26 鈴木家
日本。
十一月。
雨。
鈴木家は静かだった。
静かすぎた。
「……」
リビング。
テレビはついている。
だが誰も見ていない。
ニュース音だけが流れている。
テーブルの上。
冷めた味噌汁。
食べかけのご飯。
そして。
誰も手をつけていない、
一人分の茶碗。
「……」
母親は座ったままだった。
ぼんやり。
何度も同じ場所を見ている。
数週間前。
警察から連絡が来た。
『事件に巻き込まれた可能性があります』
『大量の血痕が見つかりました』
『ですが本人は発見されていません』
それだけ。
遺体もない。
行方もわからない。
ただ。
血だけがあった。
「……」
妹の美咲はスマホを握っていた。
兄とのトーク画面。
最後のメッセージ。
『姪迎え行くのだぁ』
『帰りコンビニ寄るのだぁ♡』
それだけ。
「……馬鹿」
小さく呟く。
「なんでこんな時だけ善人なのよ……」
兄は駄目人間だった。
引きこもり。
昼夜逆転。
だらしない。
母親に怒鳴られて、
自分にも呆れられて。
なのに。
姪っ子の迎えだけは、
普通に行った。
途中で。
知らない女性を助けて。
刺された。
「……」
美咲は頭を押さえた。
本当に意味がわからない。
兄らしくない。
もっと逃げそうなのに。
もっと自己保身しそうなのに。
「……」
でも。
なんとなくわかる。
兄は。
変なところで情が甘い。
猫拾う。
子供には優しい。
変な人を見ると放っておけない。
普段はクズなのに。
そういう時だけ。
「……ほんと馬鹿」
涙が落ちた。
◾️ 姪っ子・さくら
「ママ……」
小さな声。
幼いさくらがぬいぐるみを抱えていた。
「おじちゃん……まだ帰ってこないの……?」
「……」
美咲は詰まった。
「……うん」
「……」
さくらは俯く。
数日前からずっと。
玄関の音がすると走っていく。
『おじちゃん!?』
でも違う。
毎回違う。
「……」
テーブルの上。
クレヨンの絵。
【れいおじちゃんへ】
雑な絵。
でも一生懸命描いた。
『おたんじょうびおめでとう』
レイはそれを貰うはずだった。
だが。
もう渡せない。
「……」
さくらは絵を抱きしめた。
「おじちゃん……」
ぽろぽろ涙が落ちる。
「まだ……怖いおはなししてないのに……」
母親もついに泣いた。
「っ……」
レイはよくさくらを泣かせていた。
ホラー。
妖怪。
変な怪談。
『ぎゃはは!怖いのだぁ♡』
最低だった。
でも。
その後ちゃんと抱っこして、
コンビニでアイス買って、
寝るまで隣にいた。
「……」
母親は思い出していた。
子供の頃のレイ。
顔だけは昔から良かった。
でも。
落ち着きがなくて、
変なことばかり言って、
よく怒られていた。
『のだぁ〜♡』
あの変な喋り方。
高校くらいからふざけて始めた。
やめろと言ってもやめなかった。
「……」
母親は静かに言った。
「……帰ってきなさいよ」
返事はない。
◾️ 数日後
「……」
警察。
『まだ捜索は継続しています』
でも。
空気は重かった。
大量出血。
行方不明。
普通なら。
生存率は低い。
「……」
美咲はそれを理解していた。
でも。
認めたくない。
だって。
遺体がない。
兄は変にしぶとい。
昔から。
「……」
部屋。
レイの部屋はそのままだった。
散らかっている。
ゲーム。
漫画。
カップ麺。
ぐちゃぐちゃ。
「……」
美咲は小さく笑った。
「ほんとダメ人間……」
でも。
部屋を見ると。
いる気がする。
今にも。
『腹減ったのだぁ♡』
とか言いながら出てきそう。
「……」
その時。
さくらが部屋へ入ってきた。
「ママ……」
「ん?」
「おじちゃんの絵、本棚に飾ってもいい?」
「……」
美咲は少し黙った。
そして。
「うん」
さくらは一生懸命絵を置いた。
『れいおじちゃんへ』
クレヨンの絵。
レイの机。
その横。
「……」
さくらは小さく言った。
「帰ってきたら……見るかなぁ」
静かだった。
誰も答えられない。
でも。
誰もまだ、
完全には諦められなかった。
一方その頃。
異世界。
「のだぁ〜♡」
レイは王女へシンデレラ話をしていた。
『そして王子は言うのだぁ!“君だけを愛する”ってぇ♡』
「きゃあああ!!」
本人だけが。
まだ。
家族がどれだけ泣いているか、
知らなかった。




