ラストメモリー
眠りを妨げるものをどけようとしてクリスチャンは頭を振った。
「髭が伸びてる。剃ったほうがいいわよ。似合ってない」
目を開けると永遠が顎から視線を上げて微笑んだ。
「具合は…具合はどうだ?」
声がかすれたので言い直した。
「なんだかお腹が空いたような満たされない感じがする」
それなら対処できる。
「でもそれを除けば、今までにないくらいいい気分」
「よかった」
「あなたが変えてくれたんでしょう。私、ちゃんとヴァンパイアになってる?」
「ああ。あとでその可愛い牙の使い方を教えてやろう」
永遠は人間だった頃と変わらない無邪気な瞳で見上げていた。
これほどまで信頼を寄せてくれていたのに、わたしにはなにも見えていなかったのだな。
「信じてやらなくて悪かった。これからは君がなにをいおうと信じるよ」
「いいのよ。あなたはあいつに苦しめられてきたんだから。そういえばエドモンドはどうなったの?」
「奴は死ななかった。だが心配しなくていい。もう君を傷つけるものはいない」
黙って頷いた永遠の瞳が輝いたことに気づいた。
「どうした?」
「あなた、いったわね。なんでも信じるって。これからおいしいものをたくさん食べて私が太っても、あなたはなにもいえないのよ。私の嘘を信じなくちゃならないんだから」
永遠のウエストを両手で掴んだ。
「ではわたしは料理でも習いにいくとするか。見てみろ。ほとんど指がくっつきそうだ」
永遠は彼の手をはたいてベッドを抜け出た。
「もう心配しないで。本当に元気なんだから」
証明するように部屋を歩きまわる永遠を絶えず目で追った。
まだ彼女が人間だった頃の癖が抜けなかった。だがそうしていなければ、あっという間に永遠を失うところだった。
「開けてはだめだ」
切羽詰った口調に永遠が遮光カーテンから手を離した。
「目が痛くなる?」
「いや」
なにかを感じる前に燃え尽きるだろう。
「君は転生したばかりだから」
「ああ、そっか。いつ外に出られるの? 来週くらい?」
永遠の受ける衝撃を和らげようと笑みを浮かべた。
「来年かな」
永遠がベッドに戻ってきた。
「私、モグラになっちゃったの?」
強張った小さな背中を見ていられず、手を伸ばして抱き寄せた。
「夜は外に出られるから」
クリスチャンの胸に顔をうずめたまま、彼女は頷いた。
彼女を変化させたのは間違いだったのだろうか。神の意思に背いて、飛び立とうとする命をこの世界に繋ぎ止めてはいけなかったのかもしれない。
もしその報いを受けなければならないなら、神よ、どうかわたしに受けさせてください。
彼女はもう十分すぎるほど苦しんだ。
「わたしを、恨んでいるか?」
「そんなわけない。昨日のあれ、嘘だから」
「あれ?」
「あなたなんて嫌いっていった」
心に希望が湧いた。
「そうなのか? では本当はどう思っているのか教えてくれ」
「あなたが先にいって」
「愛している」
永遠が先を求めるように顔を上げた。
「それだけ? ひと目見たときから愛していた。これから何十年先も変わらずに愛し続けるよ。とかいって欲しかったのに」
「それはあまりにも…」
「ロマンス小説っぽいっていうの?」
「ああ」
本当は『あまりにもくさすぎやしないか』といおうとしたのだがいわなくてよかった。彼女はロマンス小説に傾倒していた。
「女の子なら誰だってそういうことをいって欲しいものなの!」
「目を覚ましたら呼ぶっつったじゃねーか」
身を引いた永遠を捕らえようとしたクリスチャンの手が空を掴んだ。
部屋に飛び込んだブリスは、三歩もいかないうちに胸にぶつかってきた重みに押し倒された。
「ごめんなさい。力加減を間違えたみたい」
上に乗っかっていたのはキラキラした目の永遠だった。
「永遠…。すげー元気そうだ。クリスが?」
手を上げて色味を取り戻した頬に触れると、永遠がふっと笑い、首筋に顔を埋めた。
「ええ。あなたを倒せるくらい元気よ」
温かな吐息が首筋をくすぐった。
噛むつもりなのか? さっき笑ったときに見えたあの小さな牙で?
委ねるように力を抜いた。
すごくそそられる。
けど、こんなときいつもならとっくに邪魔が入ってんのに。頭をもたげた。
クリスチャンは目に涙を浮かべて永遠を見ていた。
ったく。興ざめだ。
永遠の背中に手を添えて身を起こした。
「クリスんとこに戻れよ」
永遠は首を傾げ、耳を澄ますとブリスから離れた。二人の仕草から互いに対する愛情がにじみ出ていて、一抹の寂しさを覚えた。
二人とも相手のことしか眼中にないんだろう。俺は邪魔者だな。
そっとドアを閉めた。
「泣かないで」
永遠はクリスチャンの髪を撫でた。
「なぜ泣く必要がある。これほどの奇跡を前にして」
「でも感じたのよ。ブリスだって…」
彼はいなくなっていた。
「どこへ行ったの?」
「飯でも食いに行ったのさ。さあ、君も腹が減っただろう」
クリスチャンは袖をまくった。
「咬んでごらん」
差し出された手首と彼の顔を交互に見た。
「だいじょうぶ。痛くないから」
しぶしぶ彼の手を掴んで軽く歯を当てた。
「だめだよ。ちゃんと力を入れて」
あごに力を入れると口の中に金属のような風味が広がった。
馴染みのない味に顔をしかめた。
「今はこのくらいにしておこう。気分が悪くなったら困る」
一口飲みこんだだけで彼は手を引いた。
「ふう」
もたれかかった永遠の体を支えながらクリスチャンは袖を下ろした。
「まだ体が適応していないのだな。少し眠りなさい」
キルトを掛け終えるとそのまま眠ると疑いもせずに、彼は部屋をあとにした。
あくびをしながらベッドの下を探り、手に触れた籠を引き寄せた。
クリスチャンのにおいがして永遠は笑みを浮かべた。
「いい夢でも見ているのか?」
「覚えてない。でもあなたが出てきたような気がする」
あくびを噛み殺しながら枕から頭を上げ、遮光カーテンの引かれていない窓に目を向けた。
「お出かけの時間?」
「ああ。眠れなかったのか?」
本当に目ざとい。
「うーん。寝たりないだけ。まだクリスマスよね」
「あと二時間ほど残っている。もし具合が悪くなければ、見せたいものがあるのだが」
ベットから飛び降り、ナイトガウン姿のままドアへ向かった。
「なに? すっごく元気よ」
彼は苦笑しながら後を追い、真新しいキャメル色のロングコートを着せ掛けてくれた。
「君は知らないかもしれないが、外は恐ろしく寒い」
ボタンを止めようとするクリスチャンの手を押さえた。
「プレゼントばっかりしないで。私、あなたといられるだけで幸せなの」
「嬉しくないわけではないのだろう?」
「もちろん嬉しいけど。なんだか不安になるの」
いつか彼が後悔する日が来るのではないかと。
「金の心配をしているのか? 少し贅沢をするくらいの余裕はある」
クリスチャンの手を放した。
それを同意と受け取ったのか、彼はボタンを止め終えて微笑んだ。
「よく似合う。外で待っているから、厚着をしてきてくれ」
暗い森の中、永遠の手はクリスチャンの手の中にあった。
彼は永遠が転ばないように気を遣ってくれているようだったが、足をとられそうな木の根もよく見ることができた。
「どこまでいくの?」
「もうすぐだ」
後ろを振り返ると、かすかに積もった雪が並んだ足の形に溶けて長く続いている。これから先、私たちは同じように生きていくのだろうか。
「あっ」
くぼみに足をとられた永遠を彼が支えてくれた。
「だいじょうぶか?」
時には立ち止まって、つまづいても支えあって。
なにかを期待してクリスチャンの目を見上げた。
「君はヴァンパイアになってもそそっかしいな。抱えているほうがよほど安心だ」
軽く押したつもりだったが、不意をつかれた彼はバランスを崩した。大きく腕を振りながら、助けようとした永遠もろとも冷たい地面に倒れた。
「ごめんなさい。怪我してない?」
彼は目を閉じたまま仰向けになっていた。
永遠はクリスチャンの体に守られていたが、彼の背中はどんどん雪がしみこんでいることだろう。
「新人の教育は変化させた者の務めなのだ。だがわたしには君の面倒をみる自信がない」
髪で表情を隠しクリスチャンを引っ張り起こした。
「ごめんなさい」
「怒ってなどいないから悲しそうな顔をするな」
クリスチャンがどこへ向かっているのかよりも、もうへまをしないように足元だけに意識を向けて、大人しく手を引かれていった。
「ここに座って」
厚手の防水布が敷かれた場所に注意深く腰を下ろした。
「ブリス! 点灯してくれ」
カラフルな電飾が一斉に瞬き始めた。
重たげに幾多の飾りをぶら下げたもみの木が、目の前で繰り広げる色の変化を言葉もなく見つめた。
「気に入ったか?」
ゆっくりと首を振った。
「なんていったらいいのかわからない。あまりにも綺麗で」
「ココアもある」
湯気と共に立ち上る甘い香りが辺りに漂った。
受け取ったカップを両手で包み、伝わる温もりを楽しんだ。
「ほんとに綺麗。これだけ準備するのは大変だったでしょ」
「たいしたことはない。ブリスにも手伝わせたのだ」
「そうなの。じゃあ後でお礼をいわないと」
ココアをすするクリスチャンに身を寄せた。
「ねえ、私も特別な力が使えるようになる?」
「まだ先の話だが、いずれは」
「そう? 私、なんとなくあなたの気持ちがわかるんだけど」
彼は慎重にカップをおいた。
「ほう。ではわたしはなにを思っている?」
「一言でいうなら不安、かしら。私があなたへの気持ちをきちんと伝えてないから」
ツリーから目を離し、クリスチャンに向き直った。
「愛してるわ。あなたがあなただから愛してる」
やっとクリスチャンの顔がほころんだ。
「君のためならどんなことでもする。だが逆に、君の望まないことはしたくない。だからやはり納得がいかないというのなら、贈り物はこれを最後にする」
「そのことなんだけど、私も贈り物をすればいいと思うの」
コートの中から急いで編み上げたマフラーを取り出した。
「こんなのじゃ釣り合いが取れないのはわかってるけど」
「君が?」
「当然でしょ。こんなのお店では売ってないわ」
彼の首に巻いてみると、短すぎてひと巻きするのがやっとだった。
穴や引きつればかりのマフラーは上等な装いにまったくなじまない。
「やっぱりだめ。もっと上手になるまで待って」
外そうとした永遠の手を掴んでクリスチャンは微笑んだ。
「まったく釣り合いが取れないな。これほど気持ちがこもった贈り物は初めてだ。とても嬉しいよ」
彼は本気にしなかったが、永遠には本当に気持ちがわかるのだった。
彼からは喜びがあふれていた。
価値のない出来損ないのマフラーなんかを巻いて、少年のように屈託のない笑顔を見せてくれた。
照れくさくなって下を向き顔を隠した。
「ひと目見たときから愛していた。これから何十年先も変わらずに愛し続けるよ」
棒読みの台詞に顔を上げ、彼を睨んだ。
「からかわないで。思ってもいないくせに」
「たしかに。わたしであればこういう。わたしの苦しみは君に出会うためだった。これから何百年先も君の横にはわたしがいる。そして今にも増して君を愛し、崇めるだろう、と」
「そっちのほうが素敵だわ。それは本気?」
「もちろんだとも。おっちょこちょいで頑張り屋で涙もろく、思いやり深い。君のすべてひっくるめて愛している。永遠、結婚してくれるか?」
「あまりにも幸せすぎるわ」
彼は『はい』か『いいえ』以外の答えは受け入れなかった。
「結婚してくれ」
「私でいいのなら。ええ、あなたと結婚します」
彼から喜びの波が押し寄せてきて、寒さも感じないほどだ。二人の間にあった永遠の手を彼が握った。
「クリスチャン?」
こっちを向いた彼に身を伸ばしてすばやくキスをした。
彼は一瞬動きを止めたが、手が頭に添えられた。
「まったく釣り合いが取れないな」
今度はゆっくりと唇が触れ合った。
「クリスチャンは僕らがいることを失念しているようだね」
少し離れた木の陰で、情熱的な恋人たちの姿にアダムは忍び笑いをもらした。
「あの娘がそそのかしたんでしょ。はしたないことだわ」
「おやおやイヴ。昔は僕らだっていろいろと無茶をしたものじゃないか。忘れてしまったのかい?」
数々の思い出が頭をよぎり、イヴは顔を赤くした。
「私も変わったのよ」
「そうかもしれない。昔の君は僕に隠し事なんてしなかった。クリスチャンに手を貸すようエリカに口添えしたのは、いったい誰だろうね」
出会った頃よりも成熟したアダムの顔に変わらない笑みが浮かんでいる。
彼の肩にふわふわとした綿雪が舞い降りた。
「さあね」
目から寒さが忍び込んできて身を震わせると、背後からアダムに抱きしめられた。熱を起こそうと腕をこすっているが、彼はこれを無意識にやっている。いつも意識せずに自分のことを思いやってくれることこそが、イヴをなにより幸せにしてくれた。
彼とだから終わりのない旅を続けてこられた。
目の前を淡い雪が漂い、髪にからんだ。
ツリーの前にいる二人はお互いを見つめるのに夢中で、雪が降っていることにも気づいていない。それでもやわらかな雪はあたりを舞い、二人の上で身を休めてはふっと消えていく。
幸せになりなさい。
この雪のように、幸せはだれしもに平等に降りかかるのだから。




