不変の√コーナー12
フェイクニュースの件を解決してから一週間。その日F組には不穏な空気が流れていた。
その不穏の源は、椅子の上で正座をしている遥音と透巳である。何故二人がそんな珍妙な姿をしているのかと言えば、遥音がそうさせたからである。
遥音は昼休みやって来た透巳の首根っこを掴むと、無理矢理椅子の上で正座させ、自身も同じように正座し始めたのだ。
そんな遥音の視線は鋭いが、透巳は怯むことなく首を傾げた。
「神坂。説明してもらおうか」
「あれ。もしかしてこれから遥音先輩にお説教される流れですか?嬉しいです」
「どういう思考回路だそれは」
腕を組んで言った遥音だったが、透巳のおかしな反応で苦い相好になってしまう。透巳はいつも遥音から説教される明日歌をほんの少し羨ましいと思っていたので、本来気を落とすべき単語に目をキラキラとさせてしまっているのだ。
「それで。何についての説明ですか?」
「しらばっくれるな。これだこれ」
遥音がこれと言って見せてきたのはスマートフォンで、その画面にはネットニュースの文章が映っていた。それをじっと見つめた明日歌は、思わず顔を顰める。
「……なにこれ?結菜ちゃんの、事件のこと?」
「正確には、結菜の両親についてだな。結菜の名前は出ていない代わりに、結菜の両親の顔写真と名前はバッチリ載っている。しかも奴らのしてきたことを、読み手に悪い印象を与えるように上手く書いている。当時ニュースでは少ししか取り上げられていなかったというのに、この記事のせいでテレビ局などが今更大きく取り上げ始める始末だ。これではアイツらが刑期を全うして社会に再び出ても、堂々と太陽の下を歩くことは出来ないだろうな」
ネットニュースには結菜が被害を受けた虐待事件のことが主に書かれていて、その記事を読んだ者のコメントには両親に対する批判的な意見が多く寄せられていた。
一度ネットに上がってしまえば、それを完全に消すことは出来ない。結菜の両親は一生後ろ指を指される恐怖に怯えながら生きていかなければならないのだ。
「おまけにこの記事を作ったのは、ついこの間神坂のフェイク記事を作った週刊誌と同一。神坂が関係しているに決まっているだろうが」
「流石は遥音先輩。バレちゃいましたか」
「全く余計なことを……」
悪びれる様子も、否定することもなく透巳は笑みを浮かべた。遥音の推測通り、この記事は透巳の指示によって四葉が作ったものだった。
これこそが透巳の四葉に対するお願いであり、四葉にとっても利益になることだった。透巳は遥音を傷つけた結菜の両親に報復したかった。そして四葉はネタを提供してもらうので仕事に繋げられる。だからこそ四葉も透巳の要求を呑んだのだ。
まぁ、透巳のお願いを聞かなければ何をされるか分からないという恐怖のせいであることも否めないのだが。
「俺、アイツらが遥音先輩を傷つけたこと、一生許せないので」
「……はぁ…………神坂、明日歌たちの気持ちも考えろ」
「……」
いきなり自分のことを話題に出されたことで、明日歌と兼はポカンとしてしまう。
明日歌の中に姉の雪那に対する執着はもう一切ない。それだけ明日歌は雪那に失望したし、もう二度と会えないとしても悔いは無いと思っていた。それでも、ネット上で自身の姉が好き勝手に罵詈雑言を浴びせられるのはとても気分の良いものではないだろう。雪那が悪いということを分かっていてもだ。
それが家族というものだし、明日歌も遥音の言葉で気づくことが出来た。
ため息をつきつつ、明日歌を気遣った遥音の言葉に、透巳は何やら顎を押さえて思案し始める。
「…………ごめんなさい」
「うっそ。謝った」
「明日歌先輩は俺が自分の非を絶対に認めないプライドでも持ってると思ってたんですか?」
「いや……そうじゃないけど」
しばらく考え込んだ後、素直に謝罪してきた透巳に全員が目を見開いた。透巳は自身のとる行動を後悔するような人間ではないし、透巳なりに考えて今回の復讐を企てたことも理解していたからだ。
透巳が自分の非を認められないような愚か者だとは当然明日歌たちも思っていない。だが、透巳なら結果的に謝るようなことであれば最初からしないと過信していたのだ。
「……前に明日歌先輩が言ってたこと、今になって共感できます」
「?」
「遥音先輩って、いつでも正しくてズルいですね」
「は?」
ふとそう言った透巳に、明日歌は首を傾げた。透巳が明日歌のどの発言のことを指しているのか分からなかったからだ。その答えを告げるように遥音のことを語った透巳に、当の遥音は疑問の声を上げてしまう。
だがそれを切っ掛けに明日歌はようやく、以前自身が遥音のことをそう称したのを思い出したようだ。
『遥音はいつも正しいからさ、例えそれが私にとっては嫌なことでも、遥音にはそうするだけの至極真っ当な理由があって。それを盾にされちゃうともう、何も言えないっていうか……』
明日歌は以前そう言って、遥音のことをズルいと称したことがある。その時はあまり共感できなかったその言葉も、今の透巳には身に染みたようだ。
「一体何の話だ?」
「遥音先輩には敵わないなって話ですよ」
「?」
正座をしながら首を傾げる遥音の姿はほんの少し可愛く、ほんの少しだけ笑いを誘うようである。クエスチョンマークを顔中に散りばめた遥音を置き去りに、透巳は椅子から降りると明日歌と兼に向き合う。
「それよりも改めて言いますね。……明日歌先輩、兼くん。ごめんなさい」
「別にいいよ。そこまで気にしてないし」
頭を下げてきた透巳に、明日歌は許す言葉を口にした。それに同調するように兼もコクリと頷いている。
「あ、でも全くこれっぽっちも後悔はしていません。確かに明日歌先輩たちに対する配慮は無かったかもしれませんが、遥音先輩と結菜ちゃんを傷つけたアイツらに対する復讐のためなら同じことをしますね」
「安易にいいよとか言った先の自分を殴りたい」
珍しく殊勝な様子だった透巳は一瞬で消え去り、いつも通りの独善的な透巳に逆戻りである。最早F組生徒たちはため息をつくしかない。
「全く……俺らがいなくなった後が心配だ」
「……今日の遥音先輩は意地悪ですね」
正座から普通に椅子に腰掛けた遥音は、ため息交じりにそう言った。そんな遥音の言葉で、F組には凍てつくような微妙な空気が流れてしまう。
透巳だけではなく、他の二年生組が分かっていても深く考えようとしてこなかったことを、本人から突き付けられてしまったからだ。
「あと半年で遥音先輩が卒業するなんて……悲しいです」
「わぁお。見事に私はぶかれたよ?苛め?苛めなの?泣くよ?泣くからね?……うぅぇん……」
「冗談ですよ。明日歌先輩の卒業も寂しいですから」
透巳の冗談で心を抉られた明日歌は嘘泣きをしつつ、兼の胸元に飛び込んだ。そして兼は面倒くさそうに明日歌の頭をぐりぐりと撫でている。
しょうがないなぁとでも言いたげな相好で透巳は弁明したが、明日歌が嘘泣きをやめる気配はない。
「いつまで泣いてるつもりだ鬱陶しい」
「ふんだ!良いよねぇ、遥音は。好かれてて!」
『…………俺が好いているのだからいいだろう』
「え?なんて?」
むくれたまま拗ねたような声で言った明日歌を目の当たりにした遥音は、ほんの少し頬を染めつつボソッと呟いた。明日歌にはギリギリ聞こえない程度の音量である。だがすぐ近くにいた透巳にはバッチリ聞こえていた。
「なっ、何でもないわ馬鹿め」
「え、何で急に貶されてんの?」
「ふふっ……」
耳まで真っ赤になりながら誤魔化した遥音を怪訝そうに見つめる明日歌は、何故か貶されてしまったことで呆けてしまう。一方遥音の呟きをバッチリ聞いていた透巳は、可愛らしいなと思いつつ笑い声を漏らした。
「おい笑うな神坂」
「嫌だなぁ、笑ってなんて……ふっ、ふふっ」
「殴るぞ」
笑い続ける透巳にキッと鋭い視線を向けた遥音だったが、そんな睨みも虚しく透巳は堪え切れない様な笑みを零した。
もし透巳の現在の頭を遥音に覗かれれば、本当に殴られるだろうが、透巳が笑いきったので彼の頭にたん瘤が出来ることは無かった。
「あれ。何の話してたんでしたっけ?」
「卒業の話だよ」
「あぁ。そうだ。ありがとう、宅真くん」
発端は透巳。経緯で言えば明日歌と遥音のせいで話がズレてしまったので、透巳は思わずそんな疑問を口にした。すると透巳の疑問を宅真が優しい声で解いてくれた。
「遥音先輩たちがいなくなったら、F組もだいぶ寂しくなりますね」
「一番うるせぇ人がいなくなるからな」
「ピーマンくん。遥音に殺されるよ?」
「アンタですよアンタ」
「なぬっ!?」
透巳の寂しそうな声に若干同調する形で巧実は毒づいた。巧実の中の等式では、うるせぇ人=明日歌だったのだが、明日歌は=遥音だと勘違いしたらしい。
「そういえば、遥音先輩と明日歌先輩は同じ大学を受けるんですよね?」
「あぁ。大学を卒業したら、俺は警察学校に通うことになっている」
「私は特にやりたいことなかったから大学は遥音のところをパクったぜ!!」
「ドヤ顔やめろ」
汚れのない自信満々な笑顔と右手親指をぐっと上げて見せた明日歌に、遥音は苦々しい相好を向ける。
だが明日歌が遥音と同じ大学を受けるのは事実なので、遥音も否定はできないのだ。ちなみに遥音の受ける大学は、東京の大学の中で五本の指に入るほどの知名度と偏差値を誇る有名大学である。そんな大学を、遥音と同じ学校に通うためという動機で志望校にできる明日歌はやはり要領がいい。
「明日歌先輩は将来の夢とか無いんですか?」
「ないねぇ……そういう透巳くんこそないじゃん」
「そうですね。何にでもなれるって困りものですよね」
「同類に話しかけるみたいなスタンスやめてもらえる?」
透巳は将来の夢が無い明日歌に仲間意識を芽生えさせたようだが、明日歌からすれば自身と透巳は全くの別種である。明日歌は単純になりたいと思える職業が無いだけだが、透巳は何にでもなれるため無限にある選択肢のせいで選ぶことが出来ないのだ。
そんな超人化け物と一緒にされては堪ったものでは無いと、明日歌は苦笑いを浮かべた。
********
それから年を越えて季節は冬。一月二十日のことだ。
この日透巳は都内の病院に向かって全力疾走していた。もちろん透巳の大嫌いな冬なので、彼はいつも通りの厚着なのだが、走っているせいで若干熱くなったのか、その道中マフラーを剥ぎ取った。
病院に向かって、走っている。だがそれは、五年前とは全く違っていた。
透巳は大事な人の命の灯が消えかかっているから走っているのではなく、新たな命が誕生するのをその目に焼き付けるために息を切らしているのだ。
病院の産婦人科。そこまで辿り着いた透巳は、外から待つことしか出来ない。
分娩室を隔てるガラスの向こうからは、かおりの苦しそうな、聞いたこともない様な声と、純や助産師の励ます声が聞こえてくる。
それからどれ程の時間が経ったのか透巳に知る術はない。長かったような。短かったような。そんな感覚さえどうでも良いと思えてしまうような。
新たな命の誕生を知らせる産声が、鮮烈に透巳の耳を突き破った。
「はぁぁぁぁぁぁぁ…………よかった……」
その場にへにゃりとしゃがみ込み、大きなため息をついた透巳は、最後にぼそりと本音を零した。
********
かおりの名前が目印の病室に足を踏み入れると、透巳の目には疲れた様子のかおり、泣き腫らした目をした純。そして生まれて初めて出会う自身の兄弟の姿が飛び込んだ。
かおりに抱きかかえられた赤ん坊は、どこもかしこも小さく、触れれば壊れてしまうのではないかと思える程だった。触れなくても分かる程柔らかい肌、温かそうな体温、その全てに透巳は目を奪われてしまう。
「女の子だよ。透巳くん」
「女の子……妹か……困ったな」
「「?」」
赤ん坊が起きないようにゆっくりと近づき、その姿を目に焼き付けていた透巳に、純はその性別を教えてやった。透巳の兄弟は、兄妹だったようだ。
健康に産まれてくれれば弟でも妹でも構わないと思っていた透巳だったが、ふと顔を顰めて思案し始めてしまう。そんな透巳の様子に純たちは首を傾げた。
「将来、この子が結婚する時に相手を殴ってしまうかもしれない」
「……透巳くん、もうシスコンになっちゃったの?」
「かもしれない……かわいい……妹」
思いがけない透巳の発言に純は苦笑いを、かおりは茫然自失としてしまっている。
純の問いに、うわ言のように返した透巳の目には可愛らしい妹の姿しか映っておらず、かおりたちは娘の先行きを早くも案ずるのだった。
次は明後日更新予定です。
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