15.どうしようもない気持ち
どれくらいの時間、ここにいただろう?
誰の目からも逃れるように、私は廊下の隅で縮こまっていた。戻らなければと思っているのに、その場から動けない。
あの女性の言葉を否定したくてもできなかった。
姉様は、なにをやらせても私より優れていた。
だけど、唯一私の方が優れていたのは、霊術師の力だった。
努力ではどうにもならない差を姉様が気にしていたことは知っていたが、両親が姉様より私を跡継ぎにと考えたことはない。
ただ親戚達からそのような声があったのは事実だ。
だからこそ、大樹様が姉様の婚約者になった経緯があり、そのおかげで周囲の声がおさまった。
姉様が亡くなる前に二人の婚約が解消され、私と大樹様が婚約者になったのも、そんな親戚達の声のせいだった。
私は自分の身体を抱き締める。
姉様はいつも笑顔だった。私にも優しかった。だから、妹として犬塚家のためにずっと彼女を支えようと思っていた。
なにもかもうまくいって、みんなが幸せになるはずだったのに。
姉様、本当に私のことがずっと嫌いだった?つらい気持ちをあの女性にうちあけていたの?
さまざまな疑問が頭の中をグルグルと回る。
「天音!?」
名前を呼ばれ、駆け寄ってきた男性が私の肩に手を回した。
「大丈夫か?」
飢えた獣のような瞳を持っていた彼は、今は心配そうに私を見つめている。
「気分でも悪いのか?医務室に……」
「……平気です」
「平気なわけあるか!顔が真っ青だぞ!!」
赤津様の怒鳴り声に、私の身体はビクッと震えた。
「あ……すまない」
素直に謝るなんて、らしくない。
「どうしてここに…….?」
彼は沙英様と一緒にいたはずだ。
「あんたがなかなか戻ってこないって、婚約者殿がさがしてたぞ。涼太がこの辺りで見かけたと言ってたから」
そう、大樹様が探していたのね。それはそうよね。かなり長い時間戻らなかったはずだから。
「そうですか、ご迷惑をおかけしました。少し、気分が優れなくて……」
「やっぱり気分が悪いんじゃないか。医務室に行くぞ」
「本当に平気です。もう随分と楽になりしたから。
ですが、もう失礼しようと思います。
小柴様にもそのように伝えてもらえますか?」
「それは構わないが……」
「ありがとうございます」
あの女性ともう一度会うのは避けたい。もう、帰りたい。できれば誰にも会いたくない。
「天音!!」
大樹様の声が聞こえ、思わずそちらに視線を向けた瞬間、胸がズキズキと痛んだ。
慌てた様子でこちらに向かってくる大樹様の隣に姉様がいる。
違う、彼女は姉様ではなく沙英様だ。姉様がここにいるはずがない。
「天音、大丈夫?」
赤津様の手から離れ、私は大樹様に肩を抱かれた。
「心配をおかけして申し訳ございません。少し気分が悪くなったので休んでいたのです。
すぐに戻ろうと思ったのですか……」
「いや、無事ならいいんだ。気分が優れないならちゃんと医者に診てもらおう」
心配そうに顔を覗き込んでくる大樹様に向かって、私は首を横に振る。
「大丈夫です。ですが、もう失礼しようと思っています」
「もちろんそうさせてもらおう。でも、どんなに平気だと思っても、なにかあるといけないから、病院には行こう」
ここまで言ってくれているのに拒否するのも悪い。
「……わかりました」
顔を上げると、大樹様の背後に立っていた沙英様と目が合った。彼女が私を睨んでいるように見えのは、一瞬の出来事で、その瞳はあの時の姉様を思い起こさせた。
無意識に大樹様の着物の裾をギュッと握り締める。
「天音?」
声を掛けられ、慌てて手を離す。
「申し訳ございません。大丈夫です」
なんとかそう答えると、大樹様がポンポンっと優しく肩を叩いてくれた。
「うん、なら早く帰ろう」
「……はい」
大人しくうなずくと、大樹様は赤津様に軽く頭を下げた。
「申し訳ないが、天音が体調不良なので先に帰らせてもらいます。赤津さん、彼女を見つけてくれてありがとうございました」
「いえ、ご無事でよかったです。顔色も悪いので、ゆっくり休ませてあげてください」
「ええ、もちろんです」
赤津様と沙英様に挨拶を済ませて、私達は会場を後にした。
車に戻った後、私は病院に連れて行かれた。
唯香にも顔色が悪いと指摘され、断ることも逃げることもできなかった。
どこか悪いわけもなく、医師からも少し疲れが出ただけだろうから問題ないと診断され家に戻ることになった。
顔色の悪い私を芳江さんはとても心配してくれた。
着替えせられた後、布団の中に放り込まれてしまう。
みなさん、結構強引なのよね。
「天音、ゆっくり休むんだよ」
布団に寝転んでいる私の横で、大樹様は心配そうにしている。動揺していたとはいえ、なんとも情けない。
「心配をおかけして申し訳ございません」
「謝る必要はないよ。誰だって調子が悪くなる時もあるんだから。最近、天音は仕事も増えて頑張っていたから疲れたんだろう」
優しく微笑んでくれる大樹様に、安堵した。
仮面を貼り付けたような笑顔には見えない。
「……驚き過ぎたのかも知れません」
「え?」
「沙英様が姉様にそっくりだったので」
彼女の話を全く出さないのも不自然な気がして、そう伝えた。それを聞いた大樹様は深く息を吐く。
「いくら似ていても、彼女は琴音じゃないよ」
「それはわかっています。でも……」
あなたが彼女に惹かれてしまうんじゃないかと、心配になっているなんて言えない。
迷っていると、大樹様の方が話しかけてきた。
「ぱっと見は驚くほど似ているけど、よく見れば違うし、それに性格も違うと思うよ」
見た目はともかく、性格?性格がわかるほど話していないはずじゃ……。
もしかして私がいない間に、彼女と話をした?
……ああ、駄目だ。今すごく嫉妬深くて、醜くなっている。冷静にならなくては。
「大樹様…….」
「ん?」
「私、姉様のことが大好きでした。
本当に優しくて誰からも好かれていて、努力家でなんでもできる自慢の姉でした。
だから、姉様がいないことが本当に淋しいです……」
「うん、分かってる」
大樹様は優しい手つきで、頭を撫でてくれた。
その感触がとても懐かしく、昔に戻ったような気持ちになる。
「子供の頃、姉様と大樹様と三人で過ごした時間は、とても懐かしくて、幸せでした」
「そうか……」
「だから、私は姉様に恥ずかしくないように生きていきたいです」
「うん」
彼の手がとても温かく心地よくて、スーッと意識が遠のいていく。
「大丈夫。天音は誰にも恥ずかしくないように生きているよ……」
優しい大樹様の声にホッとして、私は完全に意識を失った。




