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アクトコーナー  作者: 乱 江梨
第五章 不変の√コーナー
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不変の√コーナー8

 透巳くんの過去編は今回で終了です。途中から現代に戻ります。

 夕暮れの空が美しく、街が紅葉と夕陽で暖かく色づく季節のことだった。


 いつものように学校で授業を受けていた透巳。だが透巳がその内容を真面目に聞いている訳も無いので、彼はすぐ傍にあった窓の外に視線をやっている。


 学校の象徴と言ってもいい程大きなイチョウの木をぼぉっと見つめていた透巳。一陣の風が吹き、いくつかのイチョウの葉がはらりと落ちていく。それを視線で追った透巳は、ポケットの中の振動に気づいた。


 授業をしている担任にバレないように携帯電話を覗いた透巳は、心臓が止まってしまうそうな程の衝撃を覚えて目を見開いた。それは父である純からの着信で、それだけで何を意味しているのか理解できてしまったのだ。


 何の躊躇いもなく席から立ち上がった透巳は、クラス中の視線を集めてしまうが、そんなことを気にしている余裕など無かった。



「神坂?……どうし……」

「早退します」

「は?え……おいっ!」



 困惑しながら尋ねた担任に対しても素っ気無く返し、透巳は一目散に教室から飛び出した。


 がむしゃらに走り続け、息を切らし、苦しいという生理現象を不要なものだと切り捨てる。透巳はただ病院へ辿り着くことだけに集中していたので、そこまでの記憶は今となってはほとんどない。


 ********


 季巳の病室の前まで辿り着き、透巳はゆっくりとその扉を開けた。走っている最中の記憶も、苦しいという気持ちも、目に飛び込んできた季巳の姿によって、一瞬にして消えてなくなってしまった。


 病室には透巳の両親だけではなく、担当医や看護師もいて緊迫した雰囲気を放っていたからだ。



「……透巳くん」

「……母さん」



 扉の前で茫然と立ち尽くしている透巳に気づいた純は、悲痛な声でその名前を呼んだ。だが透巳の目に映るのは純ではなく、ベッドで横になっている季巳の姿だけである。


 純からの電話がかかって来た時点で透巳は気づいていた。今日が季巳にとっての最期の日になるのだということを。



「あら……透巳の、匂いがする、わね」

「うん。正解」



 透巳はどこか抜けたような表情で、それが純にとっては強烈であった。今の状況を理解できているのに、したくないと拒絶をしているような。感情を表に出さないように、透巳がその相好を保っていることが理解できたのだ。


 透巳の感情を正確に読み取ることなど、今まで一切できなかった純だが、この時ばかりは手に取る様に透巳の動揺を感じることが出来た。


 茫然自失としたまま、ベッドへ歩み寄った透巳に逸早く気づいた季巳だったが、その目は開いていない。意識が朦朧とする中、なんとか踏ん張っている状態なのだと透巳は気づいた。



「ふふ……授業、抜け出してきたの?」

「うん。当たり前じゃん。母さんの方が大事」

「あんた……勉強しないのを、私のせいに、しないの」

「必要になったらちゃんとするよ」

「ふふ……どう、かしら?」



 透巳はそっと季巳の左手を優しく包み込んだ。季巳の手は細く、力強く握れば壊れてしまいそうで、冷たいその感触が透巳に現実味を伝えてきた。

 最期だからと言って特別な会話から始めるのではなく、いつもと何ら変わりない、当たり障りのない会話を弾ませた二人。


 そんな二人の姿を目の当たりにした純は、堪え切れなくなったように一筋の涙を流す。



「安心して。母さん。俺、ちゃんと父さんのこと守るからさ」

「よろしく、お願いねぇ……お父さん、騙されやすいから」



 季巳は最後の力を振り絞り、その両目をそっと開いた。その目には涙が溜まっていて、透巳は今まで見たどんな〝風宮季巳〟にも負けないぐらいに美しいと感じた。


 そして同時に、こんなにも美しく、儚い命の灯が、今にも消えてしまいそうになっていることが、透巳には耐えられるものでは無かった。



「ねぇ、透巳」

「なに?」

「透巳は……自分のこと嫌いかもしれないけど、これだけは忘れないで……。透巳が大好きな、私や、お父さんや、慧馬くんは、アンタのことが大好きだってこと……」

「……うん」



 季巳の言葉に、透巳は堪え切れなくなったように目を見開いた。とても簡単なことなのに、いつもふと忘れてしまう事実を季巳は思い出す機会を与えてくれたのだ。



「大好きな相手が、大好きな子のこと……私は大事にしてほしいわ」

「……母さん」

「透巳は、もっと自分のことを大事にして……私からの、最期のお願い……ね」



 それが季巳の最期の言葉になった。


 永遠の眠りについた季巳の表情はとても穏やかで、ほんの少し微笑んでいるようにも見えた。だがそれが死んでしまった人間の相好であることは、誰の目にも明らかであった。


 そんな季巳の姿を目の当たりにした透巳は、すっと滂沱の涙を流した。頬やあごを伝う温かい涙の感触も、それを自分の意思で止めることが出来ないという感覚も、透巳にとっては初めて経験するものだった。


 季巳の余命が限られていると知った時、泣かない自分は薄情なのだろうかと透巳は不安になっていた。だが透巳は最期の時に初めての感覚を知った。


 自身の大事な存在との初めての別れ。その経験で透巳が抱いたのは、ほんの少しの安堵感と底の見えない喪失感、悲しみだった。


 止まらない涙を流す透巳を、純は力強く抱きしめた。そんな純も透巳の頭を撫でながら涙を流していた。


 もう二度と、季巳と言葉を交わすことは出来ない。もう二度と、季巳の笑顔を見ることは出来ない。もう二度と、季巳に会うことは出来ないのだ。


 十月二八日。これが季巳の命日であり、女優風宮季巳が消えてしまった日になった。


 ********


 神坂かおりは初めて会った時から神坂透巳のことが気に食わなかった。愛する純と全く似ていない顔に、正反対の性格。そして風宮季巳に瓜二つの顔に、独特の存在感。それがかおりには受け入れられるものでは無かったのだ。


 かおりと純は同じ会社に勤めている関係で、季巳が存命だった頃からの知り合い同士であった。


 昔から優しい純に想いを寄せていたかおりだったが、彼が既に既婚者だった為に片思いを続けていた。純の性格をよく分かっていたので、彼が離婚することは無いだろうとほぼ諦めていたかおり。


 だがそんなかおりにも転機が訪れた。


 きっかけは朝ふと見ていたニュース番組。風宮季巳がすい臓がんを患っていたことさえ知らなかったかおりにとっては、まさに青天の霹靂だっただろう。


 この出来事をチャンスと思う反面、純が家族の病気のことを相談してくれなかったことに、彼にとってかおりがどの程度の存在なのかを思い知らされたようで、かおりは肩を落とした。


 だがそれぐらいでへこたれる程かおりはおしとやかでは無かった。


 季巳が亡くなったことで会社でも気を落としていた純を心配したかおりは、よく話しかけて励ますようになった。そこに下心が無かったと言えば嘘になるが、好きな相手の悲しそうな顔を見て放っておけるわけも無かったのだ。


 そんな努力の甲斐もあって、かおりは純から好意を抱かれるまでになり、ついには結婚にまで漕ぎ着けることが出来た。


 順風満帆、幸せの盛りであったかおりだが、唯一気に入らない存在がいた。


 それが純と結婚したことで同居することになった透巳である。



「初めまして。かおりさん。神坂透巳です。よろしくお願いしますね」



 当たり障りのない笑顔を浮かべた透巳は、かおりにとってテレビの向こう側にいた風宮季巳と大して変わりない存在だった。


 女優風宮季巳に瓜二つな透巳は、近くにいるだけで緊張してしまう。そして愛する純がかつて愛した存在に瓜二つな透巳は、見るだけで嫉妬という苛立ちが沸いてしまう。


 かおりは様々な感情が渦巻いてしまうせいで、冷静に透巳と言葉を交わすことすらできなかった。



「すいません、嫌ですよね。母さんに顔似すぎてるから、俺」

「っ……」



 あっさりとかおりの心を見透かした点も、彼女にとって透巳の気に入らないところだった。


 風宮季巳そっくりな存在感に圧倒されていることも。生きていれば敵うはずもない季巳に対して嫉妬心を抱いていることも。全て見透かして、上から見下ろしているのではないかと。こんな自分を透巳が馬鹿にしているのではないかという疑念が、更にかおりの透巳に対する嫌悪感を増長させていた。


 幸いにも、透巳は小麦と二人暮らしをするために実家のアパートを離れたので、かおりにとって苦痛だった同居生活はすぐに終わりを告げた。


 そんなかおりの気持ちを察していたからこそ、透巳は小麦との二人暮らしを丁度いい一石二鳥だと思っていたのだが、それをかおりや純には言っていない。


 もしそれを口にしてしまえばかおりからは更に嫌われる上、純が気に病むことは明らかで、透巳にとってのメリットが一切なかったからだ。


 ********


 春から季節は流れ、透巳の誕生季節でもある夏になっていた。外は忌まわしいほどの陽射しが照り、じっとりと汗が流れてしまう様な気温である。


 この頃のかおりは辛かった悪阻も治まってきており、以前のように一人で外出することも増えてきていた。


 この日、かおりは食材を買いに行くために街に出ていた。日焼け止めはもちろんのこと、アームカバーをしっかりと装着したかおりは、日傘を差しながらスーパーへの道のりを進んでいる。


 スーパーの看板が見えてきたところで、かおりは誰かとぶつかりそうになり思わずその足を止めた。そしてその人物が動かないことを確認すると、一歩右側にズレて再び歩き出そうとする。

 だがそれはその人物が同じように右側にズレたことで阻まれてしまった。


 かおりは思わず日傘をほんの少し傾けてその人物の姿を確認した。かおりの視界には、満面の笑みで自身を見下ろす四葉の姿があった。


 四葉はスーツではなく私服姿で、そこから導き出される情報はあまりにも少ない。



「こんにちは。神坂かおりさん」

「……誰?なに?私急いでいるんだけど。変な勧誘ならやめてよね」



 全く知らない相手に、名前を把握されている。それがどれ程の脅威なのか分からないかおりではない。一刻も早く四葉から逃れることが賢明であることを悟ったかおりは、強気な姿勢で彼女を睨みつけた。



「あら怖いですね。風宮季巳の代わりのお嫁さんだとはとても思えませんね」

「……なによ、それ」

「だって神坂純さんの再婚相手でしょう?神坂かおりさん」



 自分だけではなく、純や季巳のことまで知られていることにかおりは恐怖を覚えた。同時に、目の前の四葉に馬鹿にされていることが耐えられず、ぐしゃっと顔を歪めてしまう。


 そしてかおりは気づいた。四葉は自分を通じて純や季巳のことを知っているわけでは無い。風宮季巳を通じて純、そしてかおりのことを知ったのだという事実に。



「あなた、何者なのよ」

「私ですか?私は通りすがりの記者ですが」

「記者?……あぁ、そういうこと」



 四葉が記者であることを知ったかおりは、相手の魂胆を何となく把握した。風宮季巳は亡くなってからも何かとメディアで取り上げられることが多い。そんな彼女の家族問題を面白おかしく記事にすることが目的なのだろうと、かおりは推測した。



「何か勘違いしていると思うので訂正しておきますが、今日窺ったのはあなたたちのことを記事にするためではありませんよ」



 「今後記事にする可能性はありますが」という心の声を四葉は漏らさなかった。だがそんな裏の言葉をかおりに読み解けるはずもなく、彼女は素直に四葉の言葉に驚き目を見開いた。



「なら何だって言うのよ」

「あなたにはあまり関係が無いのですが……とある人に対する警告、忠告のようなものです」

「……訳の分からないことに私を巻き込まないで」



 四葉の今回の目的はかおりにとって寝耳に水で、その言葉の意味を正確に理解できるはずも無かった。

 苛ついた様子のかおりを嘲笑う様に、四葉は更に捲し立てる。



「それにしても、必死ですね。まぁそれも仕方ないですよね。あの風宮季巳と結婚していた方が相手ですもん。ちょっと気を抜けば風宮季巳との差に失望されてしまうかもしれませんものね。厚化粧をして、日焼け対策もバッチリ。香水も少しキツいんじゃないですか?涙ぐましい努力ですね。あぁ、でもそんな努力も水の泡になってしまうかもしれませんね。だってあなた、義理の息子の神坂透巳くんに随分と酷い態度をとっているみたいじゃないですか。いくら相手が奥さんだったとしても、自分の息子にそんなことをする相手を果たして彼は許せるでしょうか?」



 全て見透かされていた。だが透巳のそれとは違い、かおりは当惑してしまう。透巳は見透かしていても、それをこんな風に晒してかおりを侮辱したりしなかった。


 だが目の前の四葉は違う。明らかにかおりを精神的に攻撃するために言葉を選んで、それを発していた。


 この時、かおりはようやく気付いた。今まで自身が透巳に対して嫌悪感を抱いていたのは、彼がかおりに対して敵対心を持っていなかったからだということに。透巳に攻撃するつもりが無かったから、かおりは嫌悪感を抱く余裕を持てていたのだ。


 だが今回。初めて人から完全な敵意と悪意を向けられたかおりは、嫌悪感を抱く暇もないまま、その心に大きな傷をつけられてしまった。




 次は明後日更新予定です。


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