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『マラン、はじまりの迷宮』〜わからないことばかりの、迷宮攻略記〜  作者: 奇木 尋
第七部 ズール 準備と入口へ

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第204話「継ぎ目の鏨、もう一つの家の印」ーダダ視点ー

継ぎ目は、細かい点の連なりでできていた。

鏨を寝かせて、小さく浅く、何百と打ち込んである。

割れた縁と縁を、糸で縫い合わせるように噛み合わせた跡だった。

ダダは、器を炉の明かりに近づけた。

目を細め、指の腹で一つずつ点をなぞっていく。

粗い仕事ではない。

むしろ、ため息が出るほど丁寧だった。

点と点の間隔が、端から端まで少しも乱れていない。

(俺の打ち方じゃない)

自分なら、継ぎ目は溶かして流し込む。

そのほうが早く、見た目も綺麗に収まる。

こんな手間のかかる継ぎ方は、少なくとも自分は教わっていない。

それでも、どこかで見た覚えがあった。

いつだったか。

誰の手元で見たのだったか。

思い出せないまま、ダダは器をひっくり返した。

底の縁に、見慣れた刻印がある。

炎を抱いた槌の意匠。

一族が代々、自分の打った品に刻んできた家の印だ。

ドラゴン討伐の前夜、この器を仕上げたとき、自分で打ち込んだものだった。

そこまでは、覚えのとおりだった。

その隣に、もう一つ、小さな印があった。

同じ炎を抱いた槌。

だが、炎の揺らぎが三筋ある。

今の家の印は、二筋だ。

ダダは、しばらく息をするのを忘れていた。

三筋の炎は、古い意匠だった。

工房の奥の、埃をかぶった道具箱の中でしか見たことがない。

祖父の代よりも前に使われていた印だと、子どもの頃に聞かされた気がする。

「……なんで、これが、ここにある」

器の内側に指を差し入れる。

そこで、もう一度手が止まった。

内側の底に、丸い窪みがある。

窪みから、髪の毛ほどの細い溝が何本も伸び、器の縁へ向かって放射状に走っていた。

自分は、こんなものを彫っていない。

氷の呪文を封じるための器に、こんな仕組みはいらない。

何のための窪みなのか。

何を流すための溝なのか。

見当もつかなかった。

ダダは器を台に置き、炉の火を見つめた。

黒いドラゴンを討った日、残骸を拾っていったもう一組のことを思い出す。

自分によく似た、盾を提げた影。

あいつは、拾い上げた欠片を、じっと見つめていたという。

四層の最後に、この器が元の形で戻ってきたとき、自分は「律儀なもんだ」と笑った。

向こうにも、腕のいい職人がいるのだと。

「直してくれたのは、向こうの律儀な職人だと思ってた」

誰もいない工房で、ダダは呟いた。

「だが、これは……うちの家の、昔の打ち方だ」

炉の火が、ぱちりと爆ぜた。

その夜、ダダはほとんど眠らなかった。

翌朝、ダダは器を布に包んで、フォージタウンの坂を下った。

通りの突き当たりに、煤で黒ずんだ大きな看板を掲げた工房がある。

炎を抱いた槌の意匠。

二筋の炎の、家の印。

ダダが生まれ、槌の握り方を覚え、そして出ていった家だった。

戸口をくぐると、懐かしい鉄と油の匂いがした。

奥の炉の前に、父がいた。

背中は、記憶より少しだけ丸くなっている。

それでも、槌を振り下ろす音は、昔と少しも変わっていなかった。

「親父」

呼ぶと、槌の音が止まった。

父は振り返り、ダダの顔を見て、それから布の包みに目をやった。

「冒険者稼業は、まだ続けとるのか」

「潜るのは、もう辞めた。今は、仲間の得物を打ってる」

「そうか」

父の返事は、それだけだった。

褒めもしないし、咎めもしない。

昔から、そういう人だった。

「見てほしいものがある」

ダダは、包みを作業台の上で解いた。

銀の器が、朝の光を鈍く跳ね返す。

父は黙って器を取り上げた。

しばらく眺め、それから底を返す。

二つの印の上で、太い指が止まった。

工房の中が、しんと静まり返った。

表の通りを、荷車が一台、軋みながら過ぎていく。

父は、長いあいだ何も言わなかった。

やがて、器を台に戻し、炉の脇の古い腰掛けにゆっくりと座り込んだ。

「どこで、これを」

「エアの奥から、戻ってきた」

嘘ではなかった。

それ以上のことは、言おうとしても言葉にならない気がした。

父は、目を閉じた。

「三筋の炎は、グンナル伯父の印だ」

聞いたことのない名前だった。

「親父の、伯父?」

「わしの親父の、兄貴だ。この家の長兄だった」

父は、器の継ぎ目を指さした。

「その継ぎ方も、伯父の得意だった技だと聞いとる。縫い継ぎと言うてな。点を打って、割れ目を縫い合わせる。手間ばかりかかるから、今はもう、誰も打たん」

どこかで見た覚えがある、と思った理由がわかった。

子どもの頃、工房の奥の道具箱で、刃の縁に点の並んだ古い小刀を見たことがある。

あれを、父は黙って箱に戻したのだった。

父は腰掛けから手を伸ばし、棚の下から古い道具箱を引き出した。

蓋を開けると、埃の匂いが立ちのぼる。

中から出てきたのは、あの小刀だった。

刃の縁に、細かな点が並んでいる。

柄の根元には、三筋の炎の印。

「伯父が、若い頃に打ったものだそうだ」

父は、小刀を器の隣に並べた。

点の間隔も、鏨の角度も、そっくり同じだった。

八十年の隔たりがあるとは、とても思えなかった。

「伯父は、家を継がなかった」

父は、ぽつりぽつりと話し始めた。

「腕は、一族で一番だったそうだ。だが、自分の打った盾を提げて、冒険者になった。仲間の得物を全部自分で打って、一緒に潜るんだと言うてな」

ダダは、何も言えなかった。

「八十年ほど前の話だ。エアに潜ったきり、帰らなかった」

「……八十年」

「わしが生まれるより前のことだ。親父は、一度も伯父の名を口にせんかった。一度だけ、酒に酔った晩に、兄貴の盾は誰より硬かった、と言うたきりだ」

父は、器の二つの印を、交互に見つめた。

「この家では、半分、なかったことになっとる名前だ」

ダダは、自分の手のひらを見下ろした。

古い火傷の痕が、いくつも走っている。

十四のとき、初めて一人で打った小刀を、父はろくに見もせずに突き返した。

刃筋が甘い。

たった一言だった。

ダダが冒険者になると言ったときも、父は同じ顔をしていた。

「親父が、俺にやたら厳しかったのは」

言いかけて、ダダは口をつぐんだ。

父は、それを遮らなかった。

「甘い刃で潜ったやつは、帰ってこん」

父の声は低かった。

「そう思っとった。今も、半分はそう思っとる」

ダダは、少しだけ腑に落ちた気がした。

あの厳しさは、突き放すためのものではなかったのだ。

「伯父の印が、なんでお前の器に打たれとるのかは、わしにはわからん」

父は、腰掛けから立ち上がった。

「わからんが、この継ぎ目は、いい仕事だ」

それだけ言うと、父は炉の前に戻り、また槌を振り上げた。

いつもの音が、工房に戻ってきた。

ダダは器を包み直し、戸口で一度だけ振り返った。

父の背中は、もうこちらを見ていなかった。

それでいい、と思った。

その日の夕方、六人がブロムの工房に顔を出した。

ダダが呼んだのだ。

作業台の上に置かれた器を囲んで、六人は二つの印を順番に覗き込んだ。

「こっちが、ダダの印?」

ネリスが、二筋の炎を指さす。

「そうだ。こっちが、伯父の」

ダダが、三筋の炎を指さした。

「グンナル。親父の伯父だ。八十年前に、エアで帰らなかった」

一通り話し終えると、工房の中が静かになった。

「……向こうの職人って、ダダの親戚だったってこと?」

ノリアが、目を丸くする。

「わからん。わからんが、うちの昔の打ち方なのは、間違いない」

「八十年前の人が、今の器を直せるとは思えないけど」

ミラが、首を傾げた。

「影のようなものなら、歳は取らぬのかもしれぬでござる」

ワングが、腕を組んだまま言った。

「あの者たちには、そういうところがあったでござるからな」

誰も、すぐには答えなかった。

器の内側の窪みを、スルが黙って指でなぞっている。

カインだけが、さっきから一言もしゃべっていなかった。

「カイン?」

ネリスが、顔を覗き込む。

「八十年前、って言ったよな」

カインが、ゆっくりと顔を上げた。

「俺の前の万能士が出たのも、八十年前だ。召喚スキルの持ち主も、同じ人だった」

ギルド長から聞いた話だった。

記録は、ほとんど残っていないと言っていた。

「……偶然、じゃないよね」

ノリアが、小さく呟いた。

「偶然にしては、重なりすぎでござる」

ワングの声が、低く響いた。

作業台の上で、器が炉の明かりを映して、鈍く揺れていた。


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