第229話「核の石、語られた名」
ラスト2話です。
ダダの工房に、朝から炉の火が入っていた。
作業台の上に、カインの剣が一振り置かれている。
刃こぼれは、五層の試練のあとにダダがすべて打ち直した。
今日の仕事は、刃ではなかった。
柄の端、柄頭だった。
「これだ」
カインが、懐から小さな石を取り出した。
掌に乗るほどの、丸くなめらかな石。
ほんのりと温かい。
ゴーレムの、核の石だった。
ダダは、それを受け取った。
太い指で転がし、炉の明かりにかざす。
石の奥で、何かが微かに脈打っているように見えた。
「……生きてるみたいだな」
「休んでるだけだと思う」
カインが言った。
「たぶん」
ダダは、何も言わずに頷いた。
柄頭の金具を外し、石の大きさに合わせて座を削り始める。
鏨の音が、工房に小さく響いた。
六人は、作業台を囲んで、黙ってそれを見ていた。
「最初に呼んだときのこと、覚えてる」
カインが、ぽつりと言った。
「何を呼んだのかもわからないまま印を組んだら、岩が立ち上がってさ。何も言わないで、俺の前に立った」
「それからずっと、前に立ってたね」
ミラが言った。
「ずっとな」
カインは、作業台の上の剣を見下ろした。
「これからも、前にいてもらう。剣の一番先じゃなくて、一番手前だけど」
ダダが、座を削り終えた。
核の石を、柄頭にそっと嵌め込む。
ぴたりと収まった。
まるで、最初からそこにあるために削られた石のようだった。
ダダは、金具を締め直し、柄頭を布で拭った。
「持ってみろ」
カインは、剣を手に取った。
柄を握った瞬間、手のひらにじんわりと温かさが伝わってきた。
重さは、ほとんど変わらない。
それでも、握りが少しだけ落ち着いた気がした。
「……前に、立ってるな」
カインは、柄頭の石を親指で撫でた。
ダダは、それを見て、ふんと鼻を鳴らした。
鳴らしたが、口元は緩んでいた。
「ララの分は、どうするの」
ノリアが、カインの手のひらの紋様を見た。
「石も、何も残らなかったでしょ」
「残ってるさ」
カインは、ノリアを見た。
「お前の火の中に。型、ちょっと変わっただろ」
ノリアは、自分の手のひらを見下ろした。
それから、小さく頷いた。
「……うん。変わった」
「なあ」
ダダが、鏨を片づけながら言った。
「グンナルは、どんな顔をしてた」
六人は、顔を見合わせた。
「ずんぐりしてて、髭を編み込んでた」
ネリスが、指で自分の顎をなぞってみせた。
「頬が、炉の火で焼けたみたいに赤かった」
ノリアが付け足す。
「盾の構えが、低かった。全部受け止める構えだった」
スルが言った。
「ダダに、似てた」
ミラが、少しだけ笑った。
「黙ってるときの顔が、特に」
ダダは、何も言い返さなかった。
言い返さずに、自分の顎の髭を指でつまんだ。
「それと、もう一つ」
スルが、一歩前に出た。
「伝言がある」
ダダが、顔を上げた。
「グンナルからだ」
工房の中が、しんと静まった。
スルは、言葉を選ぶように、少し間を置いた。
「還る前に、器の前に膝をついた。刻まれた名を、一つずつ見ていた」
スルは、自分の指を持ち上げた。
「一番最初の名に、指を置いた。ダダ、の名に」
ダダは、動かなかった。
「その名を、一文字ずつなぞっていた。ゆっくり。確かめるみたいに」
スルは、指で宙に小さく線を引いてみせた。
「それから、最後の自分の名にも、指を置いた。何も言わなかった。立ち上がったとき、目が赤かった」
ダダの肩が、わずかに揺れた。
「それで、俺に言った」
スルは、まっすぐにダダを見た。
「いい器だった、と。ダダに伝えてくれ、と」
ダダは、長いあいだ何も言わなかった。
炉の火が、ぱちりと爆ぜた。
ダダは、自分の両手を見下ろした。
芯を打った手。
名を刻んだ手。
その手のひらを、ゆっくりと握りしめた。
「……そうか」
ダダの声が、少しだけかすれていた。
「いい器、か」
「芯の打ち方も、いい仕事だったって」
カインが、前に聞いたほうの伝言を付け足した。
「二つとも、褒められてるぞ」
ダダは、答えなかった。
代わりに、背を向けて炉の火を覗き込んだ。
その背中が、少しだけ丸くなっていた。
その日の午後、ダダは器の代わりに、古い小刀を一振り布に包んで、フォージタウンの坂を下った。
刃の縁に点の並んだ、三筋の炎の印の小刀。
父の工房の道具箱から、あのとき借りたままになっていたものだった。
通りの突き当たりの工房で、父はいつものように炉の前にいた。
「親父」
呼ぶと、槌の音が止まった。
父は振り返り、ダダの顔を見て、それから布の包みに目をやった。
「返しに来た」
ダダは、小刀を作業台に置いた。
「それと、話がある」
父は、黙って炉の脇の腰掛けに座った。
ダダも、その向かいに腰を下ろした。
どこから話せばいいのか、わからなかった。
ズールのことは、話そうとしても言葉にならない。
それでも、話せることはあった。
「グンナル伯父さんに、会ってきた」
正確には、ダダは会っていない。
会ったのは、六人だった。
それでも、ダダはそう言った。
器を通して、確かに会ったのだと思った。
父の目が、大きく見開かれた。
「……会った、とは」
「詳しくは、言えない。言おうとしても、言葉が出てこない」
ダダは、自分の手を見下ろした。
「ただ、伯父さんは、ずっと仲間と一緒だった。一人じゃなかった。最後は、仲間と一緒に、還っていった」
父は、何も言わなかった。
「俺の打った器の、名前をなぞって還ったそうだ。いい器だった、って伝言をもらった」
ダダは、顔を上げた。
「うちの印を、見つけてくれてた。二筋の炎の印を、自分の知らない形なのに、うちの印だってわかってくれてた」
父は、長いあいだ黙っていた。
それから、作業台の上の小刀に手を伸ばした。
三筋の炎の印を、太い指でなぞる。
「兄貴の盾は、誰より硬かった」
父が、ぽつりと言った。
「親父が、酔った晩に一度だけ言うた言葉だ」
父は、小刀を置いた。
それから、立ち上がって、工房の壁の棚に向かった。
一族の歴代の印が、小さな鉄の札に打たれて並んでいる棚だった。
祖父の印、曾祖父の印、その前の印。
一枚分だけ、空いている場所があった。
ダダは、子どもの頃からその隙間を見ていた。
何も聞かなかった。
聞いてはいけない気がしていた。
父は、道具箱の底から、古い鉄の札を一枚取り出した。
三筋の炎の印が、打たれていた。
父は、その札を、空いていた場所にそっと掛けた。
「今夜、母さんと、お前の兄弟たちにも話す」
父は、棚を見上げたまま言った。
「この家には、グンナルという長兄がおった。腕は一族で一番で、仲間の得物を全部自分で打って、仲間と一緒に潜った。そういう人がおった、と」
ダダは、何も言えなかった。
「八十年、半分なかったことにしとった名前だ」
父の声が、少しだけ震えた。
「もう、そうせんでいい」
その夜、ダダは久しぶりに実家の卓で夕飯を食べた。
母と、二人の弟と、父。
父は、食事の終わりに箸を置き、グンナルの話をした。
一族の長兄のこと。
仲間の得物を全部自分で打って、仲間と一緒に潜ったこと。
八十年、帰らなかったこと。
そして、最後は仲間と一緒に還っていったこと。
話が終わっても、しばらく誰も口をきかなかった。
「……じゃあ、兄貴は」
下の弟が、ダダを見た。
「その人の真似を、してたってこと?」
「真似じゃない」
ダダは、首を振った。
「たまたま、同じ道を選んだだけだ」
言いながら、たまたまではなかったのかもしれない、と思った。
棚の三筋の炎の札が、炉の明かりを受けて鈍く光っていた。
夕方、ダダはブロムの工房に寄った。
事の次第を話すと、ブロムは鞴に腰かけたまま、長いあいだ黙って聞いていた。
「そうか。棚に、札が戻ったか」
ブロムは、窓の外の夕焼けに目をやった。
「親方も、ようやく家に帰れたな」
それから、炉の火を見つめた。
「戦う剣を打つな」
ブロムが、ぽつりと言った。
「六人を、戦わせ続けるための剣を打て」
ダダは、黙って頷いた。
「わしが八十年借りとった言葉だ。もう、持ち主の家に返した」
ブロムは、ダダを見た。
「これからは、お前さんの口癖にしろ。お前さんの家の、口癖に」
ダダは、自分の両手を見下ろした。
それから、しっかりと頷いた。
いよいよ残り最終話のみとなりました。
よろしくお願いいたします。




