沈黙の評価―それで終わりだ
日向キャプテンはお怒りです。
シンガポールの港は、いつも通りの顔をしていた。
巨大な船体が静かに並び、クレーンが規則的に動く。世界の物流の中心であることを、何事もないように示している。
クリスタニアは、その中に違和感なく溶け込んでいた。
ここまでは、驚くほど穏やかな航海だった。
補給作業が進む中、ブリッジに一報が入る。
ノースレイジアクルーズのフェンリルが出港するという報せだった。
ルイはわずかに目を細めた。
そして、回線を開き陽気な声で呼びかけた。
"Hey, comrades. "
(やぁ、盟友たち)
すぐに返答が来る。
"Huh? …Louis? Is that you? "
(ん?……ルイ?ルイなのか!)
驚いたフェンリルの様子に
ルイはイタズラっぽく肩をすくめた。
「"My wife insisted. I’ve been assigned to the White Rose."
(妻に頼まれてね。白薔薇様に乗ることになったよ)
"Quite the demanding lady, I must say."
(なかなか手厳しいレディでね)
フェンリル側が豪快に笑う。
"What are you talking about! Our wolf’s far wilder than that!"
(何言ってる!うちの狼の方が気が荒いぞ!)
"She’s still the gentler one, if you ask me! "
(まだお淑やかじゃないか!)
ルイも小さく笑った。
"Fair enough. See you out there. Safe sailing. "
(まったくだ。またどこかで会おう。安航を祈ってるよ)
低く長い汽笛が鳴る。
フェンリルからの長音だ。
クリスタニアも、それに応じた。
通信が切れると、三井が興味津々な様子で、身を乗り出した。
「ルイ副長!フェンリルに乗ってたんですね!すげぇ!」
目が完全に輝いている。
ルイは苦笑した。
「あれはねぇ、…本当に船なのか疑うことが何度もあったけど。気性難なのはホントだよ。クリスタニアの方がずっとレディだね。」
三井は尋ねる。
「例えばどんなとこっすか??」
「とにかく気性が荒くてね。油断するとすぐ牙を剥くし唸るし。フェンリルなんて名前、伊達じゃなかった。」
軽く言っているが、冗談ではない響きだった。
頭にはてなマークを浮かべる三井に、機関長の谷屋が説明する。
「たぶん、スラスターの反応が大きいんだろ。難易度が高い場所での操船ほど、加減が難しい。スタビライザーを使えば使うで、これも可動域が大きいから下手をするとやり過ぎる。つまり、デカさが違うんだ、何もかも。北の荒れた海が標準だから、普通の海では気性難に見える。」
「そーゆーこと。」
「なるほどー。それでなんですね。勉強になりました!」
その時、別の情報が流れ込んでくる。
【中東情勢の悪化。商船が複数被弾。大規模攻撃により周辺の石油関連施設で火災が発生中】
航行を開始した船舶、被弾した船舶、足止めされている船舶。
情報は断片的だが、一つの方向を示していた。
ルイは短く息を吐いた。
「混沌か…協調運航を指示しているのは、おそらくBMMだけだな」
静かな声だった。
「それだけ日向キャプテンは商船の価値を分かっている……同時に、クリスタニアに絶対の信頼がある。」
三井が肩をすくめる。
「シゴデキなのは分かるんすけど……おっかないんっすよね。『日向だ』って無線入るだけで、自分ちびっちゃいそうですもん。」
「クリスタニアのキャプテン、どうなるんだろ……」
同じ頃、本社タンカー部門。
回線はひどく荒れていた。
『協調運航の基準船が新造船だと?ふざけるな!』
『気性難の暴れ馬に、俺たちを引っ張る器量があるわけねぇだろ!』
怒号が重なる。
『ここに何隻いると思ってる!大船団だぞ!』
『ナメてるのか!』
応答側は、深く息をついた。
やはりこうなった。
「協調運航は本社命令だ」
それでも声は収まらない。
『誰の命令だ!』
その瞬間、回線が切り替わった。
一瞬で空気が変わった。
「俺だ。」
低く、冷たい声。
「商船の価値を考えればこそ、最新システムを搭載したクリスタニアを出したが、それでも従えないと言うのだな?」
短い沈黙。
「新造船ごときに基準船が務まるか!」
吐き捨てるような声。
「クルーズ部門がしゃしゃり出てくるな!」
その言葉に、タンカー部門は全員が青ざめた。
「……如き、と言ったな」
声の温度が、さらに下がる。
「その言葉は、社長に対してのものと受け取っておこう」
それだけ言って、回線を切った。
「ひ、日向キャプテン!申し訳ありませんっ!」
静まり返った室内で、日向キャプテンが振り返る。
「クリスタニアに従う者だけ連れ帰る。異論は認めん。」
短い一言。
誰も異を唱えることは出来なかった。
あのクリスタニアに対して、それもクルーズ船全てを統括する日向キャプテンに対しての言葉。
完全に喧嘩を売った形になったのだから、当然だ。
(まずい…全船を連れて帰ってくれなんて、言えんぞ…)
その頃、紅海の片隅で、退避を始めたVLCCたちの間に、一隻の小さな影があった。
進むことも、戻ることもできない。
ただ、その場に立ちすくんでいる。
小型バルカー――リトルベア。
誰にも見つけてもらえないまま、海の中に取り残されていた。
実務レベルで見ると、日向キャプテンの怒りはごもっとも。
協調運航指示に対して従わない、というのは現実では大問題です。




