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『マラン、はじまりの迷宮』〜わからないことばかりの、迷宮攻略記〜  作者: 奇木 尋
閑話 その五

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第202話 閑話「ノリアの居場所」

目が覚めたのは、まだ夜の明けきらない頃だった。

ヘクサインの部屋は、しんと静まり返っている。

隣の寝台では、ネリスが毛布を蹴飛ばして丸くなっていた。

ミラの寝息は、規則正しく、少しだけ深い。

私は毛布を肩に掛けたまま、窓の外を眺めた。

街の灯りが、まだところどころに残っている。

体の奥に、魔力がたっぷりと戻っているのがわかった。

一晩眠ると、いつもこうだ。

底が見えないくらい、満ちている。

昔から、そうだった。

ギルドの記録に残っている範囲でも、同じ年頃のエルフの中では飛び抜けているらしい。

魔力の量だけは。

量だけは、誰にも負けなかった。

それなのに、呪文が覚えられなかった。

カインたちと組むより前、一人で訓練していた頃のことを、今でも時々思い出す。

手のひらに魔力を集めて、教わった通りに形を作る。

作ったはずの形が、指の隙間から溢れて崩れていく。

水をすくおうとして、桶ごとひっくり返すような感じだった。

何十回やっても、何百回やっても、同じだった。

かろうじて形になったのは、第一階梯の「火花炎」ひとつだけ。

それも、火花なんて可愛いものではなかった。

初めてまともに撃てた日、訓練用の的は、台ごと吹き飛んだ。

教えてくれた人は、しばらく口を開けたまま、何も言わなかった。

私も、何も言えなかった。

森の集落には、戻らなかった。

戻っても、居場所があるとは思えなかったから。

都市に部屋を借りて、ファイアひとつで、ノアに潜れる相手を探した。

カインが声をかけてきたのは、その頃だ。

ノアの浅瀬で、私が撃った火花炎を見ていたらしい。

爆発が収まったあと、半分笑いながら近づいてきた。

「一緒に組もう」

理由は、聞かなかった。

聞いたら、取り消されそうな気がしたから。

ダダは、黙って盾を構えて、私の前に立ってくれた。

ネリスは、いつの間にか一緒にいた。

それから、四人で潜った。

「ファイアで足りないことなんて、そうそうない」

あの頃、私はよくそう言っていた。

本気でそう思っていた、というのも嘘ではない。

実際、たいていのことは、ファイアで片づいた。

でも、半分は、強がりだった。

「ノリア、ちょっと待って」

カインにそう止められるたび、胸の奥が少しだけ冷えた。

待って、と言われるのは、私の火が強すぎるからだ。

強すぎて、仲間の近くでは使えないからだ。

それでも、ほかに撃てるものがなかった。

やがて、レベルが上がって、階梯を重ねられるようになった。

静黙を覚えた。

業火弾を覚えた。

少しずつ、型が増えていった。

時間はかかったけれど、増えないわけではない。

それがわかったときは、正直、少しほっとした。

でも、それで普通の魔法使いになれたわけではなかった。

同じ呪文を撃っても、私のだけが、明らかに違う。

業火弾が、業火弾の大きさで収まらない。

雷殺が、雷殺の太さで落ちてこない。

アーカイブの記録をいくら読んでも、私みたいな撃ち方をする術者は載っていなかった。

私は、何者なんだろう。

その問いが、ずっと胸の奥に沈んでいた。

魔法使いと呼ぶには、覚えるのが遅すぎる。

魔法使いでないと言うには、魔力が多すぎる。

どちらにも、きちんと収まらない。

魔道師ではないか、と言われたのは、しばらく経ってからだった。

ミラージュで適性を確かめたとき、担当の職員が、少し首を傾げながらそう言った。

転職というより、もともとそうだったものに名前がついただけ、という話だった。

レベルも、呪文の回数も、何も変わらなかった。

変わったのは、名前だけ。

それでも、名前がついたことで、少しだけ楽になった。

何者か、はっきりわかったわけではない。

魔道師が何なのか、実のところ、今もよくわかっていない。

でも、もういいか、と思った。

私は、私だ。

覚えるのが遅くて、撃てば大きすぎる。

それが私なら、それでいい。

そう思うことにした。

そう思えるようになるまで、ずいぶんかかったけれど。

ただ、怖いものは、残った。

終焉だ。

第七階梯の、切り札。

覚えたときは、嬉しさより先に、怖さが来た。

私の魔法は、跳ね返る。

大きすぎる分だけ、返りも大きい。

四層の三番目の部屋で、跳ね返った呪文の痛みを、今も覚えている。

自分の火で、自分が焼かれる。

それだけなら、まだいい。

怖いのは、隣にいる誰かを焼くことだった。

カインを。

ネリスを。

ミラを。

自分の撃った魔法で、仲間を傷つける。

それが、何より怖かった。

だから、終焉は、なるべく撃たないようにしていた。

撃つときは、いつも一人で撃てる場所を探していた。

四層の十三番目の部屋で、止められたのに撃ったときもそうだ。

あのときは、もう、それしかないと思った。

結果は、あの通りだった。

ミラの最後の完全治癒がなければ、私はあそこで終わっていた。

目を覚ましたとき、みんなの顔を、まともに見られなかった。

変わったのは、スタンピードの日だった。

ノアの三層で、ルーシェナさんとワングとカインが、三人がかりで終焉を撃った。

それでも、奥から咆哮が止まなかった。

振り返ったルーシェナさんは、まっすぐ私だけを見ていた。

「あんたの番だ」

その一言で、全部わかった。

勝手に暴発させる一撃じゃない。

頼まれて、託された一撃だ。

限界まで魔力を引き上げて、撃った。

黒い光が、三層を駆け抜けて、下へなだれ込んでいった。

絶叫と揺れのあと、静かになった。

膝をついた私に、ルーシェナさんが「よくやった」と言った。

それだけで、十分だった。

やっと、役に立てた。

大きすぎる私の魔法が、大きすぎるおかげで、誰かを守れた。

そう思えたのは、あれが初めてだった。

今は、もう少し違う。

五層の三つ目の試練で、私の業炎獄は、また皆を焼いた。

膝をついた六人の中で、私がいちばん顔を上げられなかった。

その部屋で、反跳結界が授けられた。

私にではなく、カインとミラに。

最初は、少しだけ悔しかった。

私の魔法の後始末なのに、私には来ないのか、と。

でも、ミラが言った。

「その時は、私が、二人分踏ん張るから」

それから、扉を開けるたびに、同じ順で声が重なるようになった。

「封癒」

「反跳結界」

「守護の盾」

私が封じて、ミラが結界を張って、ワングが壁を立てる。

あの順番が、今はいちばん落ち着く。

結界の内側なら、私の魔法は、私の仲間を焼かない。

だから、今は遠慮なく撃てる。

魔力を練って、練って、残っているものを全部込めて。

黒い小鬼の部屋で撃った終焉は、これまでで一番大きかった。

部屋が原形をとどめなくなるほどだった。

それでも、神域と結界の内側で、誰ひとり焼けなかった。

撃ち終えて膝をついた私の肩に、カインが手を置いた。

「十分だ」

あの一言を、たぶん、私はずっと待っていた。

窓の外が、うっすらと白み始めていた。

喉が渇いて、そっと部屋を抜け出す。

共用室に降りると、卓の端に明かりがひとつ灯っていた。

カインが、帳面に何か書きつけている。

「起きてたの」

「目が覚めた。ノリアもか」

「うん」

カインは、水の入った杯を一つ、私の前に滑らせた。

しばらく、二人とも黙っていた。

「なあ、ノリア」

カインが、帳面から顔を上げた。

「前に、なんで潜るのかって聞いたこと、あったよな」

「あった」

「そのとき、なんて答えたか覚えてるか」

覚えていた。

「自分がパーティにいる、その理由を探るため」

私は、そう答えたのだ。

魔力ばかり多くて、呪文の覚えられない私が、なぜここにいていいのか。

それを、迷宮の中で確かめたかった。

「今は?」

カインが、まっすぐ私を見た。

からかう顔ではなかった。

私は、杯を両手で包んだ。

少し考えて、考えるまでもないことに気づく。

「パーティに、私の居場所があるから」

口にしてみると、思っていたより、ずっと簡単な言葉だった。

カインは、少しだけ目を丸くした。

それから、いつもの顔で笑った。

「俺がいないと困るだろ、って言うつもりだったのに」

「言えばいい。困るのは本当だから」

「……ノリアに言われると、調子が狂うな」

カインが、頭をかいた。

階段の上から、足音が降りてくる。

寝ぼけ眼のネリスが、耳を片方だけ立てて顔を出した。

「二人で、何してんの」

「何も」

「何もしてない顔じゃない」

何もしていない顔では、なかったらしい。

いやいや、自分でもわかるくらい、頬がゆるんでいた。

窓から差し込んだ朝の光が、卓の上の杯を白く光らせていた。


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