束の間の安息ー本社と子熊
平和なクリスタニアですが、ペルシャ湾近海は混沌の真っ只中。
クリスタニアは第二の寄港地マニラへ向けて順調に航行していた。海は穏やかで、風も弱く、波も低い。まるで何も起きていないかのようだった。
ブリッジには、ゆるやかな空気が流れている。
「クリスタニア〜、今日も素敵なレディだねぇ〜」
ルイは機嫌よく前方を眺めた。フレデリクはティーカップを片手に肩をすくめる。その大きな体に、カップはやけに小さく見えた。
「気性難とは思えないな。だが、怒ると怖い船だ」
ルイは軽く笑う。
「大したことないよ。……まあ、喜望峰に行ったら、さすがにすごいと思うけどね」
三井がすぐに食いつく。
「え、何がどうすごいんすか?」
ルイは振り返らずに答えた。
「クリスタニアは、多分――高波で飛ぶよ」
一瞬、空気が止まる。
「……は?」
ルイは楽しそうに笑った。
「まあ、楽しみにしてなって」
その言葉に、誰もすぐには返せなかった。
その頃、本社運航管理部は限界に近づいていた。紅海、ペルシャ湾、インド洋。次々と入る報告に、被弾した船、退避する船、動けない船が混在する。一隻一隻の状況を把握するだけで手一杯だった。
「リトルベアの位置は」
「変わらず。周囲はVLCCが退避航行中」
「……動けないか」
「早く帰港させるべきなのは分かるが、流れを読まなければ危険だ」
「このままにもしておけないだろう」
短い沈黙の後、指示が下る。
「状況を見ながら離脱しろと伝えろ。うまくいけばクリスタニアが拾う」
誰も反応しなかった。それがどれほど難しいことか分かっているからだ。
同じ頃、紅海。小さなバルクキャリアが一隻、取り残されていた。遠くで鈍い爆発音が響く。船体がわずかに震える。
“Little Bear, calling any vessel…”
(こちらリトルベア。どなたか応答願います……)
返事はない。
もう一度。
“This is BMM Little Bear… Is anyone there?”
(こちらBMMリトルベア……誰かいませんか……?)
ノイズだけが流れる。
“…Anyone…?”
(……誰も、いないの……?)
小さな子熊は、身動きが取れないまま、その場に留まっていた。誰にも届かない呼びかけを、繰り返しながら。
ひとりぼっちのバルクキャリアの声は誰かに届くのでしょうか




