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ラストメモリー  作者: 黄昏アオ
残り2ヶ月
135/137

犯人

 目を開けても辺りは暗かったから、夜になってしまったのだろうかと霞のかかった頭で考えた。

 だが顔の前にランタンの灯りを突きつけられて、そうでないことがわかった。残念なことにエドモンドに捕らえられたという現実まで思い出した。

 「そろそろ起きてもらおうと思っていたところだ」

 腕が痺れているようなのでさすろうとしたが自由が利かない。

 頭をめぐらせると手首に枷がはまり、つま先がやっと地面に着く位置で石壁に繋ぎとめられていた。

 「すばらしいだろう。自分の重みでじわじわと肉が裂けるんだ」

 怖がらせたいのか、わかりきったことをさも自慢げに話している。普段の印象からは想像がつかなかったが、彼は寡黙なタイプではないらしい。

 なにをするつもりかわからないが、上手く話を引き出せば、クリスチャンが助けに来てくれるまで生きていられるかもしれない。

 キティーがいうようにやってみなければなにも変わらないのだ。

 「お願いだから、ひどいことしないで」

 自然と声が震えた。

 「ひどいことはするな? こんなものは序の口だ」

 彼は小ぶりのナイフを取り出した。灯りを翻す刃先はとても鋭そうに見える。

 抵抗するまもなく二の腕をなぞられ、あとから熱い痛みが追いかけてきた。

 「痛いか?」

 速まる脈にあわせてジンジンと痛んだ。

 「ええ」

 「それはよかった。おまえが痛ましい姿になるほど、奴の苦しみが大きくなる」

 「やつ?」

 エドモンドは甲高い笑い声を上げた。

 「クリスチャンさ。おまえにはわからないだろうな。なぜ自分が狙われるのか。俺だっておまえが憎いわけじゃないんだぜ。いや、むしろ報われない愛を追い求めるおまえに同情さえしてた。だからメモを残して生き延びるチャンスをやったんだ」

 自分を神だとでも思っているかのような言葉が呼び起こした怒りを隠すため、頭を垂れ、表情を隠した。

 「おまえは俺の好意を無下にした。見せつけるように奴のそばをうろつきやがって。誰一人エリカ様の気持ちを考えない。おまえも奴の情婦たちと同じだ」

 感情の高ぶったエドモンドに、今度は反対の腕を切りつけられた。

 エドモンドは深く息を吸い込むと一転ゆっくりと話し続けた。

 「おまえを殺しはしないさ。それじゃ意味がないのはわかってるんだ。牧師の娘を排除しても、また別の人間が現れた。一瞬の死じゃだめだ。じわじわと死ぬおまえを看取る奴の顔が思い浮かぶな」

 自分の恐ろしい運命が語られているにもかかわらず、永遠が引っかかったのはこの男に殺された別の女性のことだった。

 クリスチャンが深い苦悩の中で語った恋人たちのことだと直感でわかった。

 「なぜ殺したの?」

 「邪魔だったからさ。エリカ様が奴の隣にいるべきなんだ」

 血で張りついた服が突っ張って気持ちが悪い。

 「彼女たちや私がふさわしくない場所にいるせい? あなたの理不尽な考えのせいで、クリスチャンは何百年も苦しむ羽目になったのよ!」

 「うるさい!」

 今までよりも深く切りつけられた脇腹が燃え上がった。

 「やはり人間のおまえにはわからないんだ。俺のエリカ様に対する崇高な愛が」

 「そんなの愛じゃない。許さないわ。あなたがクリスチャンにしたこと」

 エドモンドがせせら笑った。

 「おまえになにができる」

 傷が痛んだ。脚も疲れていたし、手首に食い込む枷の感触も我慢がならない。

 だがなにより許しがたいのは、自分がクリスチャンの味わった苦しみの敵を取れないとわかっていることだった。

 強調するように首を振った。

 「許さないわ」

 エドモンドは血で汚れたナイフを永遠の服で拭った。

 「ほざいてろ。そろそろ仕上げだ。おまえの死が奴にこれまでにないほどの打撃を与えるんだ」

 開かれた口から鋭く尖った牙がのぞいて、背中を冷たい汗が伝った。

 牙から逃れようと身をよじったが、エドモンドを面白がらせただけだった。

 「吸血が快楽だと知っているだろう? おもえも楽しめるさ」

 乱暴に髪をつかまれ、頭がのけぞった。

 むき出しになった首筋に突き立てられた牙がもたらす苦痛は想像をはるかに超えていた。肉が引き裂かれるような痛みに思わず声が漏れた。

 さらに深く牙が埋まると色つきの点が視界を覆った。

 痛みはもう気にならなかった。ただ生暖かい液体が体を伝い落ちていることは意識していた。

 『クリスチャン、ごめんなさい』

 永遠はそういったつもりだったが、力の抜けた唇から漏れたのは、聞き取れないほどの吐息だった。



 屋敷に戻ったクリスチャンは両親の部屋へ向かった。

 「エドモンドを見つけてください。永遠の命がかかっているのです」

 アダムはひとつ頷くと、質問もせず出て行った。

 「母上」

 「私はいいわ。面倒なことを先に延ばすより、今、見つからない方があなたのためになるもの」

 クリスチャンは慌てて部屋を出た。今までどんなことをいわれても従順な態度を取り続けてきた。

 だがあの言葉は、敬う気持ちを失せさせるとどめの一撃だった。あのまま部屋にいたら取り返しのつかないことをしでかしていただろう。

 「クリス! 使用人にも声かけてきた。それでももし手遅れだったら…」

 「永遠は生きている。わたしにはわかる」

 ブリスは口を引き結び、かすかに頷くと走り去った。

 クリスチャンも後ろを振り返らず、運命の片割れを捜し始めた。

 


 肩を落とした姿で広間は埋め尽くされた。みなクリスチャンを囲んで指示を待っていた。

 エドモンドは居を構えたことがなく、この屋敷以外に隠れ場所があるとは考えにくかった。だが屋敷内をしらみつぶしに探しても、二人は見つからなかった。

 わたしの推理が間違っていたとしたら、永遠はもう…。

 見当違いの場所を探して、時間を無駄にすることはもう許されない。

 「みんなは森の中を探してくれ」

 使用人たちが出て行った後、クリスチャンは揃って不安げな表情を浮かべるブリス、キティー、アダムを見回した。

 「わたしたちはもう一度、屋敷の中を」

 「当てはあるわけ?」

 開けっ放しになっていた広間のドア枠にエリカが不遜な態度で寄りかかっていた。エリカがイヴに追従していることを知っていたので、意味もなく彼女を睨みつけた。

 「邪魔するな」

 面白そうに片方の口角をあげたエリカは、ゆっくりと自分の鼻を指差した。

 「あたしなら見つけられる」



 クリスチャンは藁にもすがる思いでエリカの後に続いた。

 彼女はときどき空気中から特定のにおいを嗅ぎ分けるように立ち止まりつつ、エドモンドの部屋に入っていった。彼の部屋はこざっぱりしていて隠れられるような場所はない。

 「本当にここにいるのか?」

 「ここじゃないところにいるのよ」

 かっとしてエリカに掴みかかった。

 「ふざけるな! 永遠はどこだ」

 「落ち着きなさいよ。ハンサムボーイ」

 昔の愛称で呼ばれたことで、からかわれているのだと気づいた。一歩下がって髪をかき上げた。

 「頼む。永遠の居場所を教えてくれ」

 さっきまでのふざけた態度はどこへやら、エリカの顔から表情が消えた。

 「覚悟した方がいい。血のにおいがする」

 そういうなり戦の様子を描いたタペストリーを指差した。ブリスがタペストリーを引き下ろし、壁を探ると隠し扉が見つかった。

 「行こう」

 扉を開けると強烈な血のにおいと腐敗臭が鼻を直撃した。

 灯りは持たなかったがヴァンパイアの視覚が十分に補っていたので、彼らは狭い階段を駆け下りた。下りきっても道は分かれておらず、左右の牢に目をやりながら永遠の姿を探した。

 「ずっと使っていなかったから、地下牢があることなんて忘れていたよ」

 アダムの言葉にブリスが唸り声で応じた。

 空の房を通り過ぎるたび、クリスチャンの恐怖は募っていった。すでに永遠の魂がこの世から去っていたら、わたしはどうすればいいのだ。

 奥にひとつだけ扉が開いている房を見つけ、一足飛びに駆け込んだ。

 「永遠!」

 「遅かったな、クリスチャン」

 エドモンドがランタンを掲げ、無残な永遠の姿を照らし出した。目を背けたくても、ぐったりした体の下の血だまりから目が離せなかった。

 喉の奥から手負いの獣じみた咆哮をほとばしらせ、エドモンドに殴りかかった。

 「殺してやる」

 素早い拳が鼻を潰し、壁に血しぶきが飛んだ。

 「クリス!」

 馬乗りになり、頬に拳を叩き込むと骨の折れる音が小気味よく響いた。エドモンドが突き出したひじが鳩尾に入ると一瞬息が詰まったが、またすぐに拳を振り上げた。

 「落ち着け」

 腕をつかまれ、動きを阻まれたクリスチャンは牙をむき出しにして振り返った。

 「落ち着くんだ。彼女はまだ生きている」

 アダムの言葉を理解すると同時に永遠のそばに急いだ。

 ブリスが永遠の体を支え、手首に負荷がかからないようにしていた。

 「枷が外れねーんだ」

 身を翻し、エドモンドの体を探った。服は乾きかけた血に染まっていた。その大半は永遠のものだ。

 鍵が見つからない苛立ちもあいまって、クリスチャンは腹に拳をめりこませた。

 エドモンドは体を丸め、二度咳き込んだあと息を詰まらせながら笑い始めた。

 「なにがおかしい」

 「おまえだよ、クリスチャン。相当、頭にきてんだろ。あの女、そんなに大事だった?」

 唸り声を上げると、またアダムに引き離された。

 「あの女が死ぬのもおまえが悪いんだ。全部おまえのせいだ。思い出させてやる」

 ふいに景色が変わった。

 懐かしい女が命が芽吹く春の日差しの中、高台から穏やかな笑みを浮かべ、教会を見下ろしていた。

 『耳を貸すんじゃない』

 遠くからアダムの声が聞こえ、これは現実ではないのだと気づいた。

 だが、ああ。今にも触れられそうなほど、彼女は本物のように見える。

 思わず手を伸ばすと、場面が変わり、娘は地面に倒れていた。首がおかしな角度に曲がり、なにも映さない目でクリスチャンを非難していた。

 顔を背けるとまた場面が変わり、今度は一人、踊る人々の中心に佇んでいた。

 見慣れたドレスを見つけると、思慕の念と胸を突く痛みを感じた。

 ジョセフィーヌ。

 怖いもの見たさで肝試しをする愚かな人間のように、クリスチャンが立ち尽くしていると場面が変わった。

 暗闇に炎が異様な光を投げかけている。

 いやだ。やめてくれ。

 あのときのように鈍く光る剣が煙を切り裂き、向かってきた次の瞬間、ジョセフィーヌが驚いたように目を見開き倒れた。

 その胸には小さな穴が開いていた。

 クリスチャンは初めて目にする光景に息を呑んだ。

 彼女の背後に煙の立ち上るライフルを構えたエドモンドがいたのだ。

 唐突にエドモンドの幻影が終わり、地下牢に戻ると、ひどい頭痛に苛まれてクリスチャンは息を喘がせた。

 「彼女は流れ弾に当たったわけではなかったのだな」

 「おまえは間抜けな奴だよな。おれはずっとエリカ様のために女を消し続けていたのに」

 「あたしのため?」

 様子を見ていたエリカが、クリスチャンとエドモンドの間に割り込んだ。エリカの姿を目にして血にまみれた顔に笑みが浮かんだ。

 「見てください。またクリスチャンを取り戻しました。あなたのためなら何度だってやりますよ」

 エリカが猫なで声を出した。

 「あんた、あたしのこと好きなのね?」

 「死にそうなほどに愛しています」

 「それなら…」

 エリカが背後に手を伸ばし、幅の広いベルトに隠した短剣を抜いた。

 「死んで」

 刃が心臓に達すると、エドモンドは口から血を溢れさせた。

 短剣を抜いたエリカはクリスチャンを振り返った。

 「あたし、デーモンが好みなのよね。だからあなたもお呼びじゃないの。さっさと永遠を下ろしてやんなさいよ」

 感謝をこめて頷き、クリスチャンは永遠をつなぎとめている鎖を引きちぎった。

 枷がはまったままだが仕方ない。救出劇が起きている間、永遠はぴくりともしなかった。

 「このまま死んじまうのかな」

 ブリスが鼻をぐすんといわせた。

 「なぜ…だ。愛しているのに」

 死んだはずの声が聞こえたほうに頭をめぐらせた。

 心臓の位置にあった傷が消えている。

 「行きなさい。ここは僕たちに任せて」

 アダムにいわれなくても、エドモンドなどどうでもよかった。死んだ女たちも過去のものとなった。皮肉なことにエドモンドのおかげで過去の呪縛から逃れることができた。

 クリスチャンは牢の間を抜け、地上の光を目指した。

 わたしにとって大切なものはすべてこの腕の中にある。

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