学園改革のメソッド11
透巳たちがA組の教室に到着する五分ほど前。百弥はA組の教室を訪れていて、その様子を薔弥は影から窺っていた。百弥がA組の生徒ではないことを薔弥は当然知っていたので、A組に何の用があるのかと多少の興味を抱いたのだ。
「なぁ。大前と遠藤と鵜飼ってどいつだ?」
百弥はその時教室を出ようとしていた女子生徒に三人のことを尋ねた。百弥は会ったことの無い三人の顔を知らなかったのだ。女子生徒は三人が談笑している真ん中の席を指差すと、廊下へと足を踏み入れる。
女子生徒と交代するように教室へ遠慮なく入った百弥は、何の迷いもなく大前たちの元へ向かった。凍てつくような目で大前たちを見下ろす百弥の存在に気づいた彼らは怪訝そうな視線で返す。
「誰だ?お前」
「お前らがいじめっ子か?」
「「は?」」
唐突に百弥からそんな質問をされたせいで、三人は声を揃えて返してしまった。だが心当たりは当然あったので、彼らは警戒心を露わにしながら百弥を無遠慮に観察する。
「だったら何だって言うんだよ」
「そうか。間違いじゃなくてホッとしたぜ」
警戒しつつも、強気な姿勢で返した大前。彼がこんな態度で対応することが出来るのも、この学園の狂った制度が要因である。そもそも担任である藤村も苛めを知っていた上で黙認していたので、バレたところで何のダメージもないことを大前たちは理解しているのだ。
だがそんな大前に対しての百弥の返答はどこか不自然で、会話が成立していない様な不快感に三人は襲われる。
「それなら心置きなく、ぶっ殺せるぜ」
「は……?」
大前が思わず呆けた声を出した時には既に、百弥は大前の隣にいた遠藤に的を絞って襲い掛かっていた。遠藤の左頬に向かって殴りかかった百弥の相好は狂気に滲んだ笑みに包まれていて、クラス中の生徒が恐怖で息を呑む。
「ぐぁっ!!」
「まずひとーり」
近くの机に向かって倒れ込んだ遠藤は、身体に走る痛みで苦悶の声を上げた。机が派手に倒れたことによる轟音で、女子生徒の叫び声も響き渡る。
一方そんなことお構いなしで舌なめずりをしている百弥は、次の標的を鵜飼に決めたようで血走った様な目を彼に向けた。
「ひっ……」
百弥と目を合わせた鵜飼は本能的に理解してしまった。目の前の男が本気で自分たちのことを殺そうとしていることに。そのことに気づいてしまえば、鵜飼の足が竦み、引き攣った様な声を漏らすのに時間を要することなど無い。
百弥は素早く鵜飼の元に向かうと彼の頭を片手で掴み、そのまま勢いよく床に叩きつけた。その衝撃で白目を剥いた鵜飼は頭から血を流してしまう。
一瞬にして二人を伸してしまった百弥に、大前は鬼胎を抱いたようで顔を歪ませる。最後の標的となった大前に視線を向けた百弥。この時点で薔弥は透巳たちを呼びに行っていて、彼らがA組の教室に辿り着くまでそう時間はかからなかった。
********
「百弥くん……」
そして現在。透巳に名前を呼ばれた百弥はハッとして扉の方を振り向くと、先刻の氷河のような冷たい表情から一変、嬉々とした相好になる。その変貌が余計に不気味で、明日歌たちは言いようのない恐怖に襲われる。
「どうした?透巳」
「百弥くんこそどうしたの?何でそんなことしてるの?」
「ん?見て分からねぇのか?正義執行中だよ」
透巳の方に気を取られたことで大前の首を絞めていた百弥の手が緩んだ。その瞬間、大前は苦し気に激しく咳き込んだが、百弥も透巳もそんなことはお構いなしで話を進める。
「当然だろ?」とでも言いたげな百弥の表情は嘘偽りなく、彼が本気でそのつもりであることを物語っていた。
「コイツらいじめっ子なんだろ?この野郎も認めてたし。それにこいつら、透巳のことも苛めてたって聞いたぞ」
「……それはそうだけど。だからって、殺す気なの?」
大前たちがいじめっ子であることは事実だが、薔弥はどうやってその情報を百弥が手に入れたのかふと疑問に思う。薔弥は百弥にそんなことを教えていなかったからだ。
大前たちは弱い立場の生徒を苛めただけではなく、百弥の友人である透巳にも手を出した。それが百弥の怒りを増幅させていたのだ。
その怒りが百弥の殺意を生んだことは明らかだが、透巳は彼が本気で三人を殺す気なのではないかと危惧し尋ねた。普通に考えればそんなことはあり得ない。だが百弥の鋭い瞳孔にはそれぐらいの覇気があり、彼なら殺ってもおかしくないという確信めいたものが感じられたのだ。
「?そりゃそうだろ。正義の味方は悪を滅ぼすためにいるんだからよ」
「……噂には聞いてたけど、まさか本当だったとはね」
「噂?」
あっけらかんとした態度のまま百弥はそう答えた。そんな百弥を目の当たりにした明日歌はタラリと汗を一筋流すと、重々しい相好で呟いた。
「うん。百弥、初等部の頃から暴力沙汰が絶えなかったって。直接その現場を見たことが無かったから半信半疑だったけど、こういう類のものだったのね」
「…………」
恐らく百弥は初等部の頃から大前の様な人倫に背くような人間を標的にしてきたのだろう。それを正義の執行と称して。
透巳は明日歌から噂の話を聞いたことで、何故薔弥がこの状況でもニヤニヤとした相好を崩していないのか理解する。百弥の兄弟である薔弥なら当然彼のこれについて何度も経験があるので、慣れてしまったのだろう。
「ぐぁ……」
「うーん、意外としぶといな。コイツ終わったらそこで伸びてる二人も殺らなきゃいけねぇってのに」
「っ!ちょっと、青ノ……」
「百弥くん、待って」
話が途切れたことで、百弥は再度大前の首を絞め始めた。百弥の手首を掴みながら苦痛の声を出す大前に、百弥は困ったような相好を見せる。
このままでは本当に大前の命が危ないと感じ、明日歌は百弥を呼び止めようとするが、同じく止めようとした透巳によってその声は遮られる。
透巳は教室に入り、声をかけたと同時に百弥の腕を掴んで引き上げる。そのおかげで大前への拘束が緩み、彼はまたしても激しく咳き込んだ。
「なんだ?透巳」
「人殺しは犯罪だよ。正義の味方は人を殺したりしないんじゃないの?」
キョトンとしながら尋ねた百弥に、透巳は当たり前すぎる常識で説く。百弥の人生において正義というものがいかに重要であるかを理解したからこそ、透巳はそんな風に尋ねて説得を試みたのだ。
「は?そんなの当たり前じゃねぇか。人殺しちゃダメだろ」
増々キョトンとした相好であっさりと答えた百弥に、明日歌たちは思わず首を傾げる。透巳と百弥の間で会話が全く噛み合っていないことは明らかだった。その原因である百弥の物言いは矛盾が生じていると言わざるを得ないものだったが、透巳はしばらく思考すると何かに気づいたように顔を上げる。
「…………百弥くんには、それが人に見えないんだね」
「フィクションのヒーローだって、悪の怪人をぶっ殺すだろ?コイツらは悪だから、人じゃねぇ」
透巳が〝それ〟と称して指差したのは床で転がっている三人だ。人を殺してはいけないという正常な認識を持っているにも拘らず、百弥が大前たちを手に掛けようとしているという矛盾が矛盾ではないと仮定した時、透巳はその可能性に辿り着いたのだ。
だがこの異常な価値観は百弥にとっては正常なものなので、彼はそれをあえて指摘してくる透巳に首を傾げている。
「そっか。でも、百弥くんにとって人じゃなくても、法律はそれを人だと認識する。殺したら警察に捕まって、正義の執行も出来なくなっちゃうよ?」
「……それでも、いい。この悪を滅して捕まるんなら、悔いはねぇ。俺は警察に捕まることより、今この悪を見逃すことの方が、嫌なんだ!」
「「ひっ……」」
百弥は視線を透巳から大前に移すと、制服のポケットから取り出したカッターを彼の顔すれすれの位置に降り下ろした。カッターの刃は大前の左頬を掠り、生々しい鮮血をタラリと流す。自分の血の感触に鳥肌を立たせた大前は、恐怖で歯をガタガタと鳴らす。
そして同時に百弥の恐ろしく、そして大きな瞳に見下ろされた三人は思わず引き攣った様な声を漏らした。
一方の透巳は少々困ったように百弥を見つめている。これ程までに強い信念を持つ百弥を説得するのは至難の業だということに気づいてしまったからだ。
例えここで罪を犯し、自分の人生を棒に振ったとしても。これから正義の味方を名乗ることが出来なくなったとしても構わない。百弥はそれ程までの覚悟を胸にしていたのだ。
信念を胸に――悪く言えば頑固な百弥をどうやって説得したものかと透巳は僅かに思考する。一方、そんな透巳の様子を明日歌たちは固唾を飲んで見守っている。彼女たちも一体どうやって百弥を止めればいいのか頭を回しているのだ。
「……じゃあさ、俺がその三人殺してもいい?」
「……は?」
唐突にそんなことを言い出した透巳に、百弥は零れ落ちそうな程目を見開き、ポカンと口を開けて呆けた面を見せる。だがそれは明日歌たちも同様だ。百弥と明日歌たちの違いは、透巳の発言が百弥を説得するためのものであることを理解しているか否かだ。だがそれを理解している明日歌たちでも、何故透巳がそんなことを言い出したのかは理解出来ずにいる。
「何でお前が……?」
「だって、俺は百弥くんの友達なんだよ?友達が犯罪を犯して、刑務所に入るなんて俺には耐えられない。だから代わりに俺がコイツらを殺すよ。そもそもコイツらに苛められてたのは俺だし。正義執行と復讐を同時にできて一石二鳥だと思わない?」
「…………」
透巳の言っていることに矛盾は無いが、だからと言ってその結論に至るのは正常な思考であるは言い難いものだ。
透巳の言い分をじっくりと聞いた百弥は当惑した様子で透巳を見つめる。透巳の提案への返事をどうするか思考しているのだろう。
一方明日歌たちは心底不安そうな相好で二人の様子を窺っている。透巳の説得が通用し、百弥が大前たちを殺すことを諦めたとしても、結局は殺す人間が透巳に変わるだけで結局何の解決にもならない。だが透巳がそんなことを理解していないはずもないので、明日歌たちは彼の真の目的が分からず当惑しているのだ。
「ねぇ百弥くん。君が殺すか、俺が殺すか。君の信念に従って考えれば大した違いは無いはずだよ。だって、どっちが殺ったって悪は滅されるんだから。……ねぇ、君は正義の名のもとに悪が存在しない世界を作りたいの?それとも、君自身が悪を滅ぼしたいの?前者なら俺が殺しても問題ないはずだよね?」
悪を滅ぼしたいのか。百弥が悪を滅ぼしたいのか。それを問われた百弥は、虚を突かれたように瞬きする。
「もし後者なら、それはただの我が儘だよ。そんな利己的なものが、君の目指す正義の味方なの?」
それは今まで百弥が培ってきた理念の様なものを根底から崩す言葉だった。
百弥はこれまでの人生において、世の中に蔓延る悪を滅したいという思いで行動してきた。悪が滅びさえすれば、それだけでいい。そんな思想こそが自分の信念であると百弥は疑ったことが無かった。
だが今。透巳に提案されたことをすぐに受け入れられなかった自分こそが、百弥に疑念を抱かせる原因になってしまったのだ。
そして百弥は自身のことだというのに、透巳の質問に対する答えに詰まってしまった。
ガラガラガラと。百弥の中の何かがドミノのように崩れ去る音が、彼には聞こえるようだった。
「……透巳が言いたいことは分かる。でも俺はすっげぇ馬鹿だから、透巳の質問に今答えることができない…………俺がどうしたいのか、分からなくなった。……少し、考える」
「うん、分かった。……コイツらはどうする?とりあえず俺が殺そうか?」
「「えっ……」」
呆然としたままポツリポツリと透巳に今の思いを正直に伝えた百弥。人生で初めて自身の信念に疑問を抱えた百弥には、それ相応の考える時間がいるだろうと、透巳は彼の意見を尊重した。
百弥を説得するための殺し文句をまだ引きずっている透巳に、その場にいる全員が思わず驚きの声を漏らした。今まで飄々とした態度で高みの見物をしていた薔弥でさえも呆気にとられている程である。
「いや……俺の考えがまとまるまでは、とりあえず保留で、いいかな……?」
「そう?それならそれでいいんだけど。まぁ俺だって好き好んで前科持ちにはなりたくないし、そっちの方がありがたいんだけどね」
頻りに瞬きをしながら答えた百弥は困惑の色を滲ませている。一方透巳はあっさりとしていて、その態度は増々百弥たちを当惑させるものだった。
百弥は今まで見せたことの無い様な難しい相好で拳を握り締める。大前の必死の抵抗でつけられた甲の引っ掻き傷が痛々しく、まるで今の百弥の心情を物語っているようである。
「一件落着、かな」
どこか満足げな表情で呟いた透巳の声を皮切りに、この唐突に始まった事件は幕を閉じた。
そして百弥の兄である薔弥は、終始涼しい顔を崩すことの無かった透巳のことを心底興味深そうに観察するのだった。
次は明日更新予定です。
この作品を「面白い!」「続きが気になる!」と思ってくださった方は、評価、感想、ブックマーク登録をお願いします!
評価は下の星ボタンからできます。




