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18 サノワの危機

 “闇の大穴”を取り囲むように連なる凍てつく山々。その谷間に大穴の監視砦はあった。


 屋上に備えられた物見台では、数名の監視兵たちが寒さで手をこすり合わせながら、昇る朝日の眩しさに目を細めていた。

 “闇の大穴”から湧き出す魔物と攻防を繰り返す血みどろの砦だが、夜が明けるとほっとする。もうすぐ交代の時間だ。


 ――だが、そんな思いは一瞬でかき消えた。

 大きく湧き立った“闇の大穴”から、池ほどはあろうかという巨大な闇の雫が弾け飛んだのだ。


「あ……ああ……闇の雫が……」


 闇の雫はまるで飛来する闇の月のごとく、砦の遙か上を越えていった。


「あんな大きさ……見たことがない……」


 見張りの騎士たちの声が震えた。あの雫が全て魔物になり、人に襲いかかるのだ。


「ああ……そんな……やめてくれ……」


 闇の雫は大きな放物線を描き、麓の小さな村サノワへ落ちた。

 村の真ん中で黒い王冠が隆起し、村全体に黒い液体を染み渡らせていく。あれでは村を守る周囲の壁など意味を成さない。

 黒い液体から、無数の魔物が生み出されていった。人の身の丈の2倍はあろうかという、真っ黒なムカデだ。腕の代わりに巨大な鎌を左右に備えている。



 監視砦の詰め所に見張り兵が駆け込んだ。


「サノワの村に闇の雫が着弾! これまでにない大きさです!」


 監視騎士団長ドルクの顔から血の気が失せた。


「なんだと!? 魔物の数は!?」

「お、おそらく、数百です!」

「馬鹿な……掃討隊を2部隊……いや、3部隊回せ! ここの守りは第4だけで構わん!」

「はっ!」


 見張り兵が敬礼して、部屋を駆け出た。続いて、詰め所に控えていた兵たちが慌てて出ていく。


「魔道士! 公都の本隊に緊急連絡! 応援を求めよ!」

「はっ! 直ちに!」


 騎士と同じ服を着た魔道士が、水晶球に念を込め始めた。


「私も物見台うえへ上がる!」


 ドルクがマントをひるがえしながら、詰め所を横切っていく。齢は40といったところで、短く刈り込んだ赤毛の下の傷だらけの顔が、闇の魔物との歴戦を物語っていた。


(リィン様の聖剣の守りがいよいよ限界か……。聖騎士を見出すことが出来れば……)


 握り込んだ拳がギリギリと音を立てた。



  ◆  ◆  ◆



 夕方、聖騎士学園の体育館に、生徒たちが全て集められた。生徒たちは、何だろう? と、ざわめいている。


 壇上に、剣技指導長ランドリックが立った。顔つきが険しい。何か良くないことがあったことを察し、生徒たちは静まった。


「諸君、良くない知らせだ! “闇の大穴”にほど近いサノワの村に、闇の雫が着弾した! 村は数百の魔物に襲われている!」


「ええっ!?」


 大きな声を上げたのはアメリアだ。両手で口を覆い、青ざめている。


「……アメリアは、サノワの出身だったな。心中察するが静かに聞いていてくれ」


 倒れそうになるアメリアの肩をリーゼが抱いて支えた。「お母さん……お爺さん……みんな……」震える唇が真っ青だ。


「村の騎士団と、監視砦の騎士団が掃討に当たっているが、戦力が足りない。そこで、明朝、ここ公都ハーバルの騎士団本隊が救援に出発することになった。4年生、5年生は身支度をしろ! 我々、学園騎士団も同行するぞ! 聖騎士候補に恥じぬ働きを期待する!」


 はいっ! 上級生が一斉に、緊張の面持ちで返事をした。


「私も……私も行かせてください!」


 アメリアが震える声を上げた。


「アメリア……気持ちはわかるが、聖回復ホーリーヒールを1回しか使えず、剣も振れないお前を連れて行くことは出来ない」

「わ……私は、サノワの村を知ってます! 広場も、道も、家がどこにあるかもすべてわかります! きっとお役に立ちます!」

「む……」

魔法回復薬マジックポーションを飲めば、聖回復ホーリーヒールだって、何度でも!」

「……そうか……いい覚悟だ。特別にお前を連れて行こう。だが、後方で控えているんだ。いいな?」

「はい!」


 ランドリックがリーゼを見た。


「リーゼはどうする? お前は連れて行こうと思っていた。戦力になるからな。――だが、強制はしない。10才そこそこの1年生に命懸けの戦場へ行けと言うのは酷だ」

「リーゼ……」


 アメリアが懇願するように声を漏らした。盗賊団を蹴散らしたリーゼなら、きっと村を助けてくれる。

 ……だが、リーゼが発した返答は意外なものだった。


「私は行かない……。一緒に行っても、力になれないよ」


 生徒たちがざわめいた。「腰抜け」「いつも生意気なくせに」陰口がそこかしこで上がった。

 シャルミナは、うれしそうに口の端を上げた。


(所詮、商人の子ね。恐れるまでもなかったわ)


 ランドリックが残念そうに目を伏せた。


「わかった……無理強いは出来ない。少々、残念ではあるがな」

「どうして……」


 アメリアはリーゼの返答が飲み込めない。盗賊団にも、ランドリック剣技指導長にも、生徒の不当な扱いにも、決して屈しないリーゼが、助けようともしないなんて……。


「解散だ! 下級生は物資の積み込みを手伝え!」


 はいっ! 戦いへの決意がこもった返事が上がると、各々散っていった。


 リーゼもアメリアの肩をそっと離すと、出ていった。

 アメリアは、力無く膝を着くしかなかった。



 廊下を足早に進みながら、リーゼの顔は険しくなっていった。


(明日の朝? そんなのんびり出発して、サノワに着くのはいつ? 1週間後? 10日後? アメリアと出会った場所からここまで、馬車で4日かかってる)


 騎士団は村を助けに行くんじゃない。魔物に制圧された村を取り返しに行くんだ――。


 自室に戻ると、扉に鍵をかけ、窓のカーテンを閉めた。


「キャラクターチェンジ! 盗賊リーニャ!」


 リーゼの体が光に包まれ、ネコ耳と尻尾がピョコンと生えた。


 “どんな扉も宝の箱も

  この世で開かぬ鍵はニャい!

  頼れる黒ネコ

  盗賊リーニャとは私のことニャ!”


 恥ずかしい決めポーズとか、今はどうでもいい。続けてコマンドを唱える。


「【ゲート】!」


 視界に、これまで訪れたネイザー公国のマップが広がり、【ゲートマーク】した地点が表示された。


「【ゲートマーク⑥】! アメリアと会ったとこ!」


 リーニャの体が光に吸い込まれて消えた。



 次の瞬間、リーニャの体は日暮れの街道にあった。

 疾風のごとき速さで、土の道を駆け抜けていく。


(私なら間に合う! アメリアの家族も、村の人たちも、みんな助ける!)


 灯りのない街道に、リーニャのネコ目の眼光が尾を引いていった。


【次回予告】

サノワの村へ急ぐリーニャ。お待たせしました、活劇が始まります!


【大切なお願い】

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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