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ラストメモリー  作者: 黄昏アオ
残り2ヶ月
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真実

 永遠の肌は寝かされたシーツと見紛うほど真っ白だった。傷自体はどれも浅く命にかかわるものはなかった。ただ一点、首の咬み傷を除いては。そこからほとんどの血液を失っていた。どのくらい体に残っているのかわからないが、恐らく生存ぎりぎりに違いない。これほどまで死に近づいて生きていられるものなのか、クリスチャンには悲しみよりも疑問のほうが大きかった。

 侍女は最後に擦り剥けて血のにじんだ手首に包帯を巻くとベッドから離れた。

 「もう出来ることはありません。あとはお嬢様しだいです」

 「ありがとう。今まで世話になった」

 「いえ。あ…」

 なにかを思い出したように侍女はポケットを探った。

 開かれた手に乗っていたのは永遠にやったペンダントだった。ところどころに乾いた血が付いている。鎖がちぎれて落ちたのだろう。

 「お渡しする前に綺麗に出来ればよかったのですが」

 「かまわない。今となっては必要のないものだ」

 空気を察した侍女は部屋を出て行った。

 「俺、こんなことになんなら、なにがなんでも永遠のそばを離れなかった」

 「しかたないさ。誰にも予想できなかったのだから」

 言葉とは裏腹に、クリスチャンの心の中にもブリスと同じやりきれなさが潜んでいた。

 だがもうすぐ終わる。

 「でも俺が…」

 「二人きりにしてくれないか。目を覚ましたら呼ぶから」

 ブリスは名残惜しげに永遠を見やり、しぶしぶ部屋を出た。

 向かいの壁にはキティーが立っていた。

 二人きりでいるのは気まずいけど、永遠のそばを離れたくない。

 しかたなく一人分の間を空けて座った。

 責める言葉でもいいから、なんかいってくれりゃやりやすいのに。

 「謝らなきゃだよな」

 「どうしてですか? あの言葉は本心でしょう」

 やっぱ怒ってんのかな。

 目だけを動かしてキティーの顔を見た。

 「いっちゃいけないことだった。言い訳になんねーけど、俺イラついてて。悪かった」

 キティーもブリスに倣って膝を抱え座った。

 「私は本心でしたよ。人を羨むのは罪かもしれませんが、ずっとお嬢様が羨ましかった」

 「なんで?」

 「ブリス様に気にかけていただけるから」

 キティーは顔を染めて目を逸らした。

 「それって…」

 頬の赤みが増した。

 「違うんです。いや、そうだけど…あの、忘れてください。ちゃんとわかってますから」

 「なんで俺なんか好きなの?」

 キティーがびくりとした。

 いわれたとおり俺がなにもいわないと思っていたんだろうか。

 「最初はすごく綺麗な人だなって思いました。でもブリス様のことを知るうちに、心も綺麗なんだってわかったんです。それで、知らない間に…」

 俺のこと綺麗だっていってくれたのはこれで二人目だ。

 ブリスは天井を見上げた。

 「俺はおまえが思ってるような奴じゃねーよ。おまえと違って、俺は永遠のこと純粋な気持ちで好きになったわけじゃねーんだ。初めて俺のこと認めてくれたのが永遠だから、そばにいてほしくて、無意識に繋ぎとめようとしてたんだと思う。すげーやな奴だろ」

 キティーは小さく頭を振った。

 「すごく人らしいと思います。常に相手を思いやれれば素敵ですけど、たまにはわがままでもいいんです。そうでないと心が張り裂けてしまうから」

 「なら永遠を助けてくれ。俺にできることならなんでもするから。頼む」

 「ごめんなさい。できません」

 無理をいったのはわかっている。永遠の怪我も病気も、自分の目で見て知っているのだから。

 背負いきれない悲しみを吐き出さずにはいられなかった。

 次から次へと涙が溢れるにまかせた。

 「どうしようもないってわかってるけど、どうにかしたいから、苦しくてしょうがない」

 キティー自身も目に涙をためながら間を詰めた。そしてためらいがちに手を触れた。

 狼なら傷は自分で舐めるものだという考えを変えてくれたのも永遠だった。

 ブリスは慰めの手を握り返した。



 アダムはクリスチャンの部屋の前にいる二人を遠目に見た。

 物事にはタイミングが重要だ。

 まあ、彼女の思いとは異なるかもしれないが、なくしてしまうには惜しいというものも存在する。少々主観が混在することも否定できないが。

 アダムは小さな笑みを浮かべた。そろそろ僕の役割を果たすとするか。 


 

 ブリスがいなくなると、クリスチャンは側に置いた椅子に腰を下ろした。

 「永遠、目を開けてくれないか。わたしのわがままを聞いてくれ」

 力の抜けた手を両手でさすって温めた。

 「一度だけでいい。君の目を見たい」

 死ぬ前にどうしても記憶に刻みつけたかった。

 「クリスチャン?」

 「わたしはここだ。目を開けてくれ」

 ようやく願いが聞き入れられた。

 濡れた黒曜石のような瞳がクリスチャンを見返した。

 「よかった。生きてる」

 永遠のか細い声に反応して、クリスチャンも囁いた。

 「ああ、生きてる。君は生きている」

 「ちがう。あなたが…」

 クリスチャンは侍女がいっていたことを思い出した。

 「ハンターに襲われても、わたしは死なないのに」

 「痛みは…感じる、でしょ」

 それだけのことで心配してくれたのか?

 永遠が浅い呼吸を繰り返した。苦しげな息遣いに、話すことで急速に死が近づいてくるような気がした。

 「もう話さなくていい。あともう少しだけこうしていよう」

 「うん」

 同意したくせに、永遠のまぶたが落ちた。

 お別れか…。

 片手を離して、脚の間に短剣を隠し持った。

 「クリスチャン」

 いたずらを見咎められた子どものようにびくりとした。

 隠していてよかった。

 再び永遠が目を開けた。その瞳には命の灯火がともっていた。

 「三つ目の、お願い…いい?」

 変化させてほしいといわれたら、わたしは血を与えるだろうか。逡巡することなく心の声が答えた。

 ああ、そうする。

 そして永遠が離れていくなら、殺してくれるように頼もう。

 「ああ」

 「私に……させないで」

 考えていた言葉ではなかったために、永遠の頼みが聞き取れなかった。

 「なにをしたくないといった?」

 力を振り絞るように永遠が大きく息を吸いこんだ。

 「あなたを、殺させないで」

 痺れた指から短剣が滑り落ちた。絨毯に吸い取られて音はしなかったが、足に突き刺さっていても気づかなかっただろう。

 それほど永遠に与えられた苦痛は大きかった。

 「なぜだ。わたしが独りになることをどんなに恐れているか知っていながら、なぜそんなむごいことができるのだ。それほどまでにわたしを憎んでいるのか。わたしが君を救わなかったから、仕返しをしようというのだろう」

 永遠は涙をたたえて悲しげな目で見つめているだけだ。

 「なにかいったらどうだ」

 「あなたのせい、じゃない。全部、あいつのせいだった。だから、生きて」

 永遠の頭の両側に手を突き、身を乗り出した。

 「本当のことをいえ。わたしに対する腹いせだろうが」

 目にするのも耐えられないというように、永遠が目を閉じた。

 「あなたなんて嫌い。過去にとらわれて、ばかり。彼女たちのこと、忘れて」

 閉じられたまぶたの隙間から、涙が一筋こめかみを伝い落ちた。

 さっと身を引き、女の手管を冷めた目で見つめた。

 「私のことも忘れて。今度は、長生きする、人と…」

 それきり待っても待っても永遠は口を開かなかった。

 はっとして永遠の胸を見た。ほんのかすかにだが上下している。

 喜んでもいいはずだった。罠にかかり、悔しい思いをせずにすんだのだから。

 だが感じるのは心の一部をもぎとられたような喪失感だけだ。

 三百年前は違った。

 ジョセフィーヌに愛されていなかったとわかっても、ここまでの痛手はうけなかった。

 愕然としてクリスチャンはドアの前で足を止めた。

 わたしはジョセフィーヌを愛していなかったのだ。あの時傷ついたのは、自尊心だった。だからこそ、また人間とかかわりを持ったのだ。

 永遠を失った今、わたしは死んだ。もう誰も愛することはできない。

 永遠を愛したようには。

 「幸せになって」

 振り返っても永遠の様子に変化はなかった。それでも確かに彼女の声が聞こえた。

 嫌いならなぜ幸福など願う?

 もうすぐ死ぬとわかっていながら、なぜ善人ぶる?

 つじつまが合わないのは、どちらもわたしを思っての言葉だからだ。永遠は自分が死んでもなお、わたしが幸福かどうか気になるのだ。

 なぜなら、なぜなら永遠は…わたしを愛しているから。

 呆然として立ち尽くした。

 どうしてもっと早く気づかなかったのか。目の前に最も望むものがあったのに。

 「クリスチャン、ちょっといいか」

 アダムがドアを細く開けた。

 「後にしてもらえませんか」

 気にせずにアダムは中に入り、永遠の様子をうかがった。

 「眠っているのか?」

 「だとよいのですが」

 アダムが頷いた。

 「エドモンドのことは片がついた。心配しなくていい」

 「死んだのですか?」

 「いや。かわいそうな奴だ。口ではどういっていようと、自分しか愛せないのだろう」

 永遠を傷つけられたクリスチャンには同意しかねた。

 「父上、もう時間がないので―」

 アダムが言葉を遮って両手を差し伸べた。

 「遺言だ。受け取りなさい」

 永遠のほうに顔をめぐらせ手を重ねた。

 触れた手から温もりが流れこみ、実際に永遠が語りかけてくるように頭の中に声が響いた。

 「クリスチャン、今、あなたが私のことをどう思っているかわからないけど、いい感情は持っていないでしょうね。でも、あなたが死のうとしていると気づいて、私にはそれを許すことなんてできなかったの。だってあなたは愛することができる人だもの。愛を与えれば返ってくるものよ。あとは愛されることを学べばいいの。あなたの幸運を祈っています。最後に、私は幸せでした」

 手を離したあとも馴染みのない温もりが体を満たし、凍てつく心の最後のひとかけらを溶かした。

 「幸せだなどと。なにもしてやれてないのに」

 「これからしてやればいい。彼女はそうされてしかるべき女性だ」

 アダムはクリスチャンの表情を見て苦笑した。

 「もう答えは出ていたのか。なら、彼女に転生の申し出をして断られたことはいわないでおこう」

 アダムは部屋を出て行った。

 父親らしい。それほど重要なことを必要がなくなってから口にするとは。

 クリスチャンは永遠のベッドを回り、遮光カーテンを引きに行った。これから行うことが成功したあかつきには、彼女の命を守るために必要になる。

 何気なく時計を見やると、零時を回っていた。窓の外に目をやってカーテンにかけた手を止めた。

 「永遠、雪だよ。神が君にホワイトクリスマスをプレゼントしてくれた。神よ、試練の間、永遠をお守りください」

 そっとベッドに上がり、永遠の体を自分にもたれかけさせた。

 「君はばかだ。わたしなどを信じたりして」

 彼女の髪に触れた。

 「だがわたしは大ばかだ。君を信じなかったのだから」

 触れ合っている部分から伝わる鼓動が一拍抜けて、また正常なリズムを刻み始めた。

 もう時間がない。

 手の届くところに短剣が見当たらなかったので、牙を使って己の手首を引き裂いた。顎に手を添え、彼女の顔をあお向けさせた。かすかに開いた口に手首をあてがい、流れ出た血を受け止めさせた。

 傷口はすぐに癒え、十分な量を取りこんだのか不安だったので、同じことをさらに二度繰り返した。

 「わたしのそばにいてくれ」

 顎を伝った血の跡を親指で拭って抱きしめた。

 やがて鼓動はとびとびになり、長く止まっていたかと思うと、思い出したようにぴくりと打つだけになった。

 そのうち永遠の体は冷たくなり、クリスチャンは生まれて初めて涙を流した。

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