第二話:隠し屋
「いやだ!放して!」
顔つきの悪い三人の男に、幼き少女は右腕を痣が出来るほど強くつかまれ、もがき助けを呼んだが、周囲の人々は関わりたくない、と冷めた表情で通り過ぎていく。さらに困ったのは、男たちが人通りの少ない路地裏へと少女を連れ込んだことだ。ここでは人は愚か、野良猫だって通りそうにない。
ゴミのように放り捨てられた少女は、涙を流していながらも、嗚咽をこらえ、キッと大人相手ににらみあっている。
「ぬいぐるみをどこへやった、理沙?」
少女の名前は理沙というらしい。そして理沙は、男たちが探しているぬいぐるみをもっていなかった。当然といえば当然、なにせ、あの青年に渡してしまっているのだから。どこを探そうとも、誰ともわからない素姓の知れぬ男に渡した以上、二度と会うこともできないし、調べて身元を洗い出すことだって不可能なはず。これで、永久にあのぬいぐるみとは離別できたわけだ。
誰の手にも渡らず、ゴミとなって処分されればいいのに、と理沙は願っていた。
「パパがなんと言ったかは知らないけど、どうせ、あれを持ち帰ったところで、あなたたちも殺されるだけだわ」
「ガキが知ったような口をきくな」
「本当よ、あれに関わったものは誰であろうと殺されている。機密をもらしてはならないと躍起になっているの。あなたたちは、あれを持ち帰るだけかも知れないけど、パパはそう思わないわ。きっと中身を見てしまったのだ、と判断して撃ってくるわ」
「撃ってくるだあ?俺たちを殺すってのかい?」
「そうよ」
「なら、防弾チョッキでも着てかないとな」
鼻で嘲笑う男たちを見上げながら、少女はどうして信じてくれないのだろうか、と口惜しくて仕方がなかった。握った拳は攻撃のためではなく、自分の非を潰すため。
けれども、すぐに口元は笑みを浮かべていた。
目的の物を誰の手にも届かぬ場所へと置いた以上、世界平和が約束されたようなものである。他の小さないざこざはほんの戯れであって、たいしたことではない。勝ち誇った笑みを浮かべつつ、理沙は身体を起こす。
「もう、いいでしょ?あなたたちの仕事は失敗したの」
男たちは、理沙の父に頼まれた雇われ者で、あのぬいぐるみを無事に理沙の手から奪還し、持ち帰ることが仕事であった。ぬいぐるみが途中、見知らぬ男、それも絶世の美男子に手渡されたことにより、行方も消息も完全に途絶えた。人口の密度が多い東京での人探しは、考えただけでも気が遠くなるほど無駄な動作だ。三人もあきらめている。
けれども、完全にあきらめたわけではない。
尻ポケットの膨らみを再度確かめたあと、にんまりと口元をほころばせて、一人が理沙を捕らえようと手を伸ばした。
「おまえをつれて帰る。もしかしたら、あの男はおまえの知り合いかも知れないからな」
「知らない人よ。拷問したって、わからない」
「いいや、やってみなくちゃわからねえだろ」
サッと青ざめる理沙は、拷問が一体どういったもので、どのような結果を生み出すのかを知っているようだ。小刻みに震える身体を両腕でしっかりと抑え、けれども、ここで男たちの手を逃れることはできない、と抵抗はしなかった。抵抗すれば余計に、無惨な結果になるだろう、最悪の場合も考えられる。
「失礼」
背後から届いた穏やかな声は、彼らに向けて放たれたものだった。ハッと振り向く三人の目が、見る間に薔薇色に染まっていくことが、理沙には見ずともわかった。そこに佇む黒い影には理沙も硬直してしまったからだ。
路地裏に伸びる黒い影。痩身のラインは、青年のシルエットと同じだった。黒い、否、それよりも深い闇がすらりと伸び、こちらをじっと覗いている。美しい、と思った。影に美醜があるとは思わなかったが、初めてその影を見て、美しいと思った。本人も美麗であるが、その影もまた美しい。
けれど、長い間見ていると、その闇に飲み込まれそうで恐ろしくもあった。自分と同じ世界の住人とは考えづらい。哀しみが、恐怖が、背筋を凍らせつつあった。慌てて目を背けると、全身を襲っていた震えが小さくなった。通常の意識も働き始める。
公園の入口で熊のぬいぐるみを手渡したあの青年がそこにいる。手にはぬいぐるみを持っていないが、ここに来た以上、三人の手につかまり、ぬいぐるみの隠し場所を無理に吐かされるだろう。拷問を受けるのは、青年に代わった。
「そこの少女」
サッと顔を上げた。彼の足下に広がる影に見入っていて、まだ影を見続けていたことに、いまさら気づいた。影が魅了したのだろうか、闇の魔力に引かれて陶酔しきった理沙を救ったのは、その美影を持った男自身。
「話がしたいんだけど、よろしい?」
「……え、ええ」
やっと絞り出した声は、かすれていた。深呼吸して落ち着きを取り戻してから、理沙は呆然としたままの男三人の脇を通りぬけ、青年の隣に立つ。
「場所を変えてから話しましょう」
「なら、喫茶店にでも入ろう」
歩き出した青年と理沙が、ちょうど五歩進んだとき、三人の意識が回復した。男に惚けていたなどという恥辱に身を震わせる。勝負に負けたわけでもないのに、この男には敵わないと、一瞬でも思ってしまった自分たちを優位に立たせるため、ポケットに入れておいたものを素早く取り出す。心を落ち着かせ、余裕を持たせるためにはこれを握るだけで十分だった。
拳銃である。
モデルガンではなく本物の拳銃で、引き金を引けば、実弾が発射される。三人の持つマグナムに込められた銃弾も、ひとたび放たれれば、人間の心臓へも潜りこむことが可能だ。つまり、人を殺せる道具を彼らは取り出したのである。
理沙は小さな悲鳴を上げて青年にしがみつき、何も言うことが出来ずにただ、銃口だけを見つめる。いつ、そこから死が発射されるのか、それを見極めようとしている。
だが、青年は逆だ。
見向きもしなかった。まるで、見る必要がないかのように、三人に背中を向け、ジッと動かずに立っている。銃口に怯え、立ったまま失神したのではない。
「危ないなあ」
あくまでも、彼はのんびりと、どこか場違いな口調で話す。このような現状さえ、彼には日常茶飯事なのかもしれない。だとすれば、彼は警察か。違う、こんなゆったりとした警察がいるはずない。
「ちょうどよかった、色男。俺たちは、おまえに聞きたいことがある」
「一緒に来てもらおうか、そのガキと一緒にな」
「断る」
「おまえに選択の余地はない。もし断れば、そのお綺麗な顔に穴が開くぞ」
「断る」
「っこの!」
「待て、落ちつけ。どう見てもこっちが有利なんだ。無闇に発砲するな、警察がきたらどうするんだよ」
「でもよお」
「相談は後にしてくれないかな。こっちは帰りたいんだけど」
青年の処理についてもめているというのに、青年は他人事のごとく、話を打ち切った。
三人のうちの左端にいた男が、怒りで手に力を込める。とっさのことで、仲間が止めに入ることも出来ず、銃声が響いた。
「下手だね」
銃弾は狙いから大きく反れ、コンクリートの建物の壁に埋め込まれた。やはり、青年は銃になれているらしく、一発撃った男の腕前を評価している暇があった。くるり、と向けていた背をまわし、正面から三人と相対する時間さえある。
脅しにもならない銃を、もう一度ぶっ放そうとする男は、指が動かないことに気づいた。自分の意思は引き金を引け、と怒号しているにもかかわらず、体はまるで自分のものではないかのようにピクリともしない。安全装置が降りていないわけではない、ならばなぜか、と視線を下ろしたその先に、闇を見た。
男の足下には、影があった。自分のものではなく、黒い男の影だ。路地裏の暗い場所を照らし出す陽光は、青年の背後から射し込んでいる。青年の影は三人の足元まで広がるほど伸びていた。
「物騒なものは、捨てなさい」
手首に痺れるような痛みが走ると、三人の手から拳銃は自然と離れていった。落下する音がなり終えると、青年は満足したようにうなずく。
全身が金縛りにあったように動かない。動け、と言っても動かない。動けない。
背筋を凍らせる何かが、三人に理性を失わせた。自分の意思とは別の意思が身体を乗っ取っているような感覚を忘れるためにも、彼らは叫んだ。
「アレはどこだ!」
「アレ?」
「ぬいぐるみだ!そのガキからもらっただろうが!とぼけやがって、さっきも嘘ついてたんだな!」
「はてさて」
「舐めやがって。体が動かないのもおまえのせいだろ!」
「言いがかりだ」
「絶対、おまえだ!」
怒鳴り散らす男へ、青年の黒い瞳がゆっくりと移動した。それだけで、見られた男はうっと喉を詰まらせたように沈黙する。
何かある、と悟らずにはいられない。
「と、とにかくだ。おまえにはそのぬいぐるみ関係ないだろう、返してもらおうか」
「ぬいぐるみか。なら、君たちにも関係ないだろ?それとも、その年になってもまだぬいぐるみと遊ぶ趣味があるのかな?」
クスクスと笑う青年に、恐怖に怯えていた理沙でさえも、笑みを浮かべることができた。
「偶然だけど、いい人にアレを託すことができたみたいね」
至近距離でしか聞こえない小さな声で、理沙はしゃべりだした。
「ね、ちゃんと隠してくれた?」
「まだ」
青年も小声で返す。
「ちゃんとした依頼じゃないから、まだ隠してないよ」
「依頼?ああ、お金が欲しいってことね」
「ああ、知らないよね。僕の仕事を知っている人は少ないから」
「……何のこと。あなた、どんな職業なの?」
理沙は興味津々に顔を上げた。青年の顔は凛と正面を向き、楽しそうに微笑んでいた。その仕事にやりがいを感じているのか、仕事そのものが楽しいのか。両者だろう。
「“隠し屋”」
「え」
「僕の仕事は、あらゆるものを隠す“隠し屋”」
青年の瞳が輝いたとき、理沙も男たちもはじめて聞くその職業に首をかしげ、同時に興味も持った。
隠し屋。確かにその名を知る者は、あるいは存在すること自体知っている者はほとんどいない。また、その職業についているものはおそらく、この世で数えるほどしかいないだろう。知る人ぞ知る、世界観である。
その名のとおり、隠し屋の仕事内容は『隠すこと』。
離婚の危機の原因である不倫関係の間柄を、被害妄想だと語り――。
殺人現場に残された証拠を、現場で検証している刑事たちに気がつかせず処分したり――。
会社が山のように重ねてしまった借金を支払済みとして届出を出したり――。
考古学者、冒険者たちがみつけた古代秘宝を人目につかぬ場所へ移動させたり――。
善悪の区別はない。高い報酬であればあるだけ、あらゆる事柄を依頼者の望むまま、巧妙に隠す。時折、依頼を受け取らない隠し屋も存在するが、ほとんどは承諾する。
「あなたが、その、“隠し屋”さん?」
「そう。よろしく」
ぺこりっと頭を下げた青年の商売根性は、この張りつめた緊張の糸をたやすく解いていった。理沙のほおが緩む。
「あたしは理沙。あなたに仕事を依頼するわ。内容はもちろん、あのぬいぐるみをあいつらの手に届かないよう隠すこと――えっと、名前は?」
「紫影悠馬」
「しえいゆうま?面白い名前ね」
いつの間にか声を上げて笑っている理沙に、全身金縛り状態の男たちはカッと顔面赤くして、ほえる。
「やっぱり、その男にあれを渡したんだな!」
「残念ね、もうあれがこの世に出てくることはないわ!」
「ちきしょっ」
渾身の力で見えざる魔の手を振り払い、足元の拳銃を拾い上げた男であったが、次の瞬間には、また手から拳銃が転がるようにして引き剥がされ、男は目を丸くする。
あきらかに人為的な力が動いている。目には見えないが、いや、見落としているだけなのかもしれないが、男の意志とは別の意思が、拳銃を握らせなかった。
「銃器の使用は法律で固く禁止されてるんだよ」
黒服の青年――紫影悠馬がそっと笑みを浮かべて言った。
ぽんっと理沙の肩を叩くと、男たちのことなど忘れたかのように視線を外し、踵を返して歩き出した。二人の背中を見つめながら、男たちは止めることも、声をかけることすらできなくなっていた。
眼には見えない恐怖が、彼らに動きを与えなかった。一歩でも動けば、どこかから攻撃してくるだろう。足元に広がる黒い闇が、徐々に這い上がり彼らの首を絞めるまで、彼らは自ら死ぬことも許されなかった。




