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『マラン、はじまりの迷宮』〜わからないことばかりの、迷宮攻略記〜  作者: 奇木 尋
閑話 その一

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第77話「注いだ分だけ、思い出す」ガラントの話

マランの世界、毎日投稿中です。

一部、ノア編が終了したので「閑話」的に。

まずは、ガラントの話。


お楽しみいただけましたら幸いです。

グラスを磨きながら、俺は、ふと、手を止めた。


カウンターの向こう、六人の席は、今日はまだ、空いている。


もう少ししたら、あいつらが来る頃合いだ。


そう思うと、自然と、口元が緩んでいるのに気づく。


店の中は、いつも通りの、賑わいだった。


エルフの酒精、獣人族の炙り肉、ドワーフの蒸留酒の匂い。


種族ごとに違う暮らしの断片が、この店では、当たり前のように、混ざり合っている。


その匂いの中に、俺は、随分と長く、身を置いてきた。


---


ノアを、クリアしたらしい。


昨夜、あいつらの手の甲に浮かんだ、あの六弁の花びらを見た瞬間、俺の中で何かが、静かに、音を立てた。


見覚えのある、光だった。


昔、この目で見たことのある光だった。


胸の奥に、長らく沈めていた古い水底が、ふいに、揺れた気がした。


---


俺は、ドラゴニートだ。


種族柄、体は頑丈にできている。


若い頃は、それを頼りに、随分と無茶をした。


剣を振るう腕には、それなりの自負があった。


いや、それなりどころじゃない。


当時のパーティでは、俺が前に出れば、たいていの敵は、退いた。


戦えば、負けを知らなかった。


そういう時期が、確かに、あった。


---


そのパーティで、エアに潜った。


ノアを抜けた先にある、あの深い場所だ。


同じ隊列に、一人のエルフがいた。


今のギルド長、ルーシェナだ。


あの女、当時から掴みどころがなくてな。


戦えば誰よりも頼りになるくせに、普段はへらへらしている。


今と、大して変わっていない。


変わらないというのは、ある意味、恐ろしいことでもある。


---


エアの空気は、ノアのそれとは、まるで質が違う。


灯りの届かない奥へ進むほど、足の裏から伝わる冷たさが、骨の髄まで届くようになる。


呼吸の音すら、通路に吸い込まれて、返ってこない。


そこを進む間、俺たちは、言葉を最小限に、削っていた。


無駄口を叩けるほどの、余裕がなかったからだ。


パーティは、俺を含めて、六人だった。


前衛は、俺ともう一人。


残りは、術者と、斥候と、後方支援が二人。


顔ぶれまでは、今夜は、思い出さなくてもいい。


ただ、あの隊列の呼吸だけは、今も、体のどこかに残っている。


先頭を、俺が切る。


背後を、ルーシェナが締める。


その並びだけで、随分と、遠くまで進めた。


---


ルーシェナだけが、そんな空気の中でも、涼しい顔をしていた。


その涼しさが、当時の俺には、ひどく頼もしくもあり、同時に、少しだけ、薄気味悪くもあった。


一度、あいつに聞いたことがある。


「怖くないのか」と。


「怖いさ」と、あの女は、笑って答えた。


「怖いから、笑ってるんだよ」


その答えの意味を、俺は、長らく、量りかねていた。


若い頃の俺には、強がりにしか、聞こえなかった。


今になって、少しだけ、わかる気がする。


笑うことでしか、抱えきれないものが、あるのだろう。


あいつも、俺も、当時、それぞれのやり方で、あの深さに、耐えていた。


耐え方が違うだけで、抱えていたものは、案外、似ていたのかもしれない。


---


あそこで、何を見たか。


語るには、いささか、酒の巡りが足りない。


今宵のような、穏やかな夜には、似合わぬ色をした記憶だ。


いずれ、盃を、もう一段深く傾ける夜が来たなら――その時にでも、しよう。


今は、それで、十分だ。


---


引退した理由も、まあ、いい。


聞かれたところで、笑って誤魔化すのが、俺のいつものやり方だ。


カインたちも、それ以上は突っ込んでこない。


わからないことは、わからないままにしておく。


この街じゃ、それが、案外、当たり前のことだったりする。


誰もが、多かれ少なかれ、語らない欠片を、懐に抱えて生きている。


俺のそれも、その一つに過ぎない。


---


あいつらとは、長い付き合いだ。


カインとダダが、まだ右も左もわからない顔で、この店の戸を叩いたのを、俺は覚えている。


あの頃から、危なっかしくて、目が離せなかった。


初めて四人でノアに向かうと聞いた夜、カインは、やけに気負った顔をしていた。


「気張らずに行きな」と、俺は、そう声をかけた。


「あそこはそんなに甘くもないけど、そんなに怖くもない」


含みのある言い方をした自覚は、ある。


あの頃の俺には、それしか、渡せるものがなかった。


代わりに、一杯だけ、こっそり多めに注いでやった。


そういう不器用な渡し方しか、俺には、できなかった。


---


一人、また一人と、仲間が増えていくのを、この席で、ずっと見てきた。


盾役が加わり、斥候が加わり、魔術師が加わり、僧侶が加わり、最後に、あの、右腕を失った侍が加わった。


侍が、初めてこの店に来た日のことも、よく覚えている。


隅の卓で、背筋を伸ばしたまま、水一杯で、ずっと待っていた男だ。


右手首から先を失い、それでも刀を捨てなかった。


ダダが、ふとした思いつきを口にした夜も、この店だった。


「片方、刀じゃなくていいんじゃないか」


あの一言から、何かが、動き出した。


俺は、カウンターの内側から、それを、黙って見ていただけだ。


だが、黙って見ていた分だけ、深く、刻まれているものがある。


六人になるまでの道のりを、俺は、ほとんど、この酒場の内側からしか、見ていない。


それでも、外から眺めるより、よほど、深く見えていたような気がする。


---


応援している。


はっきりそう言葉にしたことは、あいつらの前では、一度もないが。


奢りが増えるのも、注ぐ量がついつい多くなるのも、まあ、そういうことなんだろう。


自分でも、薄々、気づいてはいる。


あいつらに、昔の自分を、重ねているだけなのかもしれない。


潜れなかった場所、続けられなかった道。


その先を、あいつらに、代わりに見せてもらっている――そんな気分になる夜が、ある。


情けない話だ。


四十を過ぎた男が、若い連中の背中に、己の未練を、そっと乗せているのだから。


だが、それを、恥だとも、思わない。


未練は、注ぎ足す酒の中に、少しだけ、溶かしておけばいい。


それだけの話だ。


---


時折、思う。


もし、あの時、引退していなければ、今頃、俺はどこにいただろうか、と。


答えは、出ない。


出ないまま、この店で、他人の武勇伝を、肴に酒を注いでいる。


それが、悪い人生だとは、思わない。


ただ、時折、酔いの回った頭の隅を、古い記憶が、掠めるだけだ。


ルーシェナは、今でも、ギルド長として、あの受付の奥に座っている。


年齢不詳の、あの顔のまま。


戦い方を、何一つ、忘れていないだろうことも、俺には、わかる。


あいつと俺は、同じ深さを見た仲だ。


それだけで、言葉にせずとも、通じるものが、ある。


だからこそ、あいつが、あの六人を見る目に、俺と似た色が滲んでいることにも、気づいていた。


きっと、あいつも、あいつなりに、何かを、重ねているのだろう。


---


昨夜、六人の手に浮かんだ花びらを見て、俺は、思わず「六弁の花びら……」と、口に出していた。


聞かれて、はぐらかした。


「見えるさ」としか、答えなかった。


あの程度で、今の俺には、十分だ。


多くを語れば、あいつらの足取りが、鈍る気がした。


わからないまま、進んでいく強さというものが、確かに、ある。


俺は、それを、誰よりも、よく知っている。


---


さて。


そろそろ、あいつらが来る時間だ。


グラスを棚に戻し、代わりに、いつもの六人分の器を、並べておく。


エルフの果実酒、ドワーフの蒸留酒、獣人族の炙り肉。


種族ごとの故郷の味を、この店では、誰に遠慮するでもなく並べてきた。


今日ばかりは、少し、良い酒を出してやってもいい。


そんなことを思いながら、瓶の埃を、袖で拭う。


戸が開く音がしたら、いつもの調子で、迎えてやろう。


ノアを抜けた先には、エアが待っている。


あそこは、ノアとは、勝手がまるで違う場所だ。


だが、そいつを、今夜、教えてやる気は、ない。


自分の目で、確かめればいい。


わからないことにぶつかりながら、自分たちの足で、進んでいくのがいい。


それが、あの六人には、一番、似合っている。


---


あいつら、パーティ名もつけてないのか。


仕方ないやつらだ。


──さて、煽らないとな。


いかがでしょうか?


感想、フォロー 頂けましたら喜びます。


よろしくお願いいたします。

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