第203話「滲む光、読めない数字」
いよいよ最終章・ズール突入です。
よろしくお願いいたします。
アプレイザルの窓口は、朝から混んでいた。
魔石の袋を抱えた新人、布に包んだ剣を大事そうに抱えた中堅、ドロップ品の山を台に積み上げては鑑定士に呆れられている常連。
六人は列の最後尾に並んだ。
「ギルド長が言ってたやつ、本当に試すの?」
ネリスが、前に並ぶ冒険者の背中越しに窓口を覗く。
「試しには行け、って言われたからな」
カインが肩をすくめた。
「測れないなら測れないで、確かめておいたほうがいい、ってさ」
「測れなかったら、どうなるの」
ノリアが小声で聞く。
「どうもならぬでござろう」
ワングが、腕を組んだまま答えた。
「数字が見えぬだけで、腕が落ちるわけではござらぬ」
「そうだけど」
ノリアは、杖の先で床をこつんと叩いた。
「なんか、落ち着かない」
わからないでもなかった。
ギルドに登録した日から、鑑定具に手を置けば、今の自分がどこにいるのかが数字で返ってきた。
上がれば嬉しく、止まれば焦る。
その当たり前の目安が、急に消えるかもしれないのだ。
列は、思ったより早く進んだ。
窓口に座っていたのは、見慣れた鑑定士だった。
四層を越えた日に、カインの全階梯習得を淡々と告げた人だ。
「ああ、皆さん」
鑑定士が、少しだけ眉を上げる。
「五層は、いかがでしたか」
「どうにか」
カインが曖昧に笑った。
七つの試練のこと、ズールへ向かう資格のこと。
口にしようとして、喉の奥で言葉がつかえた。
声が出ないのではない。
言おうとした順番に、言葉が並ばないのだ。
「……どうにか、越えました」
結局、それだけしか出てこなかった。
(エランドが言ってたの、これか)
話そうとしても、たぶん、話せん。
あの猫の「たぶん」は、やはり当たるほうだった。
「では、いつもの通り」
鑑定士が、台の上の鑑定具を押し出した。
両手で抱えるほどの、白く濁った水晶の球だ。
カインが手のひらをかざす。
淡い光が、球の奥に灯った。
いつもなら、そこで光がまとまり、数字の形を結ぶ。
今日は、結ばなかった。
光は球の中をゆっくりと巡るだけで、形になりかけては、ほどけていく。
水面に映った文字が、風で揺れて読めなくなるような感じだった。
「……おや」
鑑定士が、身を乗り出した。
球を覗き込み、角度を変え、もう一度覗き込む。
「少々、お待ちください」
鑑定士は奥の棚から、別の鑑定具を持ってきた。
一回り小さい、青みがかった球だ。
カインがもう一度手をかざす。
光は灯った。
そして、同じように、ほどけていった。
三つ目の鑑定具は、古い真鍮の枠に嵌め込まれた年代物だった。
「これは、祖父の代から使っているものでして」
鑑定士が、少しだけ誇らしげに言う。
結果は、同じだった。
年代物の球の中でも、光はただ巡るばかりで、何の数字も結ばなかった。
「……呪文の欄も、滲んでいますね」
鑑定士が、記録紙を前に首をひねった。
「習得の有無はかろうじて読めます。ですが、回数も、レベルも、形になりません」
「壊れてる、とかじゃなくて?」
ネリスが聞く。
「三つとも、ついさっき別の方を鑑定したばかりです」
鑑定士は、窓口の後ろに並ぶ列をちらりと見やった。
「あちらの方々は、いつも通りに」
「じゃあ、俺たちのほうか」
カインが頭をかいた。
「念のため、皆さんも」
促されるまま、残りの五人が順に手をかざした。
ネリスの光は、球の中で小さく跳ねてほどけた。
ノリアの光は、球いっぱいに膨らんでから、霧のように散った。
ミラの光は、穏やかに巡って、静かに消えた。
ワングの光は、細く鋭く走っては、途中で折れた。
スルの光は、しばらく球の底に沈んでいたが、やはり何の形も結ばなかった。
六人とも、同じだった。
「光り方だけは、皆さんらしいんですがね」
鑑定士が、ぽつりと呟いた。
呆れているのか、感心しているのか、よくわからない声だった。
「長いことこの窓口に座っていますが、こういうのは初めてです」
鑑定士は、記録紙に何かを書きかけて、ペンを止めた。
「何と書けばいいのやら」
「測れない、でいいと思います」
ミラが、申し訳なさそうに言った。
「測れない」
鑑定士は、その言葉を口の中で転がしてから、記録紙の余白に小さく書きつけた。
「理由に、お心当たりは」
六人は、顔を見合わせた。
心当たりなら、ある。
七つの証のこと。
あの猫の言葉。
だが、誰の口からも、それが言葉になって出てくることはなかった。
「……わからないでござる」
ワングが、代表するように答えた。
嘘ではない。
わかっていることを、言葉にできないだけだ。
「そうですか」
鑑定士は、それ以上は聞かなかった。
わからないことは、わからないまま記録する。
この人も、そういう側の人間らしかった。
窓口を離れると、ネリスがくるりと振り返った。
「測れない、って本当だったんだ」
その声は、思っていたよりも軽かった。
「がっかりしてるかと思った」
ノリアが、横目でネリスを見る。
「してる。ちょっとだけ」
ネリスは、耳を片方だけ倒した。
「でも、なんか、軽い」
「軽い?」
「数字、気にしなくていいから」
ネリスの言い方に、カインは思わず笑ってしまった。
「俺は、ちょっと寂しいけどな」
「なんで」
「万能士ってのは伸びが遅いだろ。だから、上がった数字を見るのがけっこう楽しみだったんだよ」
「数字がなくても、伸びてるのはわかる」
スルが、短く言った。
「五層の最後、あのゴブリンを、お前は受けきった」
「……そうだな」
カインは、自分の手のひらを見下ろした。
数字は、もう出ない。
それでも、この手が何を受け止めて何を掴んできたかは、覚えている。
「帰りに、アーカイブへ寄りましょう」
ミラが提案した。
「ティリーさんにも、伝えておかないと」
アーカイブの奥の机で、ティリーは山のような記録帳に埋もれていた。
小柄な体が、帳面の陰にほとんど隠れている。
事情を聞くと、ティリーはペンを置いて、しばらく黙り込んだ。
「測れない」
「はい」
「理由は、言えない」
「言えない、というか、言葉にならないでござる」
ワングが律儀に付け足す。
ティリーは、深いため息をついた。
「見えない地図に、見えない呪文の授かり方。今度は、読めない数字ですか」
「すみません」
ミラが、小さく頭を下げた。
「謝られても困ります」
ティリーは、新しい記録帳を一冊、棚から引き抜いた。
表紙には、まだ何も書かれていない。
「こういうことは、もう慣れました。見えないものは、見えないまま。読めないものは、読めないまま書いておきます」
ペン先が、白い紙の上を走る。
「六名、鑑定不能。原因、本人らにも説明できず。……以上」
書き終えたティリーは、ほんの少しだけ口の端を上げた。
「いつか、読める日が来るかもしれませんからね」
その言葉に、誰も返事はしなかった。
それでも、六人とも、少しだけ肩の力が抜けていた。
アーカイブを出ると、日はもう高かった。
「ダダのところ、寄っていくか」
カインが言うと、全員がすぐに頷いた。
測れなかった話は、ダダにならできる。
それだけで、足取りが少し軽くなった。
フォージタウンの工房では、今日も鎚の音が響いていた。
ダダは話を聞くと、鎚を置いて、ふんと鼻を鳴らした。
「数字なんぞ、なくても困らん。俺は、ずっとなくてもやってきた」
「ダダは、鍛冶の腕が数字みたいなもんだからな」
カインが笑う。
「うまいこと言ったつもりか」
ダダは取り合わなかった。
取り合わなかったが、髭の奥で、口元が少しだけ緩んでいた。
六人が引き上げたあと、ダダは工房の奥の棚に目をやった。
布をかけたまま、ずっと置きっぱなしにしていたものがある。
四層の最後に、あいつらが持ち帰ってきた銀の器だ。
黒いドラゴンを討つために、自分が打ったミスリルの器。
喉の奥で砕け、向こうのもう一組に拾われ、それがなぜか元の形で戻ってきた。
あのときは、形が同じだと確かめただけで、棚に置いた。
五層の試練のあいだ、手に取る暇もなかった。
ダダは布を外し、器を炉の明かりにかざした。
鈍い銀色が、火の色を映して揺れる。
「そういえば」
誰もいない工房で、ダダは呟いた。
「あれだけ粉々だったのを、どう直したんだ」
指の腹で、継ぎ目をなぞる。
そこで、ダダの手が止まった。
いかがでしょうか?
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