全てが出会う空―運命のフライト
ブルーリッジ・サガに向かう前の、静かな時間です。
まだ何も起きていません。
ですが、この時点でほとんど決まっている気もします。
リヒトはまだ少し尖っていて、
日向は相変わらず容赦がありません。
そして、この後に繋がる“出会い”が、少しだけ混ざっています。
諸々の手続きは、本社が異様な速さで進めていた。
それに合わせるように、ニューヨーク行きの段取りも整えられていく。
現場にいる者たちは、その流れに乗るしかない。
一等航海士リヒト・ヴァルナーは、本社オフィスで資料を見ていた。
ブルーリッジ・サガ。
その運用記録、エラーログ、乗員交代履歴。
どれも、決定的な異常は示していない。
だが、運用は成立していない。
「本当に何がそんなに気に入らないんだ。」
「……お前を連れていくとはな」
背後から声が落ちた。
振り返るまでもなく、日向だった。
「社長はお前を乗せるつもりかもしれんが」
デスクに手をついたまま、低く続ける。
「お前が新造船に乗れば、DMCが黙っていない。分かっているのか」
リヒトは視線を資料から外さない。
「分かりません」
間を置いて、淡々と続ける。
「自分は、社長の命令に従うだけです」
一枚、ページを送る。
「ブルーリッジ・サガは、自分が手懐けますので」
ほんのわずかだけ、口元が動いた。
「ご心配なく」
日向は何も言わなかった。
ただ一瞬だけリヒトを見て、踵を返す。
そのまま、自分のデスクへ戻っていった。
日向はDMCを嫌っている。
リヒトへの当たりが強いのも、そのせいだ。
だが、腕は認めている。
それだけは、誰の目にも明らかだった。
リヒトは再び資料に視線を落とす。
その中の一文に、指が止まった。
―この船を扱える航海士は、間違いなく一流と言えるだろう。
―我が社の一流では歯が立たない暴れ馬だが。
小さく息を吐く。
ブルーリッジのクルーは、荒天でも崩れない。
それでも手に負えなかった。
ならば原因は、単純ではないはずだ。
「……なるほどな」
誰に聞かせるでもなく、呟く。
「お前が人間だったら、俺が愛してやるのにな」
資料を閉じる。
「待ってろ」
準備は整った。
数日後。
富士崎桜は、日向、リヒトを含むブリッジクルー、そして一部のエンジニアを伴い、ニューヨークへ向かった。
フライトの途中。
日向は一人のパーサーに目を留めた。
無駄のない動き。
正確な距離感。
視線、所作、すべてが整っている。
(……美しいな。)
心の中でだけ、そう評価する。
そのパーサーが、日向の席に足を止めた。
「日向さま」
声は落ち着いている。
「この先、積乱雲が発達しており揺れが予想されます。お仕事中のご様子でしたので、先にお声掛けいたしました」
日向はノートパソコンを閉じた。
「そうですか。助かります」
視線を上げる。
「クルーの皆さんも、ケガには気をつけてください」
軽く会釈を返し、パーサーはその場を離れる。
やがて機体は雲に入った。
次の瞬間、大きく揺れる。
悲鳴が上がる。
通路では、キャビンクルーの身体が壁に打ち付けられる音がした。
それでもパーサーは、崩れなない。
こめかみから血が滲んでいたが、気に留める様子もない。
「慌てないで。ケガした者は抜けてから手当てを。」
短く、的確に指示を飛ばす。
日向はその様子を、静かに見ていた。
⸻
数時間後。
機体はニューヨークに到着した。
降機の列が進む。
日向は足を止めた。
先ほどのパーサーが、前方に立っている。
声をかける。
「おケガされたようですが、大丈夫ですか?」
パーサーは一瞬だけ驚いたように目を上げた。
「問題ございません。ご心配をおかけしました。」
日向は名刺を取り出す。
「あなたのような方なら、うちの船がよく似合うでしょう。」
差し出す。
「またお会い出来るのを楽しみにしていますよ。」
パーサーはそれを受け取る。
視線が名刺に落ちる。
顔色が、わずかに変わった。
顔を上げたときには、もう日向はいなかった。
ボーディングブリッジの向こうへ、姿を消している。
ニューヨークの空気が流れ込む。
次に向かうのは、あの白い船だった。
第二話まで来ました。
サガにはまだ触れていませんが、
この段階で「誰がどう見るか」はほぼ揃っています。
同じ船でも、
見る人間によってまったく違うものになります。
次話はいよいよニューヨーク。
あの白い船と、初めて向き合います。




