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『マラン、はじまりの迷宮』〜わからないことばかりの、迷宮攻略記〜  作者: 奇木 尋
閑話 その五

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第201話 閑話「見張り猫の独り言」

一層の白い家は、今夜も静かだった。

窓もないのに、壁はうっすらと明るい。

その真ん中に置いた古い座布団の上で、わしは香箱を組んでいた。

黄金の毛並みは、我ながら悪くない。

誰に見せるわけでもないが。

隅の籠では、白い子猫が丸くなって寝息を立てている。

ミーだ。

あの六人が引き上げてから、ずっとこうしている。

呼ばれもしないのに、ここへ戻ってきて、勝手に寝ている。

「お前は、あちらの子になったのではなかったか」

声をかけても、しっぽが一度揺れただけだった。

まあ、いい。

わしも、眠れぬ夜というやつだ。

猫が眠れぬなど、笑い話にもならんが。

さて。

わしは、いつ、どこから来たのだろうな。

時おり、こうして考えてみる。

考えても、答えは出ん。

生まれた覚えがない。

どこかの世界にいた覚えもない。

冒険者どもは、自分がどの世界の出だのどの種族だのと、酒場でよく語り合っている。

わしには、語る故郷がない。

気が付けば、エアの管理をしていた。

それだけだ。

三層のベーダーは、迷宮を司る方に頼まれた、と言う。

あやつには、頼まれた覚えがあるらしい。

わしには、それすらない。

頼まれたのか、押し付けられたのか、自分で勝手に始めたのか。

どれでもいい、と思うことにしている。

やることは、どうせ変わらん。

魔物の湧き方を見る。

壁の軋みを聞く。

深いところの流れが、よどんでいないか確かめる。

ついでに、潜ってくる者どもを眺める。

眺めるだけだ。

長いこと、そうしてきた。

どれほど長いかは、数えておらん。

腕の立つ者は、それなりにいた。

威勢のいい者も、慎重な者も、欲の深い者も。

深くまで降りてきた者もいれば、戻らなかった者もいる。

だが、これといって気になる者は、いなかった。

来て、潜って、去っていく。

迷宮にとっても、わしにとっても、それで十分だった。

それが、どうだ。

ここしばらく、妙に関わるグループがある。

便利屋あがりの万能士。

魔力ばかり桁外れの、制御の下手なエルフ。

隻腕の侍。

思い込んだら一直線の猫娘。

ノームの血の混じった、剣を振るう治癒師。

それに、一度は迷宮に呑まれて、戻ってきた獣人の兄。

よくもまあ、ばらばらなものを寄せ集めたものだ。

最初は、ただの一組だった。

少し運がよく、少し面倒見がいいだけの一組。

それが気が付けば、あの小僧の取り込みの力がわしの加護だと、明かす羽目になっていた。

侍の失った右手に、幻の手を貸すことにもなった。

十三番目の部屋では、呼ばれてもおらんのに、ミーが勝手に口を出した。

あれは、わしの差し金ではない。

ない、はずだ。

「……お前、あのとき、何を考えておった」

籠のミーに聞いてみる。

返事はない。

寝たふりが、上手くなったものだ。

ミーは、わしの分身に等しい。

わしから切り分けた、小さな欠片のようなものだ。

それを、あの小僧に預けた。

預けたところまでは、わしの判断だ。

だが六つ目の試練で、ミーそのものが立ちはだかり、挙げ句に召喚の対象になるとはな。

「仕方がない、仲間になってやろう」などと、偉そうに言っておったが。

わしの欠片が、あの小僧の呼び声に応えた。

結局、わしの一部が、あやつらの側に数えられたということだ。

笑っていいのか、呆れていいのか、わからん。

わからんことが、最近は多い。

カレントのことも、そうだ。

あれは、個別の者に影響を及ぼさぬ。

大きすぎて、近すぎるものは見えぬ。

マランの子どもでも知っていることだ。

わしも、ずっとそう思ってきた。

いや、今もそう思っている。

だが、あの六人の周りでは、流れが妙によじれる。

ノアとエアが、同時に荒れた日。

あやつらは、五層の入口から、ちょうど引き返せる場所にいた。

あの日、わしは柄にもなく声を荒らげた。

「戻れ」と、ほとんど怒鳴るように言った。

今思い出しても、らしくない。

猫が息を切らすなど、みっともない話だ。

迷宮の奥で何かが大きく軋むのを、聞いてしまったのだから仕方がない。

あのとき、あやつらが素直に引き返してくれたのは、ありがたかった。

礼を言った覚えは、ないが。

十三番目の部屋で倒れかけたエルフは、ぎりぎりのところで拾われた。

一つひとつは、ただの偶然で片づく。

片づくが、重なりすぎる。

カレントが、あやつらを見ているとは言わん。

言えば、嘘になるかもしれんからな。

ただ、妙に関わる気がする。

それだけだ。

わしに言えるのは、そこまでだ。

そして、あやつらは、とうとうエアの攻略をなしとげた。

七つの試練を、全部越えた。

ズールへ向かう資格を、自分たちの手で掴んだ。

正直に言えば、ここまで短期間でエアをクリアするとは、思わなかった。

七段階の修行と言ったとき、わしは半分、時間稼ぎのつもりでいた。

何度か跳ね返されて、そのたびに街へ戻って、少しずつ強くなればいい。

そのあいだに、わしのほうでもよどみの手当てくらいはできるだろう、と。

甘かった。

あやつらは、退いても、退いても、翌日にはまた扉の前に立っていた。

魔女の娘たちに二度追い返されて、三度目に無傷で抜けた。

終焉すら通らぬキメラの眉間を、宙で掴んだ剣で貫いた。

最後の黒い小鬼どもには、さすがに肝を冷やしたが。

「まずまずだな」と言ってやった。

本当は、まずまず、どころではなかった。

言ってやる義理もないから、言わなかったが。

ここまで考えて、わしは尻尾で座布団を一度叩いた。

よけいなことだ。

わしの役目は、エアの見張りだ。

迷宮が溢れぬよう、よどまぬよう、深いところを見ておくことだ。

一組の冒険者に肩入れすることではない。

わかっている。

わかっているが、気になる六人だ。

あの小僧は、わしの説明が足りんと、毎度顔に書いてある。

侍は、わしの「たぶん」は当たるほうだ、などと言っていた。

褒めてはおらぬ、とも言っていた。

猫娘は、いちいち突っ込まずにはいられぬらしい。

獣人の兄は、ほとんど喋らんくせに、肝心なところで妹より先に動く。

治癒師は、誰かが倒れそうになると、真っ先に前へ出る。

エルフは、怖いと口にしながら、結局いちばん危ない役を引き受ける。

それに、あの鍛冶屋もいる。

前線を退いてなお、六人の得物に一つ残らず自分の名を刻もうとしている、頑固なドワーフだ。

あやつの打った盾には、あやつの加護が重なって乗る。

六人と言いながら、実のところ、もう一人がずっと後ろに控えているようなものだ。

見ていて、飽きん。

それが、困る。

ズールで、あやつらは何を見るのだろうな。

何を得て、何を失うのだろうな。

管理者と会い、この世界の成り立ちを知ったとき、あの顔ぶれがどんな顔をするのか。

街の者には話せず、ギルド長とあの鍛冶屋にだけは話せる。

なぜそうなるのかは、わしにも説明がつかん。

説明のつかんことを、説明のつかんまま告げた。

あの小僧は、また足りんという顔をしておったな。

足りんのは、わしのほうも同じだ。

わしにも、わからん。

わからんから、見届けるしかない。

わしは、エアを離れられん。

ズールの中までついていってやることは、できん。

だから、ここから、じっと見守る。

それくらいは、役目の外でも許されるだろう。

まあ、単純なことで、ズールは攻略できんだろうがな。

潜った途端に消え失せる迷宮だ。

七つの証を持っていても、楽な道にはなるまい。

あやつらのことだ。

また退いて、また立ち上がって、また扉の前に立つのだろう。

籠の中で、ミーが寝返りを打った。

小さな口が、一度だけ開く。

「みゃー」

寝言か。

わしは、座布団から降りて、白い家の戸口に立った。

その先には、エアの一層の石畳が続いている。

苔の光が、ぼんやりと通路を照らしていた。

さらにその奥、ずっと深いところで、迷宮がゆっくりと息をしている。

今夜は、よどみの気配はない。

魔物の湧き方も、落ち着いている。

わしは、耳を立てて、しばらくその息づかいを聞いていた。

行け、六人よ。

お前たちが前だけを見ていられるよう、背中の迷宮は、わしが見ておく。

エアが溢れぬかぎり、街の灯は消えん。

街の灯が消えぬかぎり、お前たちの帰る場所はある。

それが、わしにできる、せめてもの手向けだ。


黄金の猫は、戸口に座ったまま、深い闇のほうへ目を細めた。

エアの番は、今夜も変わらず、そこにあった。


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