満月の逢瀬-残るのは香りだけ
どんな苦悩も、形を変えて和らぐ瞬間があります。
それが人であることも、場所であることもある。
出会いは偶然に見えて、その時に必要なものだけが現れるのかもしれません。
何度か、同じ夜が重なっていた。
満月の下、晴海埠頭。レジェンディアを見上げる時間の中で、彼女は自然と隣にいるようになっていた。多くを語ることはない。それでも、不思議と満ちていた。
ある夜、リヒトはふと口を開く。
「……名前を、聞いてもいいですか」
女は一歩、距離を詰めた。人差し指が、そっと唇に触れる。
「ここでは、私が誰であろうと、あなたが何者であろうと、関係ありませんわ」
リヒトはその手首を掴んだ。強くはないが、問いを引き戻すには十分だった。
「……それが答えですか」
女はわずかに首を傾げ、微笑む。
「さぁ。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。互いに必要なら、自然とそうなるだけですわ」
リヒトは手を離した。
「ごきげんよう」
それだけを残し、女は闇に溶けていく。
夜はいくつも重なった。
気づけば、彼女はすぐそばにいた。触れれば応える。だが、決して留まらない。どれほど時間を過ごしても、朝を迎えることはない。ただ、ふとした瞬間に姿を消し、甘い香りだけが残る。
数ヶ月が過ぎ、レジェンディアの航海は少しずつ輪郭を持ち始めていた。
その夜も満月だった。リヒトはいつものように晴海埠頭を歩く。船に集中しなければならないと分かっているのに、思考は別の場所へ流れていた。ここ一月ほど、彼女は姿を見せていない。
「……らしくないな」
足を止めた。
そこに、彼女はいた。
いつもより香りが強い。ドレスは華やかで、どこか外の空気を纏っている。
「……どうしていたんですか」
思わず、歩み寄る。
女は視線を外したまま言う。
「あなたではない人に会っていただけよ」
あまりにもあっさりとした言い方だった。
リヒトは言葉を失う。
女はゆっくりと視線を向ける。
「いいこと?」
静かに言う。
「今のあなたに、あの夜の苦悩なんてありはしない。だから、ここまでよ。」
リヒトは何も言えなかった。
女は振り返らず、そのまま歩き出す。
ヒールの音が遠ざかり、やがて風に紛れて消えた。
それ以降、彼女が姿を見せることはなかった。
同時に、あれほどの苦悩はいつしか消えていた。
DMCなんて関係ない。
自分は今この瞬間だけを見ていればいい。
あの夜のように。
リヒトはブリッジの扉を開けた。
名前も、過去も知らないまま終わる関係でも、残るものは確かにあります。
すべてを変える出会いもあれば、静かに整えるだけの出会いもある。
そのどちらも、必然だった2人たったのかもしれません。




