日向キャプテンの足音ー情は危険を招きます
久しぶりの更新になりました。
クリスタニアのブリッジでは、通信士の栗栖が雑音に混じる音声をキャッチしていた。
「他船より呼びかけあり。確認中」
“BMM… little bear…”
(BMM……リトルベア……)
途切れ途切れだが、確かにBMMと言っている。
栗栖が確認を進めると、バルクキャリアのリトルベアであることが分かる。
珍しく遠距離まで届いた無線に、ルイはわずかに驚いた。
「珍しいね。こんなところまで届くなんて。よっぽど助けが必要らしい。本社に連絡してくれるかい?」
「了解。本社、こちらクリスタニア。無線でリトルベアの呼びかけを確認した」
本社運航管理部、バルクキャリア部門は慌てたように応答する。
『クリスタニア、バルクキャリア部門の神崎です。距離はまだだいぶ離れています。可能な範囲でリトルベアに返答願いたい。ずっと身動きが取れないままなんです』
「本社、副長のルイだ。身動き取れない?退避命令は出していたんじゃないのか?」
『ルイ副長、リトルベアは小型バルカーです。周辺にウルトラ級VLCCが多く、危険で動けない状況です。牛の群れに子グマがいると思ってください』
ルイは短く頷いた。
「なるほどね。了解した。引き続き注視する。リトルベアからの呼びかけはキャッチした。こちらからの呼びかけを待てと伝えて」
通信を終えると、すぐに栗栖へ指示を出す。
「リトルベアの位置情報、再確認。無線の状態も継続してチェックしてくれ」
「了解」
ルイは前方を見据えたまま言った。
「少し急ごう。子グマが迷子だ」
「了解。速度21ノットへ」
エンジン出力が上がり、船体にわずかな振動が走る。
「補給時間を縮めよう。運航管理部。」
ルイはすぐに次の判断を下した。
『こちら運航管理部。クリスタニア、どうしましたか?』
「寄港地での滞在時間を短縮する。出来うる限りの速度で航行し、紅海方面へ急行する。よろしいか?」
『承認します。被弾する船舶が増えています。クリスタニアが協調運航で引っ張る数は、およそ20隻を超える見込みです』
「了解した。従わない船は置いていくぞ」
『……状況次第で改めて報告を』
ルイは少しだけ眉を顰めた。
「クリスタニアは優しくない。了解だ」
クリスタニアは、マニラへの航路を維持したまま速度を上げた。
クリスタニアがリトルベアの呼びかけをキャッチしたと聞いたクルーズ部門は、その無線精度に驚いていた。
「この距離で拾えるの……?」
「マニラ付近のゲリラ豪雨でも精度は落ちない。それがクリスタニアの標準だ」
「ほら、クリスタニアの凄さ分かりました?」
と社員の一人が得意げに言う。
運航管理部は即座に返した。
「まだ紅海に辿り着いていない。これからだ」
同じ頃。
レジェンディアが、全員下船命令にも関わらず株主一名とその執事を残したまま出港したという報告が、日向キャプテンのもとに届いていた。
「未下船は誰だ」
『レイコ・オーガスティア様と、その執事エイドリアン・ヴェイル氏です。ヴェイル氏はロイヤルネイビーの中佐であり、北太平洋航路における潜水艦遭遇リスクへの対応として同乗を許可したと―』
日向の目がわずかに細くなる。
「……本当にそれだけか?オーガスティア様だけを下船させることも可能だったはずだ。」
ニューヨーク支社の声が詰まる。
『そ、それが……』
「なんだ。言え」
『ニューヨーク出港の際、オーガスティア様とヴァルナー副長の間に……芽生えたものがあるようで……』
「何が芽生えたというんだ」
ニューヨーク支社はますます縮こまった、
『……こ、こ、恋…です』
短い沈黙。
「……そうか。ご苦労だった」
通信は切られた。
日向は黙って立ち上がると、そのままクルーズ部門のフロアへ向かった。
背後に青い炎でも見えるかのような日向キャプテンの様子に、社員たちは震え上がった。
「エリコ常務」
その声に、エリコ常務は飛び上がった。
立場上、平静を装おうとするが、日向キャプテンの怒りの理由は分かっている。
「……何かしら」
「レジェンディアで株主一名が未下船とのことですが。全員下船命令は出していたはずです」
「事情があります。北太平洋航路ではロシアの潜水艦や航空機による接触リスクが想定されます。軍人がアドバイザーとして乗船していた方が安全です」
「それで許可されたと?」
「ええ」
日向キャプテンの目は鋭いままだった。
「軍人であるヴェイル中佐だけならともかく、オーガスティア様は何がなんでも下ろすべきでした。ヴァルナーが関係したようですが」
「帰港指示は出しています。オーガスティア様の下船をいつまでも待つわけにはいかないでしょう?」
「本来なら、ヴァルナーもヘンリー船長も処分対象です。船では情こそが危険を呼びますからね。これがクリスタニアの船長候補とは。片腹痛い。」
それだけ言い残し、日向はその場を後にした。
エリコ常務は深く息を吐く。
「……レジェンディア。どうするのよ、これ」
クルーズ部門は、ただ頭を抱えるしかなかった。
怒りの日向キャプテンに、富士崎社長の命令だと言い返せるはずもなく、クリスタニアの運用計画はますます行き詰まっていった。
日向キャプテンの怒りは尤も。
クリスタニア運用は一大プロジェクトとも言える重要な計画なので、リヒトの行動は許しがたいものだったのです。




