第215話「足りない魔石、持ち寄る手」
ギルド長の執務室の机に、銀の器が置かれていた。
窓から差す午後の光を受けて、鈍く光っている。
ダダが、器を布ごと少しだけ前に押し出した。
「これが、その器だ」
ルーシェナは、腕を組んだまま器を見下ろしていた。
六人とダダが、机を囲むように立っている。
ここでなら、話せる。
話せる相手は、ギルド長とダダだけ。
エランドはそう言っていた。
カインが、順を追って話した。
器が向こうの職人の手で直されて戻ってきたこと。
その職人が、ダダの大伯父のグンナルだったらしいこと。
ブロムが小僧の頃に見たという、楔の器の図。
ダダが芯を打ち込んだこと。
そして、器を満たすのに必要な魔石の量。
途中で、言葉がつかえることは一度もなかった。
ルーシェナは、最後まで口を挟まずに聞いていた。
「エクスチェンジの蔵を、一つ空にしても足りるかどうか」
話し終えたダダが、低く付け足した。
「ブロムの見積もりだ。外れてはいないと思う」
ルーシェナは、器の縁にそっと指を置いた。
しばらく、そのまま動かなかった。
「何を塞ぐ器なのかは、わからないのね」
「わからない」
カインは、正直に答えた。
「でも、ズールの奥に何かがあるなら、これが要る気がする。気がする、だけなんですけど」
「気がする、で十分よ」
ルーシェナは顔を上げた。
いつもの、ノリの良い姉ちゃんの顔ではなかった。
静かで、底の見えない目をしていた。
「リゼットを呼んで」
戸口に控えていた職員が、慌てて走っていく。
ルーシェナは机の引き出しから紙を三枚取り出し、立ったままペンを走らせ始めた。
「エクスチェンジの在庫。アイテムボックスの預かり分のうち、ギルドの名義になっているもの。それから、フラッドガードの備蓄」
「フラッドガードの、でござるか」
ワングが、思わず声を上げた。
「あれは、氾濫に備えた分では」
「そうよ」
ルーシェナは、ペンを止めずに答えた。
「でも、塞がなきゃいけないものが本当にあるなら、備えも何もないでしょう」
三枚の紙に、ルーシェナの署名が入った。
それから、ルーシェナはダダのほうを見た。
「あなたの大伯父さん、八十年も向こうで待っていたのかもしれないわね」
「……わからん」
ダダは、器から目を離さずに答えた。
「わからんが、器の継ぎ目は、いい仕事だ。親父もそう言った」
「なら、仕上げてあげなきゃね」
ルーシェナは、ほんの少しだけ目元を緩めた。
それだけで、ギルドの蔵が開く。
カインは、その紙の重さを思って、少しだけ背筋が寒くなった。
「理由は、書かないんですか」
ミラが聞いた。
「書けないのよ」
ルーシェナは、ペンを置いて肩をすくめた。
「書こうとすると、文字が並ばないの。ギルド長の判断、とだけ書いておいたわ。文句を言う人がいたら、私のところに来させなさい」
ほどなくして、リゼットが入ってきた。
三枚の紙を受け取り、上から下まで一度だけ目を通す。
眉ひとつ動かさなかった。
「かしこまりました」
リゼットは、紙を揃えながら言った。
「今日中に動かします」
「リゼット」
ルーシェナが呼び止めた。
「それでも、足りないの」
「冒険者の皆さんに、呼びかけますか」
リゼットは、すぐに察したらしかった。
「理由は」
「言えない」
「わかりました」
リゼットは、それ以上は聞かなかった。
「それは本人から聞いたほうがいいと思います、とは今回は言えませんね。本人も、言えないようなので」
リゼットは六人の顔を順に見て、ほんの少しだけ口の端を上げた。
「なんとかします」
その日の夕方、クロスロードの依頼掲示板のいちばん目立つ場所に、一枚の貼り紙が出た。
魔石の持ち寄りのお願い。
等級は問いません。
買い取りは、エクスチェンジの通常価格にて。
ギルド長の判断による。
理由の欄は、なかった。
カインたちは、窓口の脇からその貼り紙を眺めていた。
「理由なしで、集まるのかな」
ノリアが、不安そうに呟いた。
「わからない」
カインは首を振った。
「でも、リゼットさんが、なんとかするって言った」
最初に来たのは、五層前室を定位置にしているベテランのパーティだった。
獣人族の男が先頭に立ち、どさりと袋を窓口に置く。
六人がまだ五人だった頃、前室の篝火のそばで、型の話を聞かせてくれた男だ。
「前室で溜め込んでた分だ。持っていけ」
「買い取り価格は、こちらに」
リゼットが、淡々と記録紙を差し出した。
「いらん」
男は、紙を押し返した。
「理由も書いてない貼り紙に、ギルド長の名前だ。よっぽどのことだろう」
男は、窓口の脇のカインたちに気づいて、軽く顎をしゃくった。
「お前らが絡んでるのか」
カインは、答えようとした。
言葉は、やはり喉の奥で並ばなかった。
男は、それで何かを察したらしい。
「言えないなら、言わなくていい」
それから、肩をすくめた。
「どうせ、カレントのためだろう」
続いて来たのは、四層止まりだという中堅の三人組だった。
「理由は、って聞いても、どうせ教えてくれないんでしょう」
先頭の女が、リゼットに袋を渡しながら言った。
「教えられません」
「だろうと思った」
女は笑った。
「カレントのためでしょ。そういうことにしとく」
夜になっても、人は途切れなかった。
ヘクサインの小人族の主人は、宿の魔石灯から外した芯を、木箱いっぱいに抱えてきた。
「今夜は、客に蝋燭で我慢してもらう」
主人は、カインに向かって片目をつぶってみせた。
「文句を言うやつがいたら、カレントに言え、と言っておく」
エンポリアムの店主まで、棚の奥から売り物にならない欠けた魔石を一袋ぶら下げてやって来た。
「目利きの失敗作だ。こういうときくらい、役に立て」
店主は、袋を窓口に置くと、礼も聞かずに帰っていった。
ノアの浅瀬から戻ったばかりの新人が、小指の先ほどの魔石を一粒だけ握りしめて窓口に並んだ。
今日の稼ぎの全部だという。
「これ、役に立ちますか」
少年は、恥ずかしそうに聞いた。
「立ちます」
リゼットは、一粒の魔石を、大きな袋と同じ丁寧さで記録紙に書きつけた。
「なんのために集めてるんですか」
「それは、お答えできません」
少年は、少し考えてから頷いた。
「じゃあ、カレントのためですね」
誰が言い出したのかは、わからなかった。
それでも、窓口に来る誰もが、同じことを言った。
カレントのためだろう。
個人を見ることのできない、大きな流れ。
マランでは、説明のつかないことを、みんなそう呼んできた。
今夜は、その言葉が、理由のない貼り紙の代わりをしていた。
魔石は、クロスロードの奥の広間に運び込まれた。
ギルドの蔵から出てきた分と、冒険者たちが持ち寄った分が、床の上で一つの山になっていく。
袋から出された石が、灯りを受けて、色とりどりに光っていた。
「……こんなに」
ネリスが、山の前で耳を立てた。
「まだ、足りない」
ダダが、山を見上げて言った。
「でも、半分は、見えた」
その声が、わずかに震えていた。
ミラが、黙ってダダの背中に手を置いた。
カインは、山の裾に転がっていた小さな魔石を一粒拾い上げた。
たぶん、あの新人の少年が持ってきた一粒だ。
誰も、理由を知らない。
それでも、ここにある。
(俺たち、何も言えてないのにな)
礼の一つも、まともに伝えられていない。
それが、胸の奥に小さく引っかかっていた。
「全部終わったら、ちゃんと言えるといいな」
カインは、魔石を山の上にそっと戻した。
「言えるよ」
ネリスが、短く言った。
「言えるようにする。そのために、行くんでしょ」
広間の戸口に、白い衣の人影が現れた。
ノストス寺院で、死者を送る祈りを捧げている人だった。
年配の女性で、両手を胸の前で軽く組んでいる。
「ギルド長から、頼まれまして」
女性は、魔石の山の前に静かに膝をついた。
「迷宮から来たものを、祈りもなしに積んでおくのは、落ち着かないと」
六人とダダは、少し下がって場所を空けた。
女性は目を閉じ、低い声で祈りの言葉を唱え始めた。
遺体を迷宮へ送るときの、あの祈りだった。
いってらっしゃい。
またおかえり。
魔石の中には、誰かの祖先や友人が還っていった魔物から生まれたものもあるのかもしれない。
ノストス寺院の教えでは、そういうことになっている。
本当かどうかは、誰にもわからない。
祈りが終わると、女性は山に向かって深く頭を下げた。
それから、カインたちのほうを振り返った。
「何に使うのかは、聞きません」
穏やかな声だった。
「ただ、この子たちを、よろしくお願いします」
カインは、黙って頭を下げた。
隣で、六人とダダも同じように頭を下げていた。
魔石の山は、灯りの下で静かに光り続けていた。




