「それ言われて1番困る回答ですよ。はぁ…分かってて言ったのでしょうけど」
溜息を吐かれてしまいました。
「う〜ん、そう言われても私好き嫌いとかないからな。音ちゃんは何が好きなの?」
「私も好き嫌いとかないので、何でも…。あっ!?」
ほらみろ…つい出ちゃうでしょ?
バツの悪そうな顔してる彼女を見て、思わず笑ってしまう。
「そしたら外に出るのもあれだから、冷蔵庫にあるものでささっと作っちゃおうか」
「私が作るって話でしたよね?」
「あれ?そうだったっけ?早くゆっくりしたいから2人で一緒に作っちゃおうか」
そう告げて冷蔵庫の中身を確認する。
うーん、そうだな…。
「音ちゃん、パスタにしよっか?それでいいかな?」
「はい、構いませんよ」
「そしたらパパッと作っちゃおうか。今日はちょっと重いのにしよう。牛肉とゴボウの和風パスタにしちゃいます!!」
「そういうの好きなんですね。ちょっと意…でもないわね」
「うぉい、そこは遠慮して意外ですねって言うところでしょ」
「はいはい、意外ですね、意外ですね。 」
「こら!!学校で2回繰り返すなって習ったでしょ?」
「それは『はい』の時としか習ってません」
そんな軽口を叩き合う。今までと同じ様に言葉の応酬しているのに、先週までとは明らかに違う。
この時間…なんか好きだな。
ご飯を食べ、2人とも急いでお風呂を済ませる。
お風呂から出た彼女は、頭を拭きながら質問してきた。
「杏のお母さんはそろそろ帰って来られるのかしら?」
「ん?多分今日は帰って来ないと思うよー。それか帰ってきても朝方とかだと思う」
「そ、そうなの!?そんなにお仕事大変なの?」
「あー、そだね。お母さん、書き物してるから。今日も夕方それの打ち合わせとかあったから忙しかったみたい」
それを聞いた彼女の顔が暗くなる。
まったく…。
「ほら、気にしないの。むしろ私を1人にしないで済むから、ありがたいって言ってたよ。いや、話してはないから…書いてたよだね。ほら!!」
そう言ってスマホを向ける。彼女がお風呂に入ってる時に、お母さんとしたやり取りを見せる。
「って事で…そろそろベッド行こうか。今日は私の言う事を何でも聞く日って事なので…よし!!一緒に寝よう」
「そんな事言った覚えありませんけど?」
やだなー、この子冗談通じないんだから…。
とりあえず私の部屋に移動して、ベッドに座る。
「聞きたいことありますよね?」
「何の話?」
彼女が単刀直入に質問してきたので、私はつい誤魔化してしまう。
多分なんで部屋に鞄を取りに行こうとしたかって事を私が気になっていると思ったのだろう…。
はい、知りたいです。とは…流石に言えないよね。
なので、私は誤魔化す事を選んだ。
彼女がベッドから降りて、部屋に置いていた鞄の中から手帳を取り出す。
その中からビニールに入った一枚の紙切れを持ってくる。
ビニールを開け、中の紙を取り出して私の前に置く。
「私の宝物なんです…」
その紙には、子供の文字でこう書かれていた。
『けっこんとどけ』
『だんなさん たかのそう』
『およめさん たかのおとは』
「小さな時の話です。まだ私が『お兄ちゃん』のお嫁さんになれるって信じていた時の…」
彼女が彼を『お兄ちゃん』と呼ぶところを初めて聞いて驚いた。
「私が湊に好意を持ってるのは気づいてますよね?家族の親愛って意味ではなく、異性としての…」
私は黙って頷く。
「私が湊を名前で呼ぶのは、心が『お兄ちゃん』と呼ぶのを拒否してるからなんです」
「妹では結婚出来ない…。でも私は諦められない。その事実をいまだに消化しきれないでいます」
うん、なんとなくそんな気がしてたよ。
「杏は…なんで湊が好きなんですか?」
ん?私が誰を好きだって!?
「わ、私は別にそういうのじゃ…」
思わず否定してしまう。
「嘘ばっかり。私も正直に話したのだから正直に答えてくれてもいいじゃない」
彼女はそう言うが…私は身に覚えがない。
あいつの事なんて別……
なんか、彼の事を考え始めたら、顔が熱くなってきたぞ?
いきなり、どうしたんだ…私。
「杏…もしかして今まで誰かを好きになった事なかったの?まさか…気づいてなかったの?」
あたふたする私を、驚いた顔で見てくる彼女。
鞄から手鏡を出して、私に向ける。
そこには顔を真っ赤にした女の子が映っていた。
そっか…私は恋をしていたのか…。
自分の事になると気づかないなんて、私も結構ポンコツだったのね。
そっか、私は彼に恋していたのか。
あの『挙動不審の冴えない男』に…
ようやくスタートラインに立ちました。この章、もう少しだけ続きます。




