↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『マラン、はじまりの迷宮』〜わからないことばかりの、迷宮攻略記〜  作者: 奇木 尋
第七部 ズール 準備と入口へ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

213/237

第207話「輪郭のない道、似て非なる立ち姿」

ヘクサインの共用室の卓に、砂時計が一つ置かれていた。

ズールの門番から、帰り際に借りてきたものだ。

「ちゃんと返すって約束で、借りてきたの」

ミラが、少しだけ申し訳なさそうに付け足した。

「中で半刻いたつもりが、外では百も数えてなかった」

カインが、砂時計を指で軽くつついた。

「つまり、中の時間と外の時間が、まるで合ってない」

「中にいると、長く感じるってこと?」

ネリスが、首を傾げる。

「それか、外がやたら遅いか。どっちにしても、中で時間を数えるのはあてにならない」

「では、何を目安にするでござるか」

ワングが、腕を組んだ。

「これだ」

カインは、自分の左手の甲を卓の上に置いた。

六弁の証は、今はただの薄い紋様に戻っている。

「中では、これが光ってた。長くいるほど、明滅が速くなってた」

「指先が滲んできたのも、それと同じころだった」

ミラが、自分の指先を見つめながら言った。

「なら、証の明滅が速くなったら、戻る」

スルが、短くまとめた。

「誰か一人でも速くなったら、全員で戻る」

カインが頷く。

「一度に進めるのは、ほんの少しだ。進んで、戻って、休んで、また進む。それを繰り返す」

「遠回りでござるな」

「急いだら、消え失せる。エランドがそう言ってただろ」

誰も、それ以上は何も言わなかった。

「道は、私が決める」

ネリスが、耳をぴんと立てた。

「あの影が指さしたほう。まだ、ちゃんと覚えてる」

五層で授かった、道に迷わない感覚。

上も下もないあの白と黒の中で、頼れるものはそれしかなかった。

翌朝、六人は再びズールの門の前に立った。

番人が、黙って縄を外す。

六人の手の甲で、六弁の証が光った。

スルは、もう革帯を巻いていなかった。

アーチをくぐると、足の裏から地面の感触が消える。

白と黒の渦が、四方を満たしていた。

「こっち」

ネリスが、迷わず歩き出した。

歩いている、という感覚さえ曖昧だった。

それでも、ネリスの背中を追っていると、確かにどこかへ近づいている気がした。

渦の中に、ぼんやりと道のようなものが見え始める。

床ではない。

白と黒の境目が、少しだけ細く、まっすぐに揃っている。

それが、通路の代わりになっているらしかった。

「前より、見える」

ノリアが、小さく言った。

「一度来たから、かな」

「かもな」

カインが答える。

そのとき、ネリスが足を止めた。

「何か、いる」

通路の先で、白と黒の渦が一か所だけ濁っていた。

濁りは、ゆっくりと膨らんでいく。

やがてそれは、形の定まらない塊になった。

手足のようなものが伸びかけては、崩れ、また伸びかける。

顔のようなものが浮かびかけては、渦に溶ける。

「魔物、でござるか」

ワングが、村雨の柄に手をかけた。

「魔物、っていうより」

ミラが、目を細める。

「魔物になりかけの、何か」

塊が、こちらへ伸びてきた。

腕とも触手ともつかないものが、先頭のネリスへまっすぐに走る。

「させるか」

スルが、盾を差し出した。

伸びてきたものが盾に当たり、ぬるりと形を崩して横へ流れる。

「重くは、ない」

スルが、眉をひそめた。

「だが、手応えも、ない」

「斬るでござる」

ワングが踏み込んだ。

村雨が、塊を斜めに断つ。

幻の右手の氷姫が、続けて横に払う。

塊は、確かに二つに裂けた。

だが、裂けた端から、また渦が寄り集まって塞がっていく。

「再生、か」

カインが呟いた。

「封癒」

ノリアが唱えた。

いつもなら、手のひらの内側で呪文の形がはっきりと結ばれる。

今日は、その形が、指の隙間からこぼれそうになった。

魔力の輪郭を、必死に掴み直す。

淡い光が、どうにか塊に届いた。

塞がりかけていた裂け目が、そこで止まった。

「効いた……!」

ノリアが、息をついた。

「ノリア、無理はするな」

「してない」

していた。

額に、汗がびっしりと浮かんでいる。

ここでは、呪文ひとつ唱えるにも、いつもの倍は骨が折れるらしかった。

「カイン、右」

ネリスが叫ぶ。

塊の残り半分が、形を変えてカインの脇へ回り込もうとしていた。

カインは、剣を振り下ろした。

何の変哲もない、いつもの一太刀だった。

万能士の剣は、ワングのように鋭くはない。

スルのように重くもない。

それなのに、剣は塊を、ワングの刀と同じように深々と断ち割った。

「……え」

カインは、自分の剣を見下ろした。

斬った手応えが、ワングの一太刀のときと、まるで変わらなかった。

「カイン殿の剣、今、拙者と同じだけ通っておったでござる」

ワングも、目を見開いていた。

塊は、裂け目を塞げないまま、白と黒の渦にほどけていった。

あとには、何も残らなかった。

魔石も、ドロップも。

「落とさないんだ」

ネリスが、少し残念そうに言った。

「ここの魔物は、まだ魔物になりきっておらぬのかもしれぬでござる」

ワングが、渦を見やった。

魔物は魔素からできていて、倒せば魔石を生む。

マランの誰もが知っている、当たり前の決まりだった。

その当たり前が、ここでは通じないらしい。

六人は、しばらく黙って、塊の消えた辺りを見つめていた。

「ねえ」

ミラが、ゆっくりと口を開いた。

「今の、力の強さとか、速さとか、関係なかった気がする」

「どういうことだ」

スルが聞く。

「うまく言えない。けど、どれだけ強く斬ったかより、どれだけちゃんと、ここに立ってるか、みたいな」

ミラは、自分の手の甲の証に目を落とした。

「輪郭が、しっかりしてる人の刃ほど、よく通る。そんな感じがした」

「レベルは関係なくなる、って、エランドが言ってたやつか」

カインが呟いた。

数字では測れない何か。

強さでも、速さでも、呪文の回数でもない何か。

それが、ここでは刃の通り方を決めているらしかった。

「わかったような、わからないような話でござるな」

ワングが、村雨を鞘に戻した。

「わからなくても、斬れればいい」

スルが、短く言った。

そのとき、ネリスの耳が、ぴくりと動いた。

「……いる」

通路の先、白と黒の境目がふたつに分かれるところに、人影が立っていた。

カインと同じ背丈。

同じ髪。

向こうのカインだった。

向こうのカインは、何も言わずに、右の道を指さした。

それから、靄に溶けるように消えた。

「右、だって」

ネリスが言った。

「私も、右だと思ってた」

六人は、右の道へ進んだ。

しばらく行くと、道はまた分かれた。

今度は、向こうのノリアが立っていた。

杖を抱えた、エルフの少女の姿。

だが、その姿だけは、ほかの影とどこか違っていた。

ほかの影には、立ち方にも首の傾け方にも、それぞれの癖のようなものがある。

向こうのノリアには、それがなかった。

ただ、そこに映っているだけのように見えた。

向こうのノリアは、左を指さして消えた。

「……私、あんな立ち方する?」

ノリアが、眉を寄せた。

「しない、と思う」

ミラが、首を傾げた。

「なんか、空っぽだった」

誰も、それ以上は言わなかった。

そのあと、何度か道が分かれ、そのたびに影が一人ずつ現れて道を示した。

向こうのネリス。

向こうのミラ。

向こうのスル。

カインの手の甲で、証の明滅が、少しずつ速くなり始めていた。

「そろそろだ」

カインが言いかけたとき、最後の分かれ道に、影が一人立っていた。

向こうのワングだった。

片腕に籠手を締め、腰に刀を佩いたドラゴニート。

顔も、背丈も、ワングそのものだった。

向こうのワングは、まっすぐ奥を指さした。

ワングは、その立ち姿から目を離せなかった。

重心が、わずかに後ろ足にかかっている。

刀の柄に添えた手が、鍔からこぶし一つ分だけ離れている。

いつでも抜ける構えでありながら、抜く気配を少しも見せない立ち方。

ワング自身は、そんなふうには立たない。

けれど、どこかで、何度も見たことのある立ち方だった。

影は、靄に溶けて消えた。

「戻るぞ」

カインが言った。

六人は、来た道を引き返し始めた。

ワングだけが、一度だけ、影の消えた場所を振り返った。

「ワング?」

ミラが、声をかける。

「……拙者に似ておるが、拙者ではない」

ワングは、低く呟いた。

「あれは、拙者よりずっと前から、刀を握っておる者の立ち方でござる」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。