第78話「割に合わない椅子」ルーシェナの話
マランの世界、毎日投稿中です。
ガラントに続いて、ルーシェナのお話です。
お楽しみいただけましたら幸いです。
執務室の灯りを一つ残して、あたしは、椅子に深く、身を沈めた。
書類の山は、今夜も、減るどころか、増えている。
判子の朱肉が、もう、乾きかけていた。
窓の外は、とうに、暗い。
クロスロードの喧騒も、この時間には、すっかり、静まり返っている。
聞こえるのは、遠くの厨房から漏れる、かすかな水音だけだ。
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まったく、割に合わない仕事だ。
ギルド長。
聞こえは、いいのかもしれない。
だが、実態は、ただの、書類仕事の元締めに過ぎない。
討伐依頼の采配、氾濫の兆候の監視、各種族の代表への根回し、揉め事の仲裁。
華やかな二つ名の裏側は、地味な調整仕事の、積み重ねでしかない。
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こんな椅子、あたしは、望んで座ったわけじゃない。
そもそもの話をすれば、押し付けられたんだ。
エカチェリーナに。
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あの女、涼しい顔をして、ある日、あたしにこう言った。
「あんたが、適任だよ」
たった、それだけ。
理由らしい理由も、告げずに。
気づけば、書類の山と、この椅子が、あたしのものになっていた。
冗談じゃない、と、思わなくもない。
だが、今更、椅子を、他の誰かに押し付け返す気にもなれないのが、また、業腹なところだ。
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思えば、あの女とは、随分と長い付き合いになる。
出会いがどこだったか、正確には、もう、思い出せない。
多分、10層のあの部屋だったか…
気づいた時には、隣に、いた。
そういう類の縁だ。
エカチェリーナが、あたしより、どれだけ長く、あの深さに関わってきたのか。
あたしは、正確なところを、知らない。
聞いても、答えは、返ってこないだろう。
「昔のことさ」と、いつも、それで、話は終わる。
だが、昔、あの女が私の目の前に、突如、現れたとき、
一言目が、「ギルド長は、あんたに」だったことを、あたしは、忘れていない。
順序が、逆だろう、と、随分、抗議した記憶がある。
自分の役目を、押し付けておいて、自分は、悠々と、一つの部屋に、居着く。
そんな、都合のいい話が、あるものか。
そう言ったあたしに、あの女は、ただ、微笑んだだけだった。
その微笑みの意味を、あたしは、今も、正確には、測りかねている。
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なぜ、あの女が、自分では座らず、あたしに寄越したのか。
その理由を、あたしは、今も、正確には、知らない。
聞いたところで、はぐらかされるのが、目に見えている。
あの女は、昔から、そういう性分だ。
肝心なことほど、笑って、流す。
十層の、あの部屋の奥に、今も座り続けていることも、あたしにとっては、半分は納得で、半分は、今も、腑に落ちない。
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引退した理由を、あたしは、語る気はない。
問われれば、笑って、誤魔化す。
エカチェリーナと、似たようなやり口だと、自分でも思う。
長く連れ添えば、似てくるものなのかもしれない。
似たくもない部分まで、似てしまうのが、腹立たしいところではあるが。
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ギルド長という職には、愚痴の種が、尽きない。
書類、根回し、各種族の顔色伺い。
数え上げれば、きりがない。
朝から晩まで、誰かが、何かの許可を求めてくる。
フラッドガードの緊急依頼の采配一つにも、種族間の均衡というものが、絡んでくる。
ドワーフの代表を立てれば、エルフの代表が、渋い顔をする。
エルフを立てれば、獣人族の代表が、じろりと、こちらを見る。
誰も彼もを、平等に、満足させることなど、できはしない。
それでも、できる限り、公平であろうとする。
そういう、報われにくい綱渡りの毎日だ。
だが、正直に言えば、割に合わないと思う仕事の中に、たった一つだけ、割に合う、と思える瞬間がある。
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あの、六人だ。
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初めてこの街に登録に来た日のことを、あたしは、よく覚えている。
まだ、四人だった頃だ。
「あの4人が、カレント様の?」
思わず、そう呟いたのを、誰にも聞かれていないと、あたしは、今でも思っている。
まだ二人足りない、と、あの時は、確かに、そう思っていた。
今、六人が揃ったことを、あたしは、随分と、感慨深く見ている。
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なぜ、あの一行にだけ、こんな目を向けてしまうのか。
自分でも、うまく、説明がつかない。
強いて言うなら、カレント様が、あの六人に何かを、期待しているように、見えてしまうからだ。
大きすぎて、近すぎるものは、見えない。
そういう存在だと、あたしたちは、そう聞かされて育つ。
個人の事情になど、原理的に手を出せない、とも。
だが、それでも、あの六人の足取りには、何か、大きな流れに、寄り添われているような、そんな気配を感じてしまう。
気のせいだと、笑い飛ばせれば、楽なのだが。
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カレント様は、彼らに、何を期待しているのか。
何を、させたいのか。
そう考え出すと、夜更けのこの椅子の上で、あたしは、随分と長く、考え込んでしまう。
答えなど、出はしない。
出ないことは、わかっている。
それでも、考えずには、いられない。
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十層の、あの部屋を『生きて』越えた者は、今まで、二パーティしかいない。
資質があると、あの女が認めればその場で生き返らせて、証を渡すのが通例だ。
ただ、何物にも例外はあるのだ。
一人だけになりながらも、終焉を六度、撃ち返した女がいたことを、あたしは、他の誰よりも、よく知っている。
だからこそ、あの六人が、生きて帰ってきたことに、あたしは、静かに、胸を撫で下ろした。
そして、次に、彼らが、あの部屋を、話し合いで越えたと聞いた時には、思わず、独り笑いが漏れた。
殺し合うのではなく、対話を選んだ。
エカチェリーナが、その選択を、面白がっている姿が、目に浮かぶようだった。
あの女のことだ。
きっと、あの六人の反応を、一つ一つ、楽しみながら、見ていたに、違いない。
昔から、そういう、意地の悪い趣味がある女だった。
だが、その意地の悪さの奥に、案外、細やかな見極めがあることも、あたしは、知っている。
見どころのない者に、あの女は、決して、時間を割かない。
六弁の証を、あの六人に、渡したという一事だけでも、あの女なりの、評価の表れなのだろう。
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エアの入場証を、あの六人が、手にしたと聞いた夜。
あたしは、この執務室で、一人、盃を、傾けた。
祝杯、というより、期待の、前祝いに近かった。
エアは、ノアとは、まるで、勝手が違う場所だ。
あたし自身も、あの深さを、かつて、この足で踏んだ。
ガラントと、同じ隊列で。
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あの男も、変わらず、酒場の親父を、やっている。
引退の理由を、互いに、詮索したことは、一度もない。
聞かずとも、なんとなく、通じるものがある。
同じ深さを、見た仲、というのは、そういうものだ。
たまに、あの店の隅で、一人、盃を傾けている夜がある。
そんな時のガラントは、店主の顔ではなく、あたしがかつて隣で背中を預けた、あの頃の男の顔を、少しだけ、覗かせる。
言葉を交わさずとも、何を思い出しているのか、あたしには、大抵、見当がつく。
あいつも、きっと、あの六人に、あたしと似た、何かを、重ねているのだろう。
あの店のカウンター越しに、六人を見守る目を、あたしは、何度も、見てきた。
言葉にせずとも、伝わってくるものが、ある。
未練を抱えた者同士、目配せ一つで、通じてしまうのだから、困ったものだ。
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さて。
あの六人が、エアで、何を見るのか。
どこまで、進めるのか。
カレント様が、彼らに、何を望んでいるのか。
その答えの、少なくとも一端くらいは、あたしの目の黒いうちに、見届けたいものだ。
エアの深さは、ノアの比ではない。
灯りの届かぬ場所で、あの六人が、どんな顔を、見せるのか。
想像するだけで、この老いた胸の奥が、少しばかり、騒ぐ。
昔、あたし自身が味わった、あの緊張と、恍惚が入り混じった感覚を、あの六人にも、いずれ、味わってほしいと、密かに、思っている。
もっとも、それを口にすれば、ただの、押し付けがましいお節介になるのだろうから、あたしは、黙って、見守るだけにしておく。
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書類の山に、もう一度、目を落とす。
やはり、割に合わない仕事だと、あたしは、思う。
だが、こんな夜更けに、こうして、誰かの行く末を、独り、案じていられるのも。
それは、それで。
悪くない椅子なのかもしれない。
まったく、エカチェリーナには、感謝より先に、文句の方が、山ほどある。
今度会ったら、覚えていろ。
嫌というほど、浴びせかける文句の準備はできているのだから。
いかがでしょうか?
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