不変の√コーナー11
『そちらはそちらでお好きにやってください。こちらもこちらで、好きなようにやりますから』
あの時の透巳の言葉が、四葉の頭から離れてくれない。あの時の雨音も、あの時の透巳の笑顔も、あの時の透巳の不気味な声も。四葉の頭に張り付いて、耳鳴りのように支配してくる。
明確な根拠などどこにもないのに、言いようのない不安が襲ってきて、行動に移すのを躊躇ってしまう程に。
あれから季節を超えても透巳から芸能活動に関する知らせは入ってきていない。要するに交渉決裂である。だからこそ四葉はかおりに接触して透巳に危機感を抱かせるように仕向けた。それでも透巳からの反応は無かった。
だから四葉は行動しなければならなかった。純とかおりのことを、大衆が食いつくような記事にして公に晒すという行動を。
だが透巳の「こちらも好きにやる」という発言がずっと四葉の中で引っかかっている。
そんなどこか気持ちの悪い感覚を抱えたまま、その日四葉は自宅への帰路に就いていた。
真っ暗な夜空に星は輝いておらず、四葉の自宅の近所には人の姿もない。自然の音しか聞こえてこない世界では、余計なことを考えてしまう。
四葉はそんな思考を掃う様に頭を振り、ほんの少しだけ足を速めた。そして自宅アパートの前まで歩いた四葉は、視界に飛び込んできた光景に冷や汗を一気に流してしまう。
何故ならついさっきまで自身の思考を支配していた存在が、自宅前でニッコリと笑顔を浮かべて立っていたから。
「お仕事お疲れ様です。西園寺四葉さん」
「……っ」
足の震えが四葉を襲った。全てを見透かしているようなその目が、声が、四葉の中で危険信号を発していた。
何よりも恐ろしかったのは、以前会った際は顔さえ覚えていなかった透巳が四葉の名前だけではなく、住所までもを把握していたことだ。
「どうして……ここが……」
「優秀な犬が教えてくれました」
「い、犬?」
「はい。可愛くて優秀で、俺に忠実な犬ですよ」
これが透巳が千流芭に頼んだことの一端である。汚れなど知らないような笑顔で言ってのけた透巳に、四葉は当惑したような表情を向ける。
そんな四葉に追い打ちをかけるように、透巳は学生鞄からあの報告書を取り出した。そしてその報告書を四葉に見せつけるようにひらひらと揺らして。
「……西園寺四葉、二四歳女性。出生地香川県。大学卒業後は記者として仕事を始める。主に芸能関係の記事などを扱っており、スクープのためなら非道な方法に手を染めることもしばしばある…………なるほど!クズの鏡ってわけですね!」
「な……なんなのよ……!何でそんなこと知ってるのよ!」
手始めに一ページ目の内容を簡単に音読した透巳に、四葉は鬼胎の籠った視線を向けた。
「ところであなたは今恋人はいないようですが、田村さんとよりを戻す気は無いんですか?」
「っ!……な、なんで……何でソイツの名前なんか……知ってるのよ……?い、意味分かんない。よりを戻す……?戻すわけないでしょ!?」
「五月蠅いなぁ。もう少し理路整然と話せないんですか?ぽっちーより酷いですよ」
田村という名前が透巳の口から発せられたことで、四葉は身体中に鳥肌を立たせた。透巳が四葉の個人情報を把握しているという状況で飛び出た固有名詞が、一体どんな意味なのか理解できない四葉では無かった。
だからこそ恐ろしく、声を荒げた四葉だったのだが、透巳の方は平然としているせいで更に焦りが生まれてきてしまう。
「この田村さん、若干DV気味だったらしいですね。その上何とか別れた後もあなたにストーカー紛いのことをしていたらしいじゃないですか。世の中には暇な奴っていますよね」
「それが何だって言うのよ……あなたに関係ないじゃない……私だって……」
「そうですね。俺には全く関係ない話ですし、興味もありません。それはあなたもそうだ。頑張ってバレないように引っ越してストーキングもやっと無くなったんですもんね。涙ぐましい努力です」
「馬鹿にしてるの?」
田村というのは、四葉が大学時代に付き合ったことのある男だ。だが気に入らないことがあるとすぐに四葉に手を上げるようなDV男で、彼女は逃げるように田村と別れたのだ。
だがその後は田村のストーキングに悩まされ、四葉はバレないように引っ越しをすることでそれからも逃れたのだ。
そんな四葉の苦労も、恐怖の記憶も、淡々とした声で何でも無い様に言う透巳は、四葉からすれば酷い奴だろう。
「いえいえ。馬鹿になんてしてませんよ。ストーカーって面倒ですよね。俺も色んな意味でストーカーとは縁があるんですよ」
透巳のその言葉に嘘はなかった。それは四葉も理解している。何せ透巳はあの風宮季巳の息子なのだから、そういった被害には四葉以上に遭ってきただろうと予想できたから。因みに透巳の言っていた面倒なストーカーとは、基本的には梓紗のことである。だが透巳では無く、小麦に対するストーカーのような者、というのが適切な表現だろう。
「……?」
「……あれ?もしかして状況理解できてませんか?」
「……?……っ!?」
透巳の言葉で、四葉はようやく自身に逃げ場などもうないことに気づいた。そして同時に、こんな相手を敵に回そうとした過去の自身の愚かさが心底嫌になってしまう。
「ま、まさか……あなた、脅してるの?」
「はい。もし俺がストーカーさんにあなたの情報を提供したら、大変なことになりますね。まぁストーカーさんにとっては親切以外の何者でもないわけですが……」
四葉は透巳を芸能界に入れるために、彼の家族を人質に取って脅迫をした。だから透巳もそれを返してやったのだ。脅してくる奴には、更に恐ろしい脅しを。透巳はそう考えた。
透巳は四葉の住所を知っており、同時に田村の情報も入手している。要するに、やろうと思えば再び田村によるストーカーを引き起こすことだって出来るのだ。
例え引っ越ししたとしても、四葉は千流芭の存在を知らない。つまり透巳がどうやって自身の情報を入手したのかが分からないので、下手に動いても無意味に終わる可能性が高いのだ。
「ふざけないでよ!ど、どうしてそんなこと……」
「……どうして?」
「ひっ……」
思わず、四葉から引き攣ったような声が漏れてしまう。透巳から発せられた冷たい空気に、のみ込まれそうな錯覚を覚えたからだ。
「俺の家族に手を出しておいて、まさかそんなふざけた言葉を聞くとは思いませんでしたよ」
「っ……神坂かおりさんのことを怒ってるの?あ、あんなのちょっと揶揄っただけじゃない……それなのにこんな酷いこと」
「酷いこと?アンタらが息をするようにやっていることじゃないですか?被害者面はやめて欲しいですね」
慌てた様に弁明する四葉だが、そんなことは透巳の怒りを増長させるだけである。そしてそんな透巳の発言を否定することも四葉にはできない。
「どうしてあの人を庇うの?あなたに酷い態度をとる人なんでしょう?」
「……俺、何も知らない癖に知ったような口きく奴が一番嫌いなんですよね」
「え?」
四葉の問いに、透巳はほんの少し俯いて答えると、突然四葉をアパートの外壁へ追いやった。透巳の両腕で囲まれたことで、逃げ場のなくなった四葉は冷や汗をタラリと流す。
「どうして庇うか?家族だからに決まってんだろうが」
「っ……」
怒気を孕んだ声に、鋭い視線、立っていられなくなるような存在感。皮肉にもその全てが、四葉の求めていた風宮季巳の息子――神坂透巳の姿だった。そしてこれこそが、丁寧な口調と笑顔に裏に隠された彼の本性なのだということも、四葉には分かった。
「さてと。あなたが俺の家族を人質にして、あの記事を事実にしようとするなら、俺はあなたの情報をストーカーに渡すしかありません。最悪の結末ですね」
アパートの外壁から手を離し、四葉から一歩離れた透巳は嘘のような笑みを浮かべると、似つかわしくない内容を口にした。
四葉思わず、奥歯を食いしばる。四葉の目的を果たそうとすれば、彼女は再びストーカーの恐怖に襲われることになる。それは四葉にとって絶対に避けなければならない事態だった。
「っ……分かったわ。あの記事はもう削除するし、ちゃんと訂正もする。あなたたちにももう二度と関わらない。だからアイツに私のことは……!」
「え?二度と関わらないのは困りますよ。あなたにはしてもらうことがあるんですから」
「……えっ?」
切迫した様子で透巳に懇願した四葉だったが、彼の斜め上の発言で呆けてしまう。そんな透巳の笑顔の裏に隠された思惑など、四葉に分かるわけも無かった。
「大丈夫ですよ。あなたの情報をストーカーに提供しないと約束しますから。それに俺があなたにお願いしたいのは、あなたにとっても利益になることですので」
「……?」
最早透巳の笑顔で安心などできない四葉は、震えながら首を傾げた。
やけに五月蠅いセミの鳴き声が、静かな夜を包み込む。その日四葉の記憶に深く刻まれたのは、そんなセミの鳴き声と、神坂透巳という人間の脅威だった。
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翌日、四葉は昨夜の出来事を引きずりながらも、あの記事の件ですることが山ほどあるのでいつも通り出社していた。
皮肉じみた朝日を浴びながら出社した四葉は、職場まで足を運ぶと目の前の光景に首を傾げた。
何故なら編集長や、四葉の上司数名の顔色が心底悪かったから。ただならぬ雰囲気を感じつつ入室した四葉に、編集長は視線をやる。
「!……西園寺、お前……あれは一体、何なんだ?」
「え。……あれ、って?」
絞り出すような声で尋ねてきた編集長の言葉の意味を、四葉は即座に理解することが出来ない。
すると編集長に同調するように、四葉の上司たちが怯えと疑問の混じった視線を彼女に向けてきた。
「お前がご執心の相手だよ……神坂透巳」
「っ……!え……まさか……編集長たちも?」
「……さっさと記事消して謝罪文公開するぞ。あれを敵に回した時点で終わってたんだ、俺たちは」
編集長の口から透巳の名前が出てきた瞬間、四葉にもようやく理解できた。四葉にしたことを、透巳は編集長たちにもしていたのだということを。
透巳の標的は四葉だけでは無かった。透巳の家族から手を引かせるために、四葉は絶対に交渉材料を用意しなければならない相手だったが、それだけでは透巳の気が済まなかった。
それだけ透巳は怒っていたし、あの記事に関わったすべての人間に釘を刺しておきたいと思ったのだ。だから透巳は千流芭に頼んだ情報収集に〝広く深く〟という指定を追加したのだ。
四葉はそれらを理解すると、今顔色を悪くしている人物と、いつも通りの人物の違いに気づく。それは、四葉の作った記事が世間に公開される以前に、その存在を知っていたかいないかの違いだ。
それに気づいた途端、夏だというのにぞっとした寒気が四葉を襲った。
記事の存在を知っていながら、記事の信憑性を確かめることもなく、世に放つことを許した編集長たちを透巳が敵視していることはすぐに理解できた。だがどうやってその存在を事細かに調べ上げたのか、その方法が全く分からず、得体の知れないものに対する恐怖が湧いたのだ。
『俺、何も知らない癖に知ったような口きく奴が一番嫌いなんですよね』
ふと、四葉は昨夜の透巳の言葉を思い出す。本当にその通りだと、四葉は痛感させられた。四葉は知っているつもりで、何も知らなかったのだ。
神坂透巳という人間のことを。
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「風宮季巳さんの息子が芸能活動を始めるという記事を掲載しましたが、そのような事実は確認されませんでした。風宮季巳さんのご家族及び、関係者の方々にお詫び申し上げます……か。ま、あんまり騒がれても困るしこんなものですかね」
「ほんとに透巳くんどうやったの?」
四葉たちが二度と透巳の琴線には触れてはいけないと学習したその日。いつものように学校の昼休み時間、F組の教室で過ごしていた透巳はスマホに視線を向けながら、ありきたりな謝罪文を音読していた。
宣言通り〝大丈夫〟にしてしまった透巳に、最早明日歌たちが驚くことは無かったが、その方法はやはり気になってしまうものだ。
「今回はぽっちーがいろんな面においてよく頑張ってくれましたから。あとで何かご褒美を考えてあげないと」
「ふぅん。あの子がここにいたら泣いて喜びそうだね」
「……いますけど?」
「「へ?」」
適当に言った明日歌だったが、ポカンとした透巳の声で全員が首を傾げる結果になってしまう。すると透巳が明日歌たちにも分かるように、多目的室の扉の方を指差した。扉は閉まっていたので、明日歌はそれを開いて確認してみる。
首を傾げながらも、開いた扉の後ろ側を覗き込んだ明日歌たちは、扉を背にして咽び泣く千流芭の姿を目の当たりにした。F組、というよりも透巳の様子を盗み聞きしていたであろう千流芭を発見した明日歌たちは、何も言うことなくそっとその扉を閉めるのだった。
※本編の流れを考えてカットしていた、透巳くんとぽっちーの電話での会話をここで公開したいと思います。興味のある方は覗いてみてください。
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*不変の√コーナー3後半部より*
「あ、もしもーし。ぽっちー?」
「す、透巳様!?お、お、お、お久しぶりであります!透巳様自らお電話をいただけるなんて、私、恐悦至極に存じます!!実は……」
「ちょ……うるさいうるさい。三秒以内に静かにならないと切るから。はいさんにぃい……」
「了解です(小声)」
「よろしい――それでぽっちー。早速本題に入るけど、俺の平穏を脅かそうとするゴミが出てきたんだよねぇ。そいつのこと調べて欲しいんだ。出来るよね?賢いぽっちーなら」
「……もちろんであります。す、み、さ、まぁ……」
*不変の√コーナー4後半部より*
「あ、ぽっちー?路線変更。レベルマックスでよろしく」
「了解しました。推測するに、相手側が何か透巳様の逆鱗に触れることをしたのですね?」
「うん」
「何て愚かな。法が許すのなら私自ら殺しに行くというのに……」
「うん、全く馬鹿だよねぇ、俺一人で満足しとけばいいのに、父さんとかおりさんにまで手を出そうとするなんて。ほんっとうに、おかしくてゲラゲラ笑うところだったよ」
「透巳様のご家族に……?それは、相手側には分からせる必要がありますね」
「あ、そうだ。対象は広ーく見積もってね。広く深くお願い」
「もちろんであります。このぽっちーにお任せください」
*不変の√コーナー9前半部より*
「あ、ぽっちー?今日対象に変わった様子なかった?」
「はい。実は対象がかおり様に接触しておりました。何やら揺さぶっている様子で……」
「あぁ、やっぱりそうか」
「申し訳ありません。その場で引き剥がすか、かおり様の後を追いたかったのですが、それでは対象の情報を集めるという本来の目的が達せられないと思いまして」
「いや、それで間違ってないよ。ぽっちーが今一番しなくちゃいけないのは情報収集だから」
「ご理解に感謝いたします」
「うん」
「せめてもの役に立てばと思い、念のため、かおり様に発信器をとりつけておきました」
「え。それホント?流石はぽっちー。優秀な犬がいて俺は幸せ者だなぁ」
「勿体無いお言葉です」
********
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。透巳くんはコッソリぽっちーとこんな不穏な会話をしていたんですねぇ……。
次は明後日更新予定です。
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