26 痛々しい誤作動
岸本とは高校も大学も一緒で、話すようになったのは高校一年生の秋。
有名な剣道場に通っていた甲斐も有り、剣道部で優秀な成績を積み上げていた俺は、
先輩方によく思われて居なかった。
剣道着に吐き気がするほど制汗剤をかけられていたり、鍔が無くなっていたり、
ちょこちょこした嫌がらせも受けた。
そしてその日、いつも通り登校した俺は下駄箱を開け、黒いマジックでめちゃくちゃに
落書きをされている自分の内履きを見つけ凍り付いていた。
とうとう剣道関係以外の物にまで被害がきたのか。
そう思うと泣けてきて、周りから時折聞こえる「うわ、いじめ?」「かわいそー」
なんて呟きがよりいっそう惨めな気分にさせる。
(うざいことすんなよ…)
取り合えずスリッパでも取りに行こうと顔を上げたら、廊下の壁に寄り掛かって
ニヤニヤ笑ってこっちを見ている先輩達を見つけた。
無意識に体がびくりと跳ねる。
犯罪現場に戻ってくるとか、お前等は放火犯か。
「うわぁお。悲惨ですなー」
そんな中、間抜けな声に腹の立つ台詞で、見覚えの無い女子が近寄ってきた。
悲惨なのは自分が一番分かってんだよと怒鳴ろうか躊躇してる間に、持っていた
落書きまみれの内履きをその女子に取られた。
「死って漢字間違ってますよこれ」
「……え?あ、本当だ」
予想外の言葉に一瞬ついていけなかったが、よくよく見ると確かに落書きの「死」と
いう字のヒの部分がトになっていた。
「ぬぅ……なんて読むんですかね。解読できんのですが…」
「いや俺に聞かれてもさ…」
「はっ!!」
「なに?!」
「見て下さいこれ!!」
その子が指差しているところを慌てて見る。
「クマさん!クマさんが描いてありまっせ!なんという遊び心とデザイン性…!!
これを描いた人はおそらく私好みの愛らしい女子ですな!!」
「……いや、違うと思っ…」
「目とかピカピカにしてあって、やたら可愛いですねぇ」
「うぉ、マジだ。意外…」
「はっっ!!」
「今度はなに?!」
一々オーバーリアクションな相手にノリを合わせるのが大変だ。
いやそれよりその痛い喋り方なに?いやそれ以前にあんた誰?
周りにはいつの間にかギャラリーが集まってるし、この女子のせいか
小さな笑い声があっちこっちからしてくるし。なんだろこの状況。
「ブランドがアディダスに訂正してありますよ?!」
「ん?ああ……確かに」
「なんという親切…っ!この人の目的は一体……!?」
とうとう何人かが噴き出した。
続くように周りに居たやつらがげらげら笑い出す。
何だか俺もそれ引きづられて笑ってしまった。よく分からんが楽しい。
全然知らない奴が「ちょっと貸してー」とか言って俺の内履きに手を伸ばした。
そしてアディダスの部分を見て「本気アディダスだわー」とまた笑い出す。
突然後ろからガン、と大きな音がして騒がしかった辺りが静かになる。
音をした方を向けば顔を真っ赤にした先輩がこちらを睨みつけていた。
どうやら手近にあったゴミ箱を蹴飛ばしたらしく、ゴミが先輩達の足元に散乱している。
「お、貴方がアディダスさんですか?」
空気の読めてない痛い喋り方の女子が嬉しそうに先輩達に手を振った。
そのアディダスというあだ名が面白かったのか、また周りの奴等が爆笑する。
この状況で俺が笑うのは駄目だろうと堪えていたが、先輩達が何か言いたそうに
こちらを睨みつけながら去ったのを確認して、とうとう俺も噴き出した。
「……っていうのが、もっちゃんとの馴れ初めなんすけど」
「ふぅん。付き合い始めたのは?」
「高二の春辺りですね。告ったのはもっちゃんの方からで」
「へぇ…岸本からなの……」
下半身が蛇みたくうねうねしている店長さんが、突然俺のとこなんか来るから何かと
思えば、どうやらもっちゃんと俺の関係がどんなだったのか聞きにきたらしい。
もしかしたらもっちゃんを誑かした罪でその尻尾でキュッとされてまうんでは…と
内心びくびくしていたのでほっとした。
「その話聞くとアンタ、昔と今の性格と随分違わない?」
「いやぁ~…あれから俺ももっちゃん見習ってケンカ腰やめたんですよ。
したら嫌がらせ無くなったし、先輩達ともそこそこ仲良くなれたしで、
もうこの路線で残りの人生行くっきゃないなぁと」
実際それから誰かに嫌われることはあっても恨まれたり嫌がらせされるような
事は無かった。
それに最初こそ違和感があったが、今ではこの性格が地になっていて中々楽だ。
「別れたのは何で?」
どきりと心臓が嫌な音を立てる。
声色も態度もさっきから全然変っていないはずなのに、なぜかこの言葉だけ
やたらと重く感じた。
きっと本当に聞きたかった部分はここなのだと、なんとなくだが理解しまった。
「いやぁ。予感がね。突然きましたね。
大学受かってすぐでした。あ、もう駄目かもって思ったんすよ」
コンビニの肉まんを一緒に買い食いしながら歩いていた駅近くの道路で。
きっと恋人なんてポジションではもっちゃんを許せなくなるだろうと、分かってしまった。
見知らぬ他人でもどんなモメ事にもふらふら首を突っ込んで、のらりくらりとモメ事を
中和して帰ってくる彼女をいつか許容できなくなる。
恋人なんて役柄では。
でも、離れがたい。
「そしたら、もう友達に戻った方が自制きくかなって考えて」
それが案外効果があった。
元々恋愛体質ではないので、友達というレッテルがいい具合に自分に作用して
もっちゃんと程よい距離を保てるようになった。
そして今のような元カレで友達なんて場所を確保するに至る。
蛇の店長さんはその答えが自分の望むものじゃ無かったせいか、難しい顔をして黙り込んだ。
「同盟組みます?岸本見守り隊みたいな」
「は?何言い出すの」
「だって多分無理すよ。店長さんにもっちゃん離れは」
「……そう見える?」
「だって二人、仲良すぎですもん」
きっとこの店長は、岸本と別れられる方法を探して俺のとこまで来たのだろう。
申し訳ないが徒労でしかない。
人にもよるが、少なくともこの店長さんはもっちゃんと一線引くのは無理だ。
店長さんの表情は、まんざらでも無さそうな苦笑いを浮かべていた。
その綺麗過ぎる顔をちょっとの時間眺めていたら、近くの部屋から叫び声が聞こえてきた。
「ぽんぽんが冷えちゃいますよ私」
「何だよぽんぽんて!お前何歳?!」
「ハタチです。それにこんなとこ誰かに見られたらいやんな展開になりません?」
この妙ちきりんな会話(の体を成していない)文は、絶対もっちゃんだ。
隣に居た店長がまたかとばかりに盛大な溜め息を吐く。
コンコンとノックをした後「もうそろそろ入っていい?」と店長さんが大きめな声で
質問すると、凄い勢いで黒ブチ眼鏡の人が出てきて店長さんに抱きついた。
「ママ!ママぁ!違う違うあのねっ」
「うっさい」
「あのクソブスがママにべたべたするからちょっと威嚇しよう思っただけで!」
「だからうるさ……耳元でちょっと」
「黒ブチさん、店長困ってますよぉう」
「うっせ帰れ!土に還ってろお前は!!もしくはお茶淹れて来いママと僕の分!!」
「ぬぅ。パシリですな。やりましょう」
相変わらずなもっちゃんに自然と顔が緩む。
「手伝おうか?」
「お、木戸さんじゃないですか。よろしくお願いしますわぁ」
へらりと笑うもっちゃんがゆっくり歩き出す。
この子の面倒見ないといけない店長さんは、きっと色々大変なんだろうなぁ。