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『マラン、はじまりの迷宮』〜わからないことばかりの、迷宮攻略記〜  作者: 奇木 尋
第八部 ズール 影の導き

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第211話「映るのは役割、揃う足跡」

五度目の潜行で、盾の影が現れた。

白と黒の境目が細く揃った道の先に、大柄な影が一つ立っている。

獣人族の背丈に、広い肩。

左腕に、傷だらけの大盾。

「……兄さんだ」

ネリスが、小さく呟いた。

向こうのスルだった。

スルは、黙ってその姿を見つめていた。

自分と同じ顔が、自分と同じ盾を提げて、こちらを見ている。

(まあ、驚くよな)

カインは、横目でスルの様子をうかがった。

表情はほとんど動いていない。

ただ、盾の持ち手を握る指に、少しだけ力がこもっていた。

向こうのスルは、戦う気配を見せなかった。

くるりと背を向けると、道の奥へゆっくり歩き出す。

ついて来い、と言っているようだった。

「兄さんが、兄さんについて来いって言ってる」

ネリスが、どこか落ち着かない声で言った。

「ややこしいな」

スルが、ぼそりと返す。

「ややこしいのは、兄さんの顔のほう」

「俺の顔は、一つしかない」

いやいや、今は二つあるんだよな。

カインは、口に出さずにおいた。

「行こう。証は、まだゆっくりだ」

カインが言うと、五人が頷いた。

影の背中を追って、六人は進んだ。

しばらくして、カインは妙なことに気づいた。

影の歩いたあとに、足跡が残っている。

白と黒の境目に、薄い灰色の窪みが、一歩ごとに浮かんでは消えていくのだ。

「ネリス、あれ」

「見えてる」

ネリスが、しゃがみ込んで足跡に顔を寄せた。

「兄さん、ちょっと」

スルが、黙って前へ出る。

消えかけた窪みに、自分の足をそっと重ねた。

ぴたりと、収まった。

つま先の丸みも、踵の減り方も、何もかも。

「……同じだ」

スルが、低く言った。

カインは、背筋がすっと冷えるのを感じた。

似たような光景を、前にも見たことがある。

「三層で、あったよね」

ミラが、腰の袋から古い手帳を取り出した。

三層でもう一組の気配を追っていた頃から、遭遇のたびに書きつけてきた手帳だ。

ぱらぱらと頁をめくる指が、途中で止まる。

「足跡の大きさが、私たちの靴とぴったり揃ってた日。それから、角の向こうから、少し前に自分たちが言った台詞が聞こえてきた日」

「あったな」

カインは頷いた。

あのときは、声を真似る魔物の、ずっと上等なやつだろうと話したのだ。

結局、それでは説明がつかないまま、ここまで来た。

その間に、影の盾役は立ち止まっていた。

道の真ん中で、こちらに半身を向けて盾を構えている。

構えを見たとたん、カインは思わず口にしていた。

「……ダダっぽくないか、あれ」

盾を低く、体の真正面に据える。

両足を肩幅より広く開き、腰を落とす。

来るものは全部受け止める、という立ち方だった。

スルの構えは、もう少し高い。

獣人族らしく、いつでも跳べるように膝に余裕を持たせている。

「俺の姿だが、俺の立ち方じゃない」

スルが、はっきりと言った。

「ワングのときと同じでござるな」

ワングが、腕を組んだ。

「姿は、拙者たちを借りておる。だが、中身は、借り物ではない」

向こうのスルは、しばらくその構えのまま立っていた。

やがて盾を下ろし、道の脇へ一歩退いた。

先へ行け、と言うように。

そのまま、靄に溶けて消えた。

「ちょっと、待って」

ミラが、手帳の頁を戻し始めた。

「三層の盾のこと、書いてあったはず」

指が、ある頁で止まった。

ミラは、自分の字を確かめるように、ゆっくり読み上げた。

「向こうの盾役、今日もダダ型。こちらの前は、スル」

それから、次の頁。

「向こうの盾役、ダダ型。こちらの前は、ダダ。……こっちの前がどっちの日でも、向こうはずっとダダ型」

「黒いドラゴンの日も、そうだった」

ネリスが言った。

「あの日、ダダは宿で待ってた。前にいたのは、兄さん。なのに、向こうの盾はダダの形をしてた」

六人は、顔を見合わせた。

「じゃあ、なんで今日はスルなんだ」

カインは、自分に問いかけるように言った。

あの日と今とで、何が変わったのか。

答えたのは、スル本人だった。

「俺が、正式に六人目になった」

四層への扉が開いた日。

ダダが前を譲り、スルの手の甲に六弁の証が浮かんだ日だ。

「あの日まで、盾はダダの役だった」

スルは、盾の縁を指でなぞった。

「俺は、代わりに立っていただけだ」

「……そういうことか」

ミラが、手帳を胸に抱いた。

「向こうは、見てる私たちの姿を映してる。でも、そこに立ってる人をそのまま映すんじゃなくて」

「その役が、今、誰のものか」

カインが、言葉を継いだ。

「それを映してる」

口にしてみると、不思議なくらいしっくりきた。

「足跡が揃うのも、当たり前か。俺たちの足を映してるんだから」

「聞き覚えのある台詞も、でござるな」

ワングが頷いた。

「あれは、拙者たち自身の声を返しておっただけ、かもしれぬ」

「鏡、ってこと?」

ノリアが、首を傾げた。

「たぶんな。姿と声は、俺たちの鏡。でも、中にいるのは、別の誰かだ」

カインは、そこで言葉を切った。

それなら、魔法使いの影が空っぽなのはなぜなのか。

ノリアも同じことを考えたらしく、何か言いかけて、黙った。

誰も、その先を口にしなかった。

カインの手の甲で、証の明滅が速くなり始めていた。

「今日は、ここまでだ」

「賛成」

ネリスが、真っ先に踵を返した。

アーカイブの奥の机で、ティリーはミラの手帳を最初の頁から読んでいた。

小柄な体で、手帳を両手に広げている。

読み終えると、ティリーは小さく息をついた。

「三層のころから、こんなに細かく」

「いつか、ティリーさんに渡そうと思ってたんです」

ミラが、少し照れくさそうに言った。

「それで、今日のお話ですが」

ティリーが、カインのほうを向いた。

カインは、今日のことを話そうとした。

ところが、「ズールの」と言いかけたところで、言葉が喉の奥でつかえてしまう。

順番に並ぶはずの言葉が、ばらばらになって出てこない。

(またか)

カインは一度息を吐いてから、言い方を変えた。

「もう一組の盾が、ダダの形から、スルの形に変わりました」

今度は、すんなり出てきた。

「言えるところだけで、結構です」

ティリーは、何かを察したように頷いた。

「言えないものを、無理に言わせる趣味はありませんので」

カインは、残りのことも、言える形に直しながら話した。

足跡のこと。

構えだけが違ったこと。

映っているのは役割ではないか、という考え。

ティリーは、一度も口を挟まずに聞いていた。

それから、棚から新しい記録帳を一冊引き抜いた。

表紙の題の欄に、ペン先を置く。

そこで、ぴたりと手が止まった。

「……何と呼べばいいんでしょう」

「もう一組、ですかね」

カインが言う。

「それは、あなた方の呼び方です。記録の題としては、少し」

「鏡の六人、とか」

ノリアが言ってみる。

「中身は鏡ではない、とおっしゃいましたよね」

「……言った」

「対の六人、というのは」

ミラが言うと、ティリーは少し考えてから、首を横に振った。

「それも、こちらから見た形だけです」

ティリーは、題の欄を空けたまま、表紙をめくった。

「名前は、向こうが名乗るまで空けておきます」

ペン先が、最初の頁を走り始める。

最初に書かれたのは、こうだった。

向こうの盾役、ダダの形から、スルの形へ。

続けて、もう一行。

姿は役割を映す。中身は、別の誰か。

その次で、ティリーはペンを止めた。

しばらく迷ってから、小さく書き足す。

推測、とだけ。

「一つ、書いてほしいことがある」

ノリアが、机の端に手をついた。

「向こうの魔法使い。私の形をしてるけど、あれだけは中身がない。立ち方にも、首の傾け方にも、何もない」

ティリーのペンが、紙の上で止まった。

「中身がない、というのは」

「わからない。ほかの五人は、中に誰かいる感じがする。あれだけ、いない」

ノリアは、少しだけ言葉を探した。

「空いてる、って感じ」

「空いている」

ティリーは、その言葉をそのままその下に書き写した。

魔法使いの席、空いている。

「わかったら、また教えてください。書き足しますので」

「……うん」

ノリアは、杖を握る手に少し力を込めた。

「見えないものを、見えないまま書くのには慣れました」

ティリーは、記録帳を閉じずに言った。

「映っているものを、映っているまま書くのは、これが初めてです」

「難しいですか」

ミラが聞く。

「少し」

ティリーは、空欄のままの題の欄を指でなぞった。

「でも、空けておく場所があるというのは、悪くありません」

帰り道、スルは一度だけ自分の盾を見下ろした。

「ダダに、話す」

「何を?」

ネリスが聞く。

「向こうの盾が、ダダの立ち方をしてた」

スルは、少しだけ口の端を上げた。

「たぶん、喜ぶ」


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