第87話「触れかけた赤、退く決断」
マランの世界、毎日投稿中です。
当面、数話を連続投稿の予定です。
お楽しみいただけましたら幸いです。
板を懐から出し、カインが色の並びを確かめた。
赤、青、緑、黄、白、黒。
六つの四角は、今日もわずかに位置を変えている。
「今日は赤、あと一歩ってところだな」
「その『あと一歩』が、いつも長いでござるが」
ワングが板を覗き込みながら答えた。
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エアの門をくぐる直前、ワングがふと足を止めた。
「試したいことがある」
「跳躍門でござるな」
カインが察して頷く。
「以前踏み込んだ、宝箱のあった小部屋。あそこへ、直接跳べるか試してみたい」
ワングが目を閉じ、意識を集中させる。
淡い光が一度だけ瞬いたが、すぐに消えた。
「……繋がらぬ」
ワングが目を開け、静かに首を振った。
「行きは駄目、ってことか」
ダダが確かめる。
「入口へ戻るときは、確かに繋がった。だが、奥へ向かう先は、繋がる気配すらせぬ」
「エアの中身が、毎回変わるからじゃないか」
ノリアが呟いた。
「入口だけは、門そのものに紐づいた場所でござろう。だから『既知』として揺らがぬ。だが、奥は――潜るたびに、位置も形も作り替えられている。だから、覚えた場所であっても、次には別物になっている」
ワングが自分の考えを整理するように言葉を継いだ。
「つまり、行きは自分の足で稼ぐしかない。帰りだけは、保証されてる、ってことだな」
カインがまとめる。
「そう考えるのが、今のところ一番筋が通る」
ワングが頷いた。
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門をくぐり、六人は歩き出す。
これまで何度も繰り返してきた探索は、無駄にはなっていなかった。
ダダの胸当ては継ぎ足された金属板で厚みを増し、ネリスの爪には新しい装具が追加されている。
ミラの荷袋には、解毒薬と回復薬が以前より多く並んでいた。
「今日は、備えだけは十分だな」
ダダが自分の胸当てを軽く叩く。
「油断はせぬがな」
ワングが釘を刺す。
道中の魔物は、これまでの遭遇で培った連携により、大きな消耗もなく退けられていった。
木箱もいくつか見つかり、防具と薬がさらに積み上がっていく。
「今日は、いい流れかもしれない」
ミラが小さく笑った。
その言葉が、まだ早かったことを、誰も知らなかった。
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赤い四角の示す方角へ、板の丸い印がじりじりと近づいていく。
これまでで最も近い距離だった。
「今日こそ、届くかもしれぬ」
ワングの声に、わずかな高揚が滲む。
前方に、これまでにない広さの空間が開けた。
床には見覚えのない紋様が刻まれ、天井は高く、静けさが重く垂れ込めている。
「嫌な感じだな」
カインが低く呟いた。
その瞬間、空間の奥、四方の暗がりから、人型の影が二体、音もなく現れた。
背丈は人と変わらないが、両肩からそれぞれ二本ずつ、計四本の腕が伸びている。
四本の手には、それぞれ細身のサーベルが握られていた。
「初めて見る型でござるな」
ワングが刀を構えながら、油断なく距離を測る。
「四本とも、同じ得物か」
ダダが盾を構えた。
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先に動いたのは、影の一体だった。
一瞬で間合いを詰め、四本の刃が同時に、しかし別々の軌道でカインへ振るわれる。
「速い――!」
カインがとっさに剣で二本を弾き、残る二本を紙一重で躱す。
躱した先へ、もう一体が回り込んでいた。
「カイン、後ろ!」
ネリスの声に、カインが半身をひねって剣を差し込む。
刃は浅く敵の腕を掠めただけで、致命傷には程遠い。
「二体同時か、面倒だな」
ダダが盾を掲げ、一体の前に立ちはだかる。
四本の刃が、盾の縁と中央を交互に叩き、金属の悲鳴が連続して響いた。
「重い、それに、速い……!」
ダダが歯を食いしばる。
盾で受けきれなかった一撃が、ダダの籠手をわずかに裂いた。
「これは、長引かせたくない相手でござるな」
ワングが低く呟く。
影の一体が、四本の刃を扇状に広げ、円を描くようにダダとカインの間合いを同時に測ってきた。
「二人まとめて狙うつもりか」
カインが低く警戒する。
「来るぞ」
ダダが盾を引き寄せた。
四本の刃が、上・中・下・そして死角の四方から同時に打ち込まれる。
ダダが盾で二本を受け、カインが剣で一本を弾いたが、残る一本が二人の間をすり抜けて空を切った。
「かわしただけ、良しとするか」
カインが息を吐く。
「油断は、まだできぬでござる」
ワングが静かに告げた。
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「私が右、ワングは左!」
カインが叫び、剣を構え直す。
「承知」
ワングが短く応じ、刀を上段に構え直した。
もう一体の影が、ワングへ向けて四本の刃を放射状に振るう。
ワングは最小限の動きでそれを見切り、隙間を縫って斬り返した。
「この動き……ダダより手数は多いが、一撃は軽いでござるな」
ワングが冷静に分析する。
「なら、数を捌ければ勝てる、ってことか」
カインが応じたが、その声はどこか焦っていた。
ネリスが影の背後に回り込み、爪で腱を狙う。
一体の脚がわずかにふらついた。
「効いてる!」
ノリアの支援呪文が飛び、影の動きにわずかな鈍りが生まれる。
ミラの祈りが、ダダの盾に淡い加護を纏わせた。
しばらくは、拮抗が続いた。
ダダが盾で受け、ワングが隙間を突き、ネリスが側面を削る。
カインもまた、剣で刃を弾きながら、確実に浅い傷を積み重ねていった。
「このまま、押し切れるか……!」
カインの声に、初めて手応えらしきものが滲む。
だが、それは長くは続かなかった。
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だが、影たちは学習していた。
数合を経るごとに、四本の刃の使い方が変わっていく。
二本で牽制し、二本で本命を放つ。
パターンを読ませない動きに、ネリスが舌打ちする。
「読めない、こいつら」
「読む前に、崩す」
カインが前に出た。
真正面から一体に斬りかかり、四本の刃をすべて剣で受け止めようとする。
その判断が、隙になった。
四本のうち二本を受け止めた瞬間、残る二本が死角から滑り込んだ。
「カイン!」
ミラの悲鳴が響く。
一本の刃がカインの脇腹を深く裂き、もう一本が肩を貫いた。
「がっ……!」
カインが片膝をつく。
血の色が、あっという間に広がった。
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「カイン、下がって!」
ダダが盾で影の前に割り込み、無理やり間合いを断ち切る。
ワングが即座に加勢し、刀で牽制しながらカインの傍らへ滑り込んだ。
「浄光じゃ足りない……癒しの波を――!」
ミラが声を震わせながら詠唱する。
淡い光が傷口を包み、出血の勢いだけは何とか収まった。
だが、傷そのものは深く、カインの顔は青ざめたままだった。
「動けるか」
ワングが低く聞く。
「動く。動かなきゃ、まずいのは分かってる」
カインが歯を食いしばりながら答えた。
「無理はさせない。ここは、退く」
ノリアが即座に判断を下す。
「賛成」
ネリスが短く同意した。
「私も、賛成でござる。今日の相手は、まだ見極めきれておらぬ」
ワングが刀を構え直しながら告げた。
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影たちは、獲物を逃がすまいとするように追ってきた。
「来るぞ、絶対に振り向くな!」
ダダが最後尾で盾を構え、追いすがる刃を一本ずつ弾いていく。
「ワング、時間を稼いでくれ!」
「承知」
ワングが振り返りざま一閃し、影の一体の腕を一本、斬り落とした。
悲鳴とも取れぬ音を立てて、影がわずかに怯む。
その隙に、ネリスが退路を確認しながら一行を先導した。
ミラはカインの体を支えながら、途切れず回復の光を送り続ける。
「もう少し……!」
ノリアの声に押されるように、六人は駆けた。
十分な距離を取ったところで、ワングが足を止め、目を閉じて意識を集中させた。
「跳躍門」
淡い光が六人を包む。
次の瞬間、篝火の匂いと、見慣れた石段が広がっていた。
「戻れた……」
ミラが安堵の息を漏らす。
カインはその場に座り込み、荒い息を吐いていた。
「悪い、油断した」
「油断じゃない。あれは、今までとは格が違う」
ダダが首を振る。
「四本の腕、二体がかり。あの動きに、今日はまだ対応しきれぬ」
ワングが静かに言った。
「今日のところは、生きて戻れただけで十分だ」
ノリアが皆の顔を見回す。
「赤には、届かなかったけどな」
カインが痛みに顔をしかめながら、それでも小さく笑った。
「次までに、考えることは山ほどある」
ワングが刀を鞘に納めながら、静かに頷いた。
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カインはそのままリカバリーへ運ばれた。
エルフの治癒魔法とヒューマンの医術が組み合わさった治療を受け、傷の縫合と浄化が終わる頃には、顔色もいくらか戻っていた。
「深い傷でしたね。もう少し遅ければ、危なかったかもしれません」
治療にあたった術者が淡々と告げる。
「悪いことしたな、心配かけて」
カインがベッドの上で苦笑する。
「無事なら、それでいい。俺の盾が、もっと粘れてりゃな」
ダダが腕を組んで壁にもたれた。
「あの四本腕、アーカイブに記録はあるのか」
ノリアが誰にともなく呟く。
「明日、確かめに行こう。名前も分からない相手じゃ、対策の立てようもない」
ミラが荷袋を整理しながら言った。
「拙者からも、ひとつ提案がある」
ワングが皆を見回す。
「次にあの空間へ向かうときは、二人一組で相手を分断する動き方を、あらかじめ決めておくべきでござろう。今日のように、成り行きで対処するのは、もう避けたい」
「賛成だ」
カインが即座に頷いた。
窓の外はもう暗く、リカバリーの灯りだけが、六人の顔をやわらかく照らしていた。
赤い四角までは、まだ遠い。
だが、退くという選択もまた、進むための一歩なのだと、誰もが胸のうちで静かに頷いていた。
いかがでしょうか?
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