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アクトコーナー  作者: 乱 江梨
第五章 不変の√コーナー
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不変の√コーナー9

 かおりが四葉に会ってから数時間後。既に帰宅し、いつも通りシオと戯れていた透巳は、純からの着信に気づく。


 突然携帯の着信音が部屋中に鳴り響いたので、シオはビクッと反応し透巳に引っ付いて離れようとしない。そんなシオが心底愛らしく、蕩ける様な笑みを向けながらシオの頭を撫でた透巳は携帯をとった。



「もしもし?父さんどうかした?」

『透巳くん急にごめん。かおりさんの居場所なんて知らないよね……?」

「かおりさん……どうかしたの?」



 純の声音から、彼の不安と焦りがはっきりと伝わってきた。そして純がかおりの居場所を尋ねてきたことから、今現在彼の傍にかおりがいないことを透巳は悟った。



『さっき家に帰ってきたんだけど、かおりさんがいなくて……連絡も全くつかないんだ』

「……ごめん。俺は知らない。俺からも一応連絡してみるね」

『うん、ありがとう透巳くん。忙しいのにごめんね』

「全然忙しくないから大丈夫だよ。じゃあね」



 こんな緊急時でも相変わらずの純に透巳は笑みを浮かべたが、電話を切るとかおりが行方知れずという事態に思わず顔を顰めた。かおりの携帯電話に連絡しても、当然のように透巳の耳には虚しいコール音しか聞こえてこない。


 口元に手をやり、思案するように黙りこくった透巳を心配するように、小麦は様子を窺っている。そして透巳の傍にくっついていたシオはキョトンとした様子で彼を見上げていた。



「かおりさん、どうかしたの?」

「うーん……ぽっちーに聞いてみるか」



 そう言って再び携帯電話を耳へ運んだ透巳に、小麦は思わず首を傾げた。かおりとぽっちー――千流芭に何の関係があるのか分からなかったからだ。



「あ、ぽっちー?今日対象に変わった様子なかった?……あぁ、やっぱりそうか。……いや、それで間違ってないよ。ぽっちーが今一番しなくちゃいけないのは情報収集だから。うん…………え。それホント?流石はぽっちー。優秀な犬がいて俺は幸せ者だなぁ」

「……?」



 電話越しに聞こえてくる微かな声だけでは、小麦は二人の会話内容を理解することが出来なかった。だが先刻の顰め面から、透巳が明るい相好に変化したので小麦はとりあえず一安心した。



「ねこちゃん。ちょっと俺出てくるね」

「うん。いってらっしゃい」

「……何しに行くか聞かないの?」



 いつものことながら、透巳が急に外出してもその目的を尋ねない小麦。そんな彼女に、ふと何時も抱いていた疑問を透巳はぶつけた。



「透巳くんが何考えて、何しようとしてるかなんて、私には全然分からないけど……大事な人のためだってことだけは、分かってるから。聞かなくても、大丈夫」

「……」



 頬を染め、ふんわりとした笑みを浮かべた小麦に透巳は目を奪われる。小麦が自身に対して、言葉で説明などできない信頼を寄せてくれているという実感を透巳は抱き、言いようのない嬉しさが込み上げてきたのだ。



「そっか。ありがとう……大好きだよ、小麦」

「っ……ずるい」



 愛おしそうな目をして、満面の笑みを向けてきた透巳を小麦は恨めしそうな目で見上げた。



「だよね。今自分でも思った。ズルくてごめんね」

「……いってらっしゃい」

「いってきます」



 透巳は謝りながらも、どこか楽しそうに小麦の頭を撫でた。そんな透巳を呆れたような、諦めの様な声で小麦は送り出した。


 透巳は自分には勿体ない恋人がいるという事実を再確認しつつ、目的の場所へと向かうのだった。


 ********


 透巳が向かったのは、近所の公園。それは透巳と小麦が出会ったばかりの頃に立ち寄った公園でもあるので、透巳にとっては思い出の地である。


 陽はすっかり落ちてしまい、公園の街灯がポツリポツリと足下を照らしてくれている。


 透巳の視線の先には、ベンチで俯いているかおりの姿があり、彼はほっと胸を撫で下ろした。人の気配を察知して、勢いよく振り返ったかおりは透巳の姿を視界に入れると、落胆したようにすぐに目を逸らした。



「父さんじゃなくてガッカリしましたか?」

「……アンタのそういうところが嫌いなのよ」

「なるほど。今度からは気をつけますね」

「……多分だけど、アンタ全然分かってないわ」



 かおりからの鋭い指摘に、透巳は一瞬だけ鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。そしてすぐに納得したような声を出したが、そんな透巳にかおりは苦い相好を向けた。


 かおりが自身を嫌う理由の一端を知れたことを嬉しく思った透巳なのだが、それに対する反応そのものも嫌う理由の一つなので、全く生かせていないのだ。



「どうして分かったのよ?私がここにいるって」

「親切な子が教えてくれたんですよ」

「はぁ?」

「かおりさんは知らない方がいいですね。俺のこともっと嫌いになるので」



 不満気に尋ねたかおりに対して、透巳ははぐらかして答えた。かおりには何のことだか全く理解できない物言いをする透巳に、かおりは若干苛立ってしまう。先刻四葉にも同じような対応をされたからだ。


 だが説明されたところで理解できないと思ったのか、かおりが追及することは無かった。



「父さん心配してましたよ。どうしたんですか?」

「……」



 かおりの隣に腰掛けた透巳は、彼女の顔を覗き込みながら尋ねた。かおりは唇を噛みしめながら沈黙を貫いたが、やがて観念した様にため息をついて口を開いた。



「……私……私なんかじゃ、あの人に、勝てないから……」


(はぁ……変なこと吹き込みやがって)



 震える声で弱音を吐いたかおりを目の当たりにした透巳は心の中で、彼女をこんな風にした元凶に恨み言を吐いた。



「あの人って、母さんのことですか?」

「……そうよ」

「勝つって何ですか?意味がよく分からないんですけど」



 透巳は本気で分からなかった。季巳とかおりの二人は会ったこともない。つまりは勝負をしたこともない。そんな二人の間に何の勝ち負けが存在するのだと、本気で理解できなかったのだ。だがそれはかおりの不安を感じ取ることが出来ないということではない。


 事実透巳は、今かおりが悩んでいる原因が季巳だということを理解していた。ただ透巳は、かおりが季巳のことで悩んでることは分かっても、具体的にどんなことに頭を悩ませているのかが分からないのだ。



「あの人が死ななければ、純さんは私となんて結婚しなかったわ」

「そりゃそうですよ。何当たり前のこと言ってるんですか?」

「っ……何なのよアンタ!?分かってない振りしてちゃんと分かってるじゃない!」



 苛立ちがピークに達したかおりは、思わず立ち上がると泣き叫ぶように言った。透巳が何を考えているのか分からないという苛立ちと、現実を突きつけられたことに対する苛立ちが、かおりの頭の中でぐちゃぐちゃになっている。



「かおりさんが言ってるのは仮定の話ですよね?確かに母さんが生きていればかおりさんと父さんが結婚することは無かったでしょうけど、母さんは死んでますよ。ちゃんと、この世からいなくなって天国に行ったんです」



 仮定の話など、透巳にとってはどうでも良い話だった。いくら〝タラレバ〟を口にしても季巳の死は覆らない。そんなことは季巳が生きている頃に、透巳は嫌という程思い知っている。そして透巳は、そんな仮定の話で一喜一憂するなんて馬鹿馬鹿しいと思っている。


 だがかおりは実の息子である透巳が、季巳の死に対してそう言った捉え方をしていることに驚きを隠せなかった。



「……でも、私は風宮季巳みたいに綺麗じゃないし、性格だって悪いし……それに、あの人が死んだことで傷ついた純さんの心に、つけこんだのよ?」

「……あの、かおりさんは父さんを何だと思ってるんですか?馬鹿にしてるんですか?流石に怒りますよ」

「え……?」



 かおりは自分を貶めたつもりでいたが、透巳にとってはそうでは無かった。怒ったような表情の透巳を見たかおりに分かるのはそれだけだった。



「父さんが母さんと結婚したのは、母さんが〝風宮季巳〟だったからじゃありません。それに、かおりさんが比べるとするならそれも〝風宮季巳〟じゃなくて、〝神坂季巳〟であるはずです。俺も父さんも、〝風宮季巳〟なんて女優のことは、どうでも良いんですから」


 

 思わずかおりは目を見開いた。純がかつて見ていたのは、かおりが敵うはずも無いと思っていた風宮季巳ではなく、彼と結婚した神坂季巳というただの一人の女性にすぎないのだということを、ようやく理解できたから。


 透巳や純は、テレビや舞台などで活躍する風宮季巳のことなどよく知らない。もちろん風宮季巳の作品はすべて見ているのだが、それは他のファンや一般人と何ら変わらない。

 寧ろ透巳たちは、他の人々が絶対に見ることの無い神坂季巳という女性のことしか知らないのだから。



「それに、多分性格は母さんの方が悪いですよ」

「えっ?」



 透巳の思いがけない発言に、かおりは思わず驚きの声を上げた。少なくともかおりの知る〝風宮季巳〟はとても透巳の言う様な雰囲気を感じられなかったからだ。そして同時に、先の透巳の発言の意味の根幹をかおりは理解できた。



「かおりさん母さんのこと全く知らない癖に比べて、馬鹿なんですか?…………あぁ、そうか。こういうのが嫌われる理由か」

「……」


 

 一人で勝手に納得している透巳に、最早かおりが何か文句を言うことは無かった。



「アンタの言う様に、私はアンタが嫌いよ。でも、自分の息子を嫌う女なんか、純さんだって流石に嫌だって思うでしょう?」

「それはないと思いますよ」

「え……?」

「そもそも俺を嫌うって、割と正常な反応なんですよね。俺わりとクズめの人間なので、嫌悪感を抱くのは正しいかと。そもそも周りが順応しすぎなんですよ。はっきり言って、かおりさんって俺の知る中で一番真面な人ですよ。だって嫌いな相手じゃなければ、普通に優しく接してるじゃないですか。嫌いな相手にまで気を遣う必要なんてないですよ。俺のこと嫌いなら適当に相手しとけばいいんです。かおりさんは、何も間違ってませんよ。父さんだってそれぐらい、ちゃんと分かってます」



 良い意味でも、悪い意味でもかおりは素直だ。嫌いな相手以外になら好意的に接することが出来るが、嫌いな相手に対してはきつく当たってしまう。だがそれは透巳にとっては当たり前で、普通で、とても貴重なものだ。


 嫌いという感情は本人の意思で操作できるものではない。だからこそ、その感情を無理に押し殺す必要はない。例えその対象が自身に向けられていたとしても、透巳はかおりにそんな無理を強いたいとは思っていないのだ。



「最後に一つ。一番大事なことを伝えますね」

「……なによ?」



 かおりは先刻まで自身が散々悩んできたことを透巳に次々と壊されたことで自棄になっているのか、力のない声で尋ねた。



「父さんは、かおりさんの良いところもダメなところも、全部ひっくるめて好きになったから、結婚したんですよ。自分に自信がないからって、父さんに嫌われてしまうかもしれないだなんて思わないでください。俺の父さんを馬鹿にしないでください。父さんは、あなたが好きになった男はその程度の人間じゃないでしょう?もっと自分が好きになった人を、自分の想いを信じてください」

「……」



 自分を貶めることが、同時に愛する純を貶めているのだと、かおりはようやく気付くことが出来た。本当は最初から分かっていたのだ。純がそんなことで自分を嫌うような人間ではないことなど。それでも、今まで抱えてきた小さな不安を今日四葉によって揺さぶられたことで、かおりは真面な判断が出来ていなかった。


 その全てを、目の前にいる大嫌いな相手に気づかされたことに、かおりは様々な感情を揺らして目を見開いた。



「何で、アンタ……私なんかのこと、気にかけるのよ。……私、アンタのこと嫌いで、酷いことばかりしてきたのに」



 透巳が自身を探しにここまで足を運んできた時からかおりが抱いていた疑問。もしかするとそれよりももっと前から抱いていた疑問だった。


 透巳はこれまで、いくらかおりに罵られても、酷い態度をとられても怒らなかった。怒らないどころか、いつも楽しそうにかおりに話しかけていた。自分を嫌っている相手に、どうしてそこまで優しくできるのかかおりには全く理解できなかったのだ。


 そんなかおりの素朴で、でも難解な疑問を嘲笑うかのように、透巳は不敵に微笑んだ。



「かおりさんは知らないでしょうけど。俺、あなたのことが結構好きなんですよ」

「……はっ?」



 酷く単純明快で、かおりにとっては思いがけない理由だった。そのせいでかおりは茫然自失としたまま、ベンチから立ち上がる透巳を目で追うことしか出来ない。


 そんなかおりの表情が面白かったのか、透巳は心底楽し気な笑い声をあげると、



「それじゃ。父さんを早く安心させたいので、さっさと帰りましょうか。かおりさん」



 そう言って、かおりをマンションまで送り届けるのだった。




 次は明後日更新予定です。


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